昨日打ったワクチンの副反応で、今日は37度5分の熱が出た。まあ、たいしたことはなかった。
よっしゃあっ!さんの『モンスターがあふれる世界になったので、好きに生きたいと思います』は面白かったので、一気に三巻まで読んだ。以前だと突如ゾンビが町に現れて、というネタは多かったが、それが突然異世界になってモンスターが出現するという設定になったサバイバルものだ。
ゾンビネタだと、前に読んだ榊一郎さんの『Zの時間』は面白かったけどね。
最近は異世界に転生するのではなく、異世界の方がこっちにやって来るというネタが流行ってるのかな。生咲日月さんの『地球さんはレベルアップしました!』もあるしね。
最初は個人で異世界転生してたのが、教室ぐるみで転生したり、家族みんなが転生したりになっていって、今は地球ごと異世界。まあ、コロナ以降、この世界の未来が急にわからなくなったそんな時代だからな。何か突如地球全体が変わってしまったら、という意識が何となくここ数年あったんだろうな。
急に世界が変わった時、すぐに対応できる人と取り残される人のドラマというのも見物だ。
それでは「享徳二年宗砌等何路百韻」の続き。
二裏、三十七句目。
人帰る野に月は出でけり
袖かけて匂へ千種の花の露 専順
秋の野は秋の七草をはじめ、様々な花の咲く花野となる。秋はまた草に露が降り、萩の露草の露に袖が濡れる。
日が暮れて月が出て野から帰る人は、花野の露に袖を濡らして帰ることになるが、その露に花の匂いが欲しいものだ。
この句の「本歌連歌」の本歌は、
露ぞうき野辺に一夜のかり枕
かたしく袖は草の花の香
で、日文研の和歌データベースにはない。
秋の野をわけゆく露にうつりつつ
わが衣手は花の香ぞする
凡河内躬恒(新古今集)
の歌もある。
三十八句目。
袖かけて匂へ千種の花の露
今日摘む菊に契る行末 心恵
「契る」は「千切る」と掛けて「摘む」の縁語になる。
心をばちぐさの色に染むれとも
袖にうつるは萩が花ずり
長覚法師(千載集)
の心か。前句の「袖かけて匂へ」を野の草の移り香ではなく花摺りとして、その袖で菊に共に長寿であることを約束する。
花摺りはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「花摺」の解説」に、
「〘名〙 萩または露草などの花を衣に摺りつけて色を染めだすこと。また、そのもの。
※催馬楽(7C後‐8C)更衣「わが衣(きぬ)は 野原篠原 萩の波名須利(ハナスリ)や さきむだちや」
とある。
この句の「本歌連歌」の本歌は、
我が宿の菊の白露けふ毎に
幾世積りて淵と成るらん
清原元輔(拾遺集)
で、部立では「秋」になる。特に恋の意味はない。
三十九句目。
今日摘む菊に契る行末
別れつる庭は籬も形見にて 忍誓
前句の菊を籬(まがき)の菊とする。
この句の「本歌連歌」の本歌は、
神無月霜夜の菊のにほはずは
秋の形見に何をおかまし
藤原定家(拾遺愚草)
で、「秋の形見」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「秋の形見」の解説」に、
「そのしるしとして秋が残していくもの。秋のなごりのしるし。
※拾遺(1005‐07頃か)秋・二一四「暮れてゆく秋のかたみに置くものは我がもとゆひの霜にぞありける〈平兼盛〉」
とある。
この歌の心なら、菊を秋との別れの名残とするというもので、特に人と別れるという意味はない。
四十句目。
別れつる庭は籬も形見にて
飛びかふ蝶も春やしたはん 行助
行く秋の形見ではなく、行く春の形見として、飛び交う蝶を付ける。
この句の「本歌連歌」の本歌は欠落しているという。
我が宿のやへ山吹はひとへだに
散りのこらなん春の形見に
よみ人しらず(拾遺集)
のように、秋も形見もあれば春の形見もある。
四十一句目。
飛びかふ蝶も春やしたはん
舞の名の鳥の入方霞む日に 宗砌
『新潮日本古典集成33 連歌集』の注は『源氏物語』胡蝶巻の、
