今まで鈴呂屋書庫に挙げてきたものも古いものから新しいものまでいろいろなので、そろそろ書き直していこうかな。一分は既に書き直しているけど。
最初の頃の物は明治以降の正岡子規によって作られた「写生説」に対抗しようという意識が強くて、過度に言葉遊びの部分が強調されてたりもする。
今となっては芭蕉研究の写生説の論客も年老いて、亡くなった人も多く、最近は芭蕉研究自体が新しい動きというのを聞かず、衰退しているような気がする。
まあ、筆者も写生説を滅ぼすのが目的ではないし、歴史に絶対はないんだから、「諸説あり」の状態で良いのではないかと思う。いまさらそんな文学の権威というのもなくなってきたし、小説の方だって本屋大賞のような市場の声が優位になってきた時代だ。片意地張らずに行きたいものだ。
それでは「兼好も」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
ことしのくれは何も貰はぬ
金仏の細き御足をさするらん 嵐雪
金仏はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「金仏」の解説」に、
「① 金属で作った仏像。かなぼとけ。
※俳諧・炭俵(1694)上「金仏の細き御足をさするらん〈嵐雪〉 此かいわいの小鳥皆よる〈利牛〉」
※人情本・閑情末摘花(1839‐41)三「たとへ金仏(カナブツ)、石地蔵、木で造った閻魔でも、唯はおかれぬ今霄の景勢(ありさま)」
② 比喩的に、心のきわめて冷たい人。感情に動かされない人をいう。
※雑俳・蓍萩(1735)「金仏に猶心猿が手をのばす」
※上海(1928‐31)〈横光利一〉四「毎日あの女を使ってゐるくせに、まさか金仏(カナブツ)でもないだらう」
とある。「堅物(かたぶつ)」は元は「金仏(かなぶつ)」だったか。
仏像の足は衣で隠れていることが多いが、足が細いというと空也仏だろうか。だとすると、引退した鉢叩きということか。
芭蕉にも、
乾鮭も空也の痩も寒の中 芭蕉(元禄三年)
長嘯の墓もめぐるか鉢叩き 同(元禄二年)
の句がある。年末の風物だった。
二十六句目。
金仏の細き御足をさするらん
此かいわいの小鳥皆よる 利牛
釈迦涅槃図か。
二十七句目。
此かいわいの小鳥皆よる
黍の穂は残らず風に吹倒れ 野坡
黍の穂が倒れれば、小鳥がそれを食べに集まってくる。
黍の茎は堅いが、その分風に折れやすい。貞享四年の名古屋での「凩の」の巻四句目に、
鵙の居る里の垣根に餌をさして
黍の折レ合道ほそき也 越人
の句がある。
二十八句目。
黍の穂は残らず風に吹倒れ
馬場の喧嘩の跡にすむ月 嵐雪
前句を高田馬場周辺の風景とし、そこでの決闘の後、誰もいない馬場に月がぽっかりと浮かぶ。
この巻が元禄七年春だとすると、この年の二月十一日に高田馬場の決闘と呼ばれる事件が起きている。ウィキペディアに、
「元禄7年2月7日、伊予西条藩の組頭の下で同藩藩士の菅野六郎左衛門と村上庄左衛門が相番していたときのこと、年始振舞に村上が菅野を疎言したことについて2人は口論になった。このときは他の藩士たちがすぐに止めに入ったため、2人は盃を交わして仲直りしたのだが、その後また口論となってしまう。ついに2人は高田馬場で決闘をすることと決める。」
とある。これからすると偶発的に高田馬場で喧嘩が起きたわけではない。高田馬場はそれ以前から決闘の場所に選ばれることが多かったのではなかったか。
元禄五年(六年説もある)の芭蕉・其角・嵐雪の三吟「両の手に」の巻の二十四句目に、
女房よぶ米屋の亭主若やぎて
高田の喧嘩はやむかしなり 其角
の句がある。
元禄七年の高田馬場の決闘以前にも、ここでしばしば決闘が行われてたとすれば、元禄五年の其角の句も矛盾なく説明できる。
二十九句目。
馬場の喧嘩の跡にすむ月
弟はとうとう江戸で人になる 利牛
