2022年4月19日火曜日

 今日は晴れて、朝はあざみ野の八重桜並木を散歩した。染井吉野が散った後は、八重桜が最後の桜になる。ツツジや藤が咲き、春を惜しむ季節になる。
 山は新緑で草の生える、山笑う季節になる。
 「山笑う」は郭煕『臥遊録』の、「春山淡冶而如笑、夏山蒼翠而如滴、秋山明浄而如粧、冬山惨淡而如睡」が起源とされていて、和歌の言葉(雅語)ではない。俳諧の言葉になる。多分芭蕉の時代には流行の言葉だったのだろう。
 言葉は流行を繰り返し、毎年のようにたくさんの新語・流行語が現れては消えて行く中で、残った言葉はこうして四百年たっても生き続けている。
 今日撮影の八重桜並木。

 何かにはまるというのは、基本的には脳内に快楽物質を求める回路を形成することで、偶発的にであれ、なにか生涯を通して夢中になれることを見つけた人は、この回路に支配されていると言って良い。
 それはサッカーかもしれないし、マラソンかもしれないし、登山かもしれない。あるいは三国志だったりガンダムだったりもする。ネトゲにはまる人と囲碁や将棋にはまるひとと何の違いがあるのか。文学にはまる人とラノベにはまる人に何の違いがあるのか。脳の回路に於いては大差ない。ただ社会の側の問題だ。
 スポーツであれ学問であれ仕事であれ、何か一つのことに打ち込んで偉業を成し遂げる人は、基本的にそれが楽しいから、快楽をもたらすから夢中になれるのであって、それはやはり偶発的に形成された脳内の回路によるものだ。
 この回路は性的嗜好に関しても言えることだが、違うのは性に結びつかない快楽回路も多く存在することだ。
 性に結びつかなくても快楽をもたらすが故に、孔子は徳の追究にはまってしまい、「已矣乎、吾未見好徳、如好色者也(已んぬるかな。吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり)」と言ったと『論語』にある。孔子は本当に色を好むがごとく徳を好んだのだろう。それは脳内の快楽回路の仕業だ。
 まあ、他の物にはまった人も、しばしば女よりも趣味を優先させることってあるよね。これだけは譲れないって感じでね。
 本人の意思ではなく偶発的に形成された快楽回路に関しては、何らその人の責任ではないし、基本的に自由だ。
 こうした脳内快楽物質の回路と、薬物による脳内快楽物質の回路は、似ているけど全く違うものだ。薬物は偶発的なものではなく、必然的に直接脳に作用する。
 そのため、ひとたび薬物に手を出すと、それをやめるという選択肢が消失するばかりか、他の脳回路にまで影響を与えゆく。
 必然性のあるものを選択することには、当然本人の責任が伴うし、犯罪として規制する必要がある。
 ネトゲ廃人という言葉はあるが、この「廃人」は比喩にすぎない。薬物は本当の「廃人」を作り出す。
 比喩というのは述語の一致による誤謬推理を利用したもので、「君はまるで薔薇の花のようだ」というのは、「君は美しい、薔薇の花は美しい、故に君は薔薇の花だ」というだけのことだ。
 ネトゲ廃人という言葉も同じで、「ネトゲははまるとやめられなくなる、薬物もやめられなくなる、ゆえにネトゲは薬物である」、というところで「ネトゲ廃人」だとか「ゲーム中毒」ということばがあるだけで、脳内のメカニズムはまったく違うものだ。
 ゲームがeスポーツとして社会的に何らかの役割を得るようになったなら、ネトゲ廃人という言葉もなくなって、ネトゲ名人として尊敬されるようにもなるだろう。そうなれば囲碁や将棋と何ら変わらない。国民栄誉賞を貰うゲーマーだって現れるかもしれない。結局は金が稼げるかどうかの問題だ。
 比喩というのは述語の一致による誤謬推理なだけに、しばしば人を惑わす効果がある。あの吉野家のオヤジだって、あくまで比喩で言っただけなんだけど、比喩が分からない人たちというのもいる。
 言葉狩りの好きな人というのは、「比喩を誤謬推理として告発する人」とだと言ってもいいのかもしれない。

 それでは『蛙合』の続き。

 「第十三番
   左持
 ゆらゆらと蛙ゆらるる柳哉     北鯤
   右
 手をかけて柳にのぼる蛙哉     コ斎
   二タ木の柳なびきあひて、緑の色もわきがた
   きに、先一木の蛙は、花の枝末に手をかけて、
   とよめる歌のこと葉をわづかにとりて、遙な
   る木末にのぞみ、既のぼらんとしていまだの
   ぼらざるけしき、しほらしく哀なるに、左の
   蛙は樹上にのぼり得て、ゆらゆらと風にうご
   きて落ぬべきおもひ、玉篠の霰・萩のうへの
   露ともいはむ。左右しゐてわかたんには、数
   奇により好むに随ひて、けぢめあるまじきに
   もあらず侍れども、一巻のかざり、古今の姿、
   只そのままに筆をさしおきて、後みん人の心
   心にわかち侍れかし。」

 柳に蛙というと小野道風で、花札の絵柄にもなっているが、ウィキペディアには、

 「道風が、自分の才能を悩んで、書道をあきらめかけていた時のことである。ある雨の日のこと、道風が散歩に出かけると、柳に蛙が飛びつこうと、繰りかえし飛びはねている姿を見た。道風は「柳は離れたところにある。蛙は柳に飛びつけるわけがない」と思っていた。すると、たまたま吹いた風が柳をしならせ、蛙はうまく飛び移った。道風は「自分はこの蛙の努力をしていない」と目を覚まして、書道をやり直すきっかけを得たという。ただし、この逸話は史実かどうか不明で、広まったのは江戸時代中期の浄瑠璃『小野道風青柳硯』(おののとうふうあおやぎすずり : 宝暦4年〈1754年〉初演)からと見られる。その後、第二次世界大戦以前の日本の国定教科書にもこの逸話が載せられて多くの人に広まり、知名度は高かった(戦後の道徳の教科書にも採用されているものがある)。」

