和辻哲郎は世界の四大文明とともに日本も一つの独立した文明だと主張していた。
今は世界的な考古学の進歩によって、四大文明という考え方自体が時代遅れになった。ナイル、チグリス・ユーフラテス、インダス、黄河の外にも、マヤ・アステカ、インカ、ニジェール、長江に独自の文明があったことが分かっている。
日本はというと、基本的には長江文明の継承者として一つの文明を名乗る権利があると思う。長江文明の本拠地は黄河文明の侵略によって黄河文明に吸収されてしまったが、その時四散した末裔の一つが対馬海流に乗って日本に辿り着き、この国に長江文明の純粋な形が残ることとなった。
この文明の特徴は自然崇拝で、中国でも楚人の老聃(老子)によって開かれた道家の中にその名残をとどめている。
日本や朝鮮半島や中国南部から東南アジアにかけて、長江文明の影響は今も様々な形で残っている。日本独自のもののように見えるものの多くは、この地域で広く見られる。そして日本は島国であるがゆえに他国に征服されることなかったため、今となっては最も純粋な形で長江文明の栄光を残す国になっている。
明治以降、西洋文明の影響を強く受けながらも、キリスト教が広まらなかった唯一の国でもある。
自然崇拝の伝統は、今日でも自然を人間の理性でゆがめることなく、ありのままに受け入れる文化となって残っている。そのため、日本ではダーウィン進化論が伝統文化と衝突することなく、広く国民に受け入れられている。
西洋文明が未だ創造説や霊肉二元論の蒙昧から抜け出せないのに対し、日本は科学を抵抗なく受け止める。だからこそ、西洋の創造説や霊肉二元論に基礎を置く諸思想の侵略に抵抗する権利がある。権利、即ち「正しさ(right)」だ。
LGBTやフェミニズムや人種問題に関しても、遅れてるのは西洋の方ではないかと思う。こうした人たちが日本に来て暮してくれれば、多分納得できると思う。
日本には西洋のような、弁証法の螺旋的上昇によって形成された、化物のように巨大な形而上学の体系はない。それは別に恥ずべきことではない。なぜなら西洋哲学自体がそのせいで行き詰まり、既に終わりを迎えているからだ。
それでは『蛙合』の続き。
「第九番
左勝
夕月夜畦に身を干す蛙哉 琴風
右
飛かはづ猫や追行小野の奥 水友
身をほす蛙、夕月夜よく叶ひ侍り。右のかは
づは、当時付句などに云ふれたるにや。小の
のおく取合侍れど、是また求め過たる名所と
や申さん。閑寥の地をさしていひ出すは、一
句たよりなかるべきか。ただに江案の強弱を
とらば、左かちぬべし。」
田舎の蛙というテーマか。
夕暮れで虫が獲れなくなると、蛙も畦に上がってじっとしていることもあるのだろう。それを亀の甲羅干しみたいに「身を干す」と言い表している。まだ日の光りの残る夕月夜の頃だから、その情景が見られる。
真っ暗になると、今度は一斉に鳴きだす。その前の時間の感覚が良く表れている。
猫が蛙を追いかけるというのはありそうなことだが、それだけだと発句の題材としては弱く、付け句の体になる。そこを「小野」という名所に詠む所で発句らしく仕上げようとしたが、閑寂な山科の小野にふさわしくないという所で、「夕月夜」の句の勝ちになる。
どちらも蛙の長閑さがテーマになるというところでの組み合わせであろう。
山科の小野は「石田(いはた)の小野」「小野の細道」などが歌枕になっていて、
今はしも穂に出でぬらむ東路の
石田の小野のしののをすすき
藤原伊家(千載集)
秋といへば石田の小野のははそ原
時雨もまたず紅葉しにけり
覚盛法師(千載集)
眞柴刈る小野のほそみちあとたえて
ふかくも雪のなりにける哉
藤原為季(千載集)
などの歌に詠まれている。
「第十番
左
あまだれの音も煩らふ蛙哉 徒南
右勝
哀にも蝌つたふ筧かな 枳風
半檐疎雨作愁媒鳴蛙以与幽人語、な
どとも聞得たらましかば、よき荷担なるべけ
れども、一句ふところせばく、言葉かなはず
思はれ侍り。かへる子五文字よりの云流し、
慈鎮・西行の口質にならへるか。体かしこけ
れば、右、為勝。」
雨だれ、筧と居所の蛙の対決になる。
「半檐疎雨作愁媒鳴蛙以与幽人語」は『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』の注に、