この場合の「人」はあまり良い意味ではなさそうだ。「他人になる」ということか。喧嘩がもとで勘当されたのだろう。
三十句目。
弟はとうとう江戸で人になる
今に庄やのくちはほどけず 野坡
「くちはほどけず」は『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)の中村注に、「出入りが許されないの意」とある。
庄屋はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「庄屋」の解説」に、
「江戸時代,村政を担当した村役人の一つで,村方三役の長。庄屋の呼称は関西,北陸に多く,関東では名主 (なぬし) というが,肝煎 (きもいり) というところもある。法令伝達,年貢納入決算事務,農民管理など領主支配の末端の行政官であったが,身分は農民で,世襲,一代限り,隔年交代など任期は一定しないが,入会,水利の管理維持,農業技術の指導などの面で村落共同体の指導者的性格ももっていた。」
とあるように農村のもので、前句の「江戸」とは違え付けになる。
庄屋の息子だったが勘当され、江戸に出てきた。
二裏、三十一句目。
今に庄やのくちはほどけず
売手からうつてみせたるたたき鉦 嵐雪
たたき鉦はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「叩鉦・敲鉦」の解説」に、
「〘名〙 仏具の一つ。念仏にあわせてたたきならす鉦。もとは架にかけたり、胸間につってならしたが、後世伏せて台座にのせ、念仏のときに撞木(しゅもく)でたたきならした鉦。形は鉦鼓(しょうこ)に似て、背のひくい丸い鉦。ふせがね。ひらがね。
※わらんべ草(1660)五「わに口のかたわれ、則扣(タタキ)鐘にして有」
とある。今でも葬式でお経をあげる時にチーンと鳴らす、あれだ。
昔は鉦叩きという鉦を鳴らしながら金品を乞う鉢坊主のようなのがいたので、それと間違えられて出禁になったか。
三十二句目。
売手からうつてみせたるたたき鉦
ひらりひらりとゆきのふり出し 野坡
帷子雪であろう。空也念仏の鉢叩きと同様ということで、鉦叩きに雪を添えたか。
三十三句目。
ひらりひらりとゆきのふり出し
鎌倉の便きかせに走らする 野坡
謡曲『鉢木』の前半の僧が佐野の源左衛門の所にやってくる場面は雪が効果的に用いられているが、後半の鎌倉から呼び出しを掛ける場面は特に雪の場面ではない。
『鉢木』をイメージしながらも、その出典を外した軽みの句と見ていいだろう。
三十四句目。
鎌倉の便きかせに走らする
かした處のしれぬ細引 嵐雪
細引(ほそびき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「細引」の解説」に、
「① 「ほそびきなわ(細引縄)」の略。
※羅葡日辞書(1595)「Camus〈略〉 モノヲ ククル fosobiqi(ホソビキ)、または、サシナワ」
② 魚の刺身などで、身を細長く切ったもの。細作り。
※洒落本・やまあらし(1808)一「首陽山の蕨蛭子爰にゐまさばはまやきをくらひ琴高も爰に来らばほそひきをあぢわふべし」
細く切った刺身は膾にした。生きのいい魚は高価なので、借金してでも鎌倉から細引に使う魚を取り寄せる。
肴屋であろうか、代金を貸しにして大急ぎで魚を届けさせたが、後で取り立てようとしても姿をくらまされたということか。
三十五句目。
かした處のしれぬ細引
独ある母をすすめて花の陰 利牛
親孝行で花見に細引をご馳走する。どうやってそのお金を、というのは問わないことにしよう。
挙句。
独ある母をすすめて花の陰
まだかびのこる正月の餅 野坡
年老いて白髪頭になった母は、正月の鏡餅にカビが生えたようなもので、古くなってもお目出度い。
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