とある。
 この逸話が広まったのは『蛙合』から八十年も後のことで、蕉門の人たちの知る所ではなかったのだろう。むしろ、道風の逸話の起源がこの『蛙合』第十三番にあった可能性もある。
 「花の枝末に手をかけて、とよめる歌」は『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』の注にもあるとおり、

 山吹のしづえの花に手をかけて
     折りしり顔に鳴く蛙かな
               源仲正(夫木抄)

の歌のことと思われる。この「手をかけて」の五文字を取って、「柳にのぼる蛙」と展開する。
 この「手をかけて柳に登る」という言い回しは微妙で、時制の曖昧な日本語だと、現在とも現在進行形とも未来とも受け取れる。日本語では「為せば成る」のように、英語ならwillを使うような強い意志を持った未来には現在形を用いる。
 判詞にも「遙なる木末にのぞみ、既のぼらんとしていまだのぼらざるけしき」とあるように「登る」に意志未来、現在進行、まだ完了しないというニュアンスを読み取っている。
 つまりこの句は、蛙が柳の枝に飛びつこうとして、ようやく飛びついて、今まさにさらに上に向かうという一連の流れを表している。この蛙のけなげな姿が、後に小野道風に仮託された可能性が十分にある。
 左の句の方は既に枝に飛びついていて、柳の枝の途中で風にゆらゆら揺られて、落ちまいとしている描写になる。
 「玉篠の霰」は、

 もののふの矢並つくろふ籠手のうへに
     霰たばしる那須の篠原
               源実朝(金槐和歌集)

 「萩のうへの露」は、

 おきあかし見つつながむる萩の上の
     露ふきみだる秋の夜の風
               伊勢大輔(後拾遺集)

であろう。
 柳の枝に飛びついた蛙も、風にゆらゆら揺られながら、結局は散ってしまう。
 趣向としてはどちらもよく似ていて甲乙つけがたい。
 「一巻のかざり、古今の姿、只そのままに筆をさしおきて、後みん人の心々にわかち侍れかし。」とあるように、この二句は「一巻の飾り」でありどちらも捨てがたい好句だということで、後の人に判定を任せることになる。よって引き分け。
 その後の人は、結局ここから勝手に小野道風の柳の蛙の寓話を作ってしまい、このオリジナルの二句を忘れてしまったというわけか。

 「第十四番
   左持
 手をひろげ水に浮ねの蛙哉     ちり
   右
 露もなき昼の蓬に鳴かはづ     山店
   うき寐の蛙、流に枕して孫楚が弁のあやまり
   を正すか。よもぎがもとのかはづの心、句も
   又むねせばく侍り。左右ともに勝負ことはり
   がたし。」

 「孫楚が弁」は「石に漱ぎ流れに枕す」で、ウィキペディアには、

 「孫子荊(孫楚)がまだ仕官する前、王武子(王済)に対して隠遁したいと思い「石を枕にして、川の流れで(口を)漱ぎたい(枕石漱流、そのような自然の中での暮らしの意味)」と言おうとしたところ、うっかり「石で漱ぎ、流れを枕にしたい(漱石枕流)」と言い間違えてしまった。すかさず王武子に「流れを枕にできるか、石で口を漱げるか」と突っ込まれると、孫子荊は「枕を流れにしたいというのは、汚れた俗事から耳を洗いたいからで、石で漱ぐというのは、汚れた歯を磨こうと思ったからだよ」と言い訳し、王武子はこの切り返しを見事と思った。感心する意味で「流石」と呼ぶのは、この故事が元という説があるという。」

とある。
 蛙なら「流れに枕す」は別に耳を洗うなんて言わなくても、普通に流れの上にいる。「石に漱ぐ」ことはなさそうだが。
 流れに逆らわずに生きるというのは、『楚辞』の漁父問答を思わせる。
 「蓬に鳴かはづ」は「蓬生」という言葉を連想させ、訪ねてく人もなく、草の生い茂った里の侘び暮らしを連想させるが、それ以上にイメージが膨らまない。
 ちりの句は「手をひろげ」の描写が、山店の句は「露もなき昼の」の描写が、今一つ取り囃しとして生きてないような気がする。

 「第十五番
   左
 蓑捨し雫にやどる蛙哉       橘襄
   右勝
 若芦にかはづ折ふす流哉      蕉雫
   左、事可然体にきこゆ。雫ほすみのに宿か
   ると侍らば、ゆゆしき姿なるべきにや。捨る
   といふ字心弱く侍らん。右、流れに添てす
   だく蛙、言葉たをやか也。可為勝か。」

 捨てられた蓑の雨の雫に濡れる中に蛙がいるというのは、いかにもありそうだ。ただ何で蓑が捨てられたのか、ちょっと気になる。
 「雫干す蓑に宿かる蛙哉」なら、蓑を捨てるという不自然さがなく、雨の中旅する中に、いつの間にか美濃の中に蛙が紛れ込んで、お前もともに旅をして、ここに宿るかという細みの句となる。
 「心弱く」の「心」はこの場合心情のことではなく「意味」という意味で、要するに「蓑捨し」が意味不明ということ。
 若芦の句は、流れのあるところでは、流れにくい若い元気な芦の葉を宿とするという句で、蛙の宿対決になる。特に難がないので「若芦」の句の勝ちになる。

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