「春の上の御心ざしに、仏に花たてまつらせたまふ。鳥蝶に装束き分けたる童べ八人、容貌などことに整へさせたまひて、鳥には、銀の花瓶に桜をさし、蝶は、金の瓶に山吹を、同じき花の房いかめしう、世になき匂ひを尽くさせたまへり。」
を引いている。この場面は「宗伊宗祇湯山両吟」九十一句目、
春に声する鳥の色々
袖かへすてふの舞人折をえて 宗伊
でも用いられている。
蝶の舞は雅楽の『胡蝶楽』だったが、鳥の舞は『迦陵頻(かりょうびん)』になる。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「迦陵頻」の解説」に、
「雅楽の曲名。「迦陵頻伽(かりょうびんが)」「不言楽(ふごんらく)」ともいう。雅楽の唐楽曲で、舞楽・管絃(かんげん)両方がある。林邑(りんゆう)八楽の一つ。壱越調(いちこつちょう)が原曲。双調(そうじょう)に破と急、黄鐘調(おうしきちょう)に急の渡物(わたしもの)(一種の移調曲)があり、これらは鳥破(とりのは)・急などとよぶ。舞は童舞(どうぶ)四人舞。迦陵頻伽は天来の妙音をさえずる極楽の霊鳥として平安時代より書物にみられるが、この楽曲では、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の供養の日に極楽からその鳥が飛んできて舞い遊んだので、そのようすを妙音天が楽舞に仕立て阿難尊者(あなんそんじゃ)に伝えたという伝説がある。舞人の稚児(ちご)たちは、頭上には紅梅で飾った天冠(てんがん)、背には鳥をまねた極彩色の羽をつけ、両手に銅拍子(どびょうし)を持って打ち鳴らしつつ舞う。同じ童舞である番舞(つがいまい)の『胡蝶(こちょう)』とともにその可憐(かれん)な舞い姿が愛されている。[橋本曜子]」
とある。『胡蝶楽』と『迦陵頻』は対を成すもので、『源氏物語』胡蝶巻もその趣向だったのだろう。
この句の「本歌連歌」の本歌も欠落しているという。
和歌に「舞(まひ)」を詠むことはかなり稀なのかもしれない。
よろづ世のまひの袖ふる宿にこそ
あるじたづねてもろひともくれ
大中臣輔親(夫木抄)
の歌はあるが。元から本歌がなかったのかもしれない。
四十二句目。
舞の名の鳥の入方霞む日に
うたふや木陰梅が枝のこゑ 忍誓
「梅が枝」は『新潮日本古典集成33 連歌集』の注に「催馬楽の曲」とある。
梅が枝に来ゐる鶯や 春かけて はれ
春かけて鳴けどもいまだや 雪は降りつつ
あはれそこよしや 雪は降りつつ
という歌詞で、前句を鶯の舞手が退場して、梅が枝を謡う声が残るとする。
「本歌連歌」の本歌は、
とりどりに大宮人のうたふなる
にほひは雲の梅が枝の声
で、日文研の和歌データベースにはない。
梅が枝の鶯の声は和歌にも詠まれているが、「梅が枝」の歌の声という意味ではこの歌が典拠となる。
四十三句目。
うたふや木陰梅が枝のこゑ
友誘引難波の舟子棹取りて 心恵
「誘引」は「さそふ」と読む。
前句の歌を難波の舟遊びとする。
「本歌連歌」の本歌は、
出舟のかたへに月のにほふらし
霞む難波の宮の面影
で、日文研の和歌データベースにはない。
難波の舟子の典拠であろう。
「出舟(いでふね)の」用例は、
ともになりておなじみなとを出舟の
ゆくへもしらずこぎわかれぬる
西行法師(山家集)
の歌がある。
難波の宮の舟は、
ありかよふ難波の宮は海ちかみ
あまをとめこがのれる舟みゆ
よみ人しらず(風雅集)
の歌がある。
四十四句目。
友誘引難波の舟子棹取りて
干さぬ田蓑の島人の衣 宗砌
難波の舟子の服はいつも濡れていて、干すこともない。
「田蓑の島」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「田蓑島」の解説」に、
「平安時代以前、大阪市西淀川区の一帯が海であったころ、佃のあたりにあったと考えられる島。
※神楽歌(9C後)大前張「〈末〉海人衣 多見乃々志万(タミノノシマ)に 鶴(たづ)立ちわたる」
