2022年4月13日水曜日

 福島は二〇一九年十一月三日以来だった。二年五か月ぶり。放置された家が並んでいたところの多くは更地になり、新しい家や店ができた所もあった。六号線もアコーディオンフェンスがほとんどなくなり、黒いフレコンパックもほとんど見なくなった。夜の森の桜並木も解放され、ゆっくりとではあるが復興は進んでいる。
 ウクライナも、たとえロシア軍を追い出すことに成功したとしても、復興には何年もかかるんだろうな。
 まあ、世界のみんなで協力して助けて行かなくてはいけないな。
 我々の盾になって犠牲になったのを忘れてはならない。ウクライナは盾の勇者だ。アメリカやNATOの剣と槍と弓に見放された盾。日本は人権のないただのモブだし。
 まあ、ロシアと戦えないなら、まずは国内にいる独裁支持者と戦うしかないが。
 もうそろそろみんな気付いてもいいんじゃないかな。世界平和と核のない世界を実現するには、独裁国家をどうにかしなくてはいけないということに。
 国際条約で独裁体制を禁止し、世界から独裁国家が撲滅されるまで、自由主義国家が一丸となって集団的自衛権を行使し、対抗しなくてはならない。
 アメリカが世界の警察をやめてモンロー主義の時代に戻りたいなら、アメリカ抜きで、環太平洋の集団防衛体制を作り上げる必要がある。集団的自衛権が現行憲法の解釈の範囲内であれば、憲法改正の必要もない。
 TPPがアメリカ抜きでできたのだから、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本を軸としたアメリカ抜きの環太平洋版NATOも可能だろう。
 アメリカ抜きなら反米思想の人たちも取り込めるのではないか。台湾や香港も独立すればみんな仲間だ。
 いくら第三次世界大戦を望まないと言っても、独裁国家がそれを望む限り避けられない。ならば迎え撃つ以外の選択肢はない。最後は剣と槍と弓と盾とモブが揃って戦うことになる。

 それでは引き続き『阿羅野』の発句で暮春の句をみてみよう。

   暮春

 何の気もつかぬに土手の菫哉   忠知

 菫はどこにでも咲いているが、小さくて目立たなくて見落としがちな花でもある。
 日本の菫はスミレとツボスミレが古来和歌に詠まれてきた。スミレは葉が長く花は濃い紫、ツボスミレは葉が丸くて花は白に近い紫。今は西洋スミレ(ニオイスミレ)と交雑して、概ね葉の丸いものが多く、色は白や濃淡の紫など様々で二色咲きのものもあったりする。
 西洋のニオイスミレも食用やハーブとして用いられるが、日本でも昔は食用になっていたので、

 春の野にすみれ摘みにとこし我ぞ
     小野なつかしみ一夜寝にけり
              山部赤人(続古今集)

の歌もある。
 ツボスミレは、

 道とほみいる野の原のつぼすみれ
     春のかたみに摘みてかへらん
              源顕国(千載集)
 春雨の布留の野道のつぼすみれ
     摘みてをゆかむ袖はぬるとも
              藤原定家(続後拾遺集)

の歌がある。
 芭蕉も貞享二年の『野ざらし紀行』の旅の途中に、「何となくなにやらゆかしすみれ草」の句を詠んで、五月十二日の千那宛書簡には改作して、

 山路来て何やらゆかしすみれ草  芭蕉

の句を詠んでいる。
 和歌ではスミレを山に詠まないという指摘もあったようだが、実際は、

 箱根山うす紫のつぼすみれ
     ふたしほみしほ誰か染めけむ
              大江匡房(堀河百首)
 老いぬれば花の都にありわびて
     山にすみれを摘まむとぞおもふ
              永縁(堀河百首)
 色をのみ思ふべきかは山の辺の
     すみれ摘みける跡をこひつつ
              寂蓮法師(寂蓮無題百首)
 とふ人は主とてだに来ぬ山の
     懸け路の庭に咲くすみれかな
              藤原為家(夫木抄)
 きぎす鳴く山田の小野のつぼすみれ
     標指すばかりなりにけるかな
              藤原顕季(六条修理大夫集)

などの歌がある。
 菫はどこにでも咲いているから、山路にも咲けば土手にも咲いている。何気なしにそれに気づいた時、何か得したような、豊かな気持ちになる。

 ねぶたしと馬には乗らぬ菫草   荷兮

 旅の道筋であろう。馬上で居眠りすると落馬する危険があるので、実際問題としてあまり眠いなら歩いた方が良い。とはいえ眠くなるのは、電車に乗って座ると眠くなるようなものか。
 歩けば馬上からはよく見えなかった菫草が近くでよく見えるようになる。
 芭蕉の『笈の小文』の旅の、