「この詩句は増補国華集の「雨」の項に載る「●半檐の疎雨愁媒を作す[石門]●空階余滴有り、幽人と語るに似たり[坡]によるもので、前半は釈恵洪の石門文字禅の「和余慶長春十首」の一句、後半は蘇東坡の「秋懐二首」中の二句で、後半に「鳴蛙」の語を冠して七言詩の一句のごとくに仕立てたもの(石川八郎説)。」
とある。
『増補国華集』は漢詩を作る人のためのネタ帳のようなもので、そこには、
「●半檐の疎雨愁媒を作す[石門]●空階余滴有り、幽人と語るに似たり[坡]」
とのみある。この語句を用いて、判者の言葉として「鳴蛙以」を付け加えて、庇の雨だれにの愁いに帰ると語らうというふうに作っている。
ただ、この情を引き出すには「あまだれの」の句は言葉足らずでわかりにくい。
「あまだれの音に煩らふにも、蛙哉」であろう。「も」は強調の「も」(力も)で、雨だれの音にこそ煩わされるが、そこには友となる蛙がいる。
それを倒置にして「も」を「煩らふ」の前に持ってきて「あまだれの音も煩う」としている。ただ、この句だと、蛙が雨だれに煩っているように聞こえてしまう。
蝌は「かへるご」と読む。オタマジャクシのこと。「あはれにも」の上五から一気に読み下す作風は、
あはれいかに草葉の露のこほるらむ
秋風立ちぬ宮城野の原
西行法師(新古今集)
いつまでか涙くもらで月は見し
秋待ちえても秋ぞ恋しき
慈円(新古今集)
などにも通じるということか。
小川から水を汲むための筧にオタマジャクシが流れて来るのを見て、「哀れにも」と強く感情をこめる、その句の姿が評価され、この句の勝ちになる。
「第十一番
左
飛かはづ鷺をうらやむ心哉 全峰
右勝
藻がくれに浮世を覗く蛙哉 流水
鷺来つて幽池にたてり。蛙問て曰、一足独挙、
静にして寒葦に睡る。公、楽しい哉。鷺答へ
て曰、予人に向つて潔白にほこる事を要せず。
只魚をうらやむ心有、と。此争ひや、身閑に
意くるしむ人を云か。藻がくれの蛙は志シ高
遠にはせていはずこたへずといへども、見解
おさおさまさり侍べし。」
『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』の注に、これも『増補国華集』の鷺の項の、「●静かにして寒葦に眠る雨颼颼」を引用して判の文章を作っている。
『荘子』に見られるような問答の形で、寒葦の中に悠々と眠る鷺を見て、蛙がそれをうらやむが、鷺が言うには別に殊勝な心があってのことではなく、魚を獲るためだと答える。そうなると、蛙は何を羨んでいるのかよくわからない。
鷺には鷺の生活があり、蛙には蛙の生活があり、生き物は皆それぞれで多様なのだから、誰しも我が道を行けばいい、余所を羨むな、というところか。
なるがままに任せよという教えは『荘子』というよりは、『楚辞』の漁父問答に近いかもしれない。
これに対し藻隠れの蛙は、市隠の生き方に通じる。俗の中にあって、俗に交わりつつ、孤高の心ざしを保つ。
これは隠者の寓意としての蛙の対決で、迷いの「鷺を羨む蛙」に対し、悟った孤高の「藻がくれ」の蛙に軍配が上がる。
「第十二番
左持
よしなしやさでの芥とゆく蛙 嵐雪
右
竹の奥蛙やしなふよしありや 破笠
左右よしありや、よしなしや。」
何だかやる気なさそうな判だ。
「さで」は叉手のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「叉手・小網」の解説」に、
「〘名〙 掬網(すくいあみ)の一つ。交差させた竹や木に網を張ったもの。また、細い竹や木で輪を作り、平たく網を張って柄を付けたもの。さであみ。すくいあみ。
※万葉(8C後)九・一七一七「三川(みつかは)の淵瀬もおちず左提(サデ)さすに衣手濡れぬ干す児は無しに」
とある。
叉手に掛かっても、外道としてそのまま放される。役に立たない故に自由でいられる『荘子』の「無用の用」の心といえよう。
竹の奥は竹林の七賢だろうか。わざわざ蛙を飼うようなこともなかろう。蛙使いの蝦蟇仙人ならともかく。
いずれにせよ蛙は無用の用で、「よしなし」の「よしあり」というところだろう。
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