とある。歌枕で、
難波潟しほみちくらしあま衣
たみのの島にたづなき渡る
よみ人しらず(古今集)
など、和歌に多く詠まれている。
「本歌連歌」の本歌は、
ふる雨に袖ぞのどけき島人の
ほさぬ田蓑を衣とおもへば
で、日文研の和歌データベースにはない。
田蓑の島人の典拠であろう。
同時代の歌に、
折ふしもしらぬ田蓑の島人も
けふはなこしの御祓すらしも
正徹(草魂集)
の用例がある。
四十五句目。
干さぬ田蓑の島人の衣
雨ぞふる袖や五月に成りぬらん 行助
前句の「干さぬ」を五月雨だからだとする。
「本歌連歌」の本歌は、
旅人の露はらふべき唐衣
まだきも袖のぬれにけるかな
三条太皇太后宮(拾遺集)
で、「別」に部立されている。何の典拠なのかはよくわからない。
四十六句目。
雨ぞふる袖や五月に成りぬらん
いつを晴間の思ひならまし 専順
五月雨でいつ晴れるのか。降りやまぬ雨に、止まらない涙の袖の露を暗示させる。
後の『宗長日記』の享禄四年のところにある独吟の中の、
いつまでとふる五月雨のかきくらし
雲間の空もはるかにぞ見る 宗長
の句を思わせる。
「本歌連歌」の本歌は、
いく度か時雨の空のかはるらむ
心に曇る有明の月
で、日文研の和歌データベースにはない。
時雨に曇る有明に心の曇りを重ねるという趣向は、五月雨の晴間のないのに心の晴れないのを重ねる趣向に通じないこともない。
四十七句目。
いつを晴間の思ひならまし
閉ぢこむる葎の奥の宿の秋 専順
葎の茂る荒れ果てた家に閉じこもっているのも憂鬱で、いつ晴間があるのだろうか。
「本歌連歌」の本歌は、
おもひあらば葎の宿にねもしなん
ひじきものには袖をしつつも
で『伊勢物語』第三段の歌になる。「ひじき藻」と「敷き物」に掛けている。
かひなしや我のみふかきおもひには
葎の宿に袖をしきても
小宰相(宝治百首)
の歌もあるが、これの本歌でもあるのか。
四十八句目。
閉ぢこむる葎の奥の宿の秋
蓬が露に更くる有明 心恵
八重葎も荒れ果てた宿の形容によく用いられるが、同じように「蓬生」も用いられる。閉じ籠る宿には葎だけでなく蓬も露を結ぶ。
「本歌連歌」の本歌は、
風ぞうき有明の月の影ながら
露おきそふる蓬生のやど
で、日文研の和歌データベースにはない。
蓬に有明の典拠であろう。
四十九句目。
蓬が露に更くる有明
髪白く置きそふ霜の夜はながし 専順
前句の蓬を蓬髪(ほうはつ)とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蓬髪」の解説」に、
「〘名〙 蓬(よもぎ)のように伸びて乱れた頭髪。蓬頭。
※本朝無題詩(1162‐64頃)二・賦艾人〈藤原明衡〉「親朋憐レ汝宜レ憐レ我、蓬髪蹉跎余二七旬一」
※鬼剥げ(1954)〈島尾敏雄〉「汚れた長屋の前で蓬髪(ホウハツ)のかみさんが」 〔晉書‐阮孚伝〕」
とある。
白髪は李白の、
秋浦歌 李白
白髪三千丈 縁愁似箇長
不知明鏡裏 何処得秋霜
(白髪頭が三千丈、悩んでいたらまた延長。
鏡は誰だかわからない、どこで得たのかその秋霜。)
の詩でも霜に喩えられるが、それに加えて蓬のように乱れた髪に露が降りる。
「本歌連歌」の本歌は、
老が身の昔の跡やしたふらし
霜に跡なきくろかみの山
で、日文研の和歌データベースにはない。白髪を霜に喩える和歌での典拠であろう。
五十句目。
髪白く置きそふ霜の夜はながし
忘れぬすぢをかたれ古へ 忍誓
前句の「夜はながし」から「かたれ」と展開する。前句が李白の「秋浦歌」なら、これは白楽天の「琵琶行」か。
俳諧だと、
碪打ちて我にきかせよ坊が妻 芭蕉
の句もある。
「本歌連歌」の本歌は、
いにしへはおどろかされて鐘の音を
待ちてこそきけ老の暁
で、日文研の和歌データベースにはない。
「いにしへ」を神仏の故実ではなく、老人の過去の回想に用いる典拠であろう。
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