 歩行ならば杖つき坂を落馬哉   芭蕉

の句を思い浮かべたのかもしれない。杖ついて歩くから山路の菫にも目が留まる。

 ほうろくの土とる跡は菫かな   野水

 ほうろくは焙烙で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「焙烙・炮烙」の解説」に、

 「① 素焼の平たい土鍋。米・豆・塩などを炒(い)るのに用いる。昔、船中で婦人の便器に利用されることもあった。
  ※杜詩続翠抄(1439頃)八「土 ほうろく也、蜀之俗多用之也」
  ※蓼喰ふ虫(1928‐29)〈谷崎潤一郎〉一四「うちでは除虫菊を炮烙(ハウロク)へ入れてくすべることにしてゐるんでね」

とある。素焼きの鍋を作るのに用いる土を採取する現場は荒れ地になり、木はもとより背の高い草もなくて、こういう所には春になると菫が一面に咲いてたりする。

 昼ばかり日のさす洞の菫哉    舟泉

 洞に籠る修行僧も日の射す所に咲いた菫に心を慰められるのだろう。菫は「棲む・澄む」に通じ、「墨染の衣」のイメージもある。

 草刈て菫選出す童かな      鷗歩

 この頃も菫を食用にしていたのか、雑草を刈る時に、刈った中から菫を選り分けるのは子供の仕事になる。

 行蝶のとまり残さぬあざみ哉   燭遊

 アザミの花にはやってきた蝶が必ず止まってゆく。アザミは蝶に限らず、昆虫がよく集まるという。

 麦畑の人見るはるの塘かな    杜国

 春になると麦の葉が伸びて、畑は青々としている。田んぼにはまだ人はいないが、麦畑には仕事をしている人が見える。

 はげ山や朧の月のすみ所     式之

 春の月は朧に霞、澄んではいない。そんな朧月だけど、はげ山だと遮るものがないので、心なしか月が澄んでいるように見える。

 霞む夜の月の桂も木間より
     光を花とうつろひにけり
              藤原為家(宝治百首)

のように、和歌では朧月は木の間に詠むことが多い。
 「澄む」と「住む」の掛詞はお約束。はっきりと分かる掛詞の例は、

 ささ浪や国つ御神のうらさびて
     ふるき都に月ひとりすむ
              藤原忠通(千載集)

があるが、山に「すむ」月も概ね「澄む」と「住む」に掛けている。
 あるいは「はげ」は出家者の坊主頭のことで、坊主だから霞む月も澄んで見えるということか。

 ほろほろと山吹ちるか滝の音   芭蕉

 貞享五年(一六八八年)の春、『笈の小文』の旅で芭蕉が杜国とともに吉野の花見に行った時の句で、吉野の西河(にじつこう)で詠んだ句。
 西河は吉野の東側を流れる音無川で蜻蛉(せいれい)の滝がある。
 吉野は古代の錬金術の地でもあるから、散った山吹の流れる水は、さながら黄金の水のようでもある。
 「ちるか」の「か」は「かな」と同じ。治定の切れ字。

 松明に山吹うすし夜のいろ    野水

 昔の夜は街の灯りが空に反射したりしないから、今とは比べ物にならないくらい真っ暗だった。松明を焚いても、花はうっすらとしか見えない。うっすらと見える山吹の花は闇の中に黄金の輝きを放つ。

 山吹とてふのまぎれぬあらし哉  卜枝

 昔は春の胡蝶というと黄蝶のことを指すことが多かった。蕪村にも、

 ばうたんやしろがねの猫こがねの蝶 蕪村

の句がある。
 嵐が吹いて蝶が山吹の中で風を凌いでいると、どれが山吹でどれが蝶やら。

 一重かと山吹のぞくゆふべ哉   襟雪

 山吹は一重のものと八重のものがある。

 七重八重花はは咲けども山吹の
     みの一つだになきぞあやしき
              兼明親王(後拾遺集)

の歌は、「蓑」を借りようとして断られるエピソードとしてよく知られている。
 華やかな八重山吹が昼の太陽なら、一重の山吹はどこか物悲しげな夕日のようでもある。

 とりつきてやまぶきのぞくいはね哉 蓬雨

 山吹は水辺で詠むことも多いが、岩根にも咲く。

 さもこそは岩根におふる花ならめ
     くちなし色ににほふ山吹
              郁芳門院安芸(久安百首)
 暮れはつる春の名残ををしとだに
     えやはいはねの山吹の花
              小倉公雄(続千載集)


の歌もある。「岩根」は「言はね」に掛けて用いられるが、発句の方はこうして伝統的な言い回しではなく、「とりつきて」という俗語の描写で岩根の山吹を表現している。

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