今回の知床の事故では、岸田首相が急遽熊本から官邸に戻る事態になった。場所がロシアと国境を接するだけに、自衛隊の災害派遣要請に基づく救助活動に、日本が侵略してきたといちゃもん付ける可能性もないとは言えない。侵略の口実にされるかもしれない。何が起こるかわからない今の情勢だ。
当然ながら、こういう時は、救助活動の一部始終を録画する必要があるし、衛星などで国際的に無実を証明できるアリバイを揃えなくてはならない。ただでさえ悪天候の中で、大変な作業になる。
とにかくロシアは侵略の意図を隠さないし、中国が連動しなかったのが誤算だったにしても、未だに世界大戦の混乱を狙っている。反米諸国が一斉に放棄すれば、世界最強の米軍とはいえ多方面に戦力が割かれてしまい、ウクライナにも手が回らなくなる。
あと、日本も今はコロナの恐怖が終わり、関心が防衛の問題に向かっているはずだ。これに乗じて、これを最大のチャンスとして、防衛に対する議論を高めてゆかなくてはならない。
あえて「乗じて」だとか「チャンス」だとか、左翼を挑発する言葉を使っても良い時だと思う。大きな災害が起きた時は、防災の意識を高める最大のチャンスであり、それに乗じて防災対策を推し進めることは何ら悪いことではないし、恥じることでもない。防衛の議論もそれと同じだ。
挑発のスキルは大きく言って二つの使い方がある。
一つは格下に対して用いるやり方で、要するに挑発して、それに乗っていきり立って攻めてきたら、そこを力でねじ伏せる。対立状態を一気に解消したい時に用いる。
もう一つは格上に対して用いるやり方で、挑発して、それに何らかの反応を示した時点で思いっきり被害者面する。北朝鮮の得意とする瀬戸際外交がそれで、被害者面してごねながら、何らかの譲歩を得ようとする。
今のところロシアがやっているのは後者の方で、冷静に分をわきまえて、格下だということがわかっててやっているんだと思う。だから余計たちが悪い。
話は変わるが、ウィキペディアの李白の所を読んでいたら、
「草堂集序」「新墓碑」『新唐書』などが伝えるところによると、李白の生母は太白(金星)を夢見て李白を懐妊したといわれ、名前と字はそれにちなんで名付けられたとされる。」
とあった。李白の字は太白。
そこであの「狂句木枯し」の巻の三十三句目、
箕に鮗の魚をいただき
わがいのりあけがたの星孕むべく 荷兮
は空海ではなく、李白のことだったと考えた方が良いのかもしれない。鮗(このしろ)を「子の白」と取り成す。
李白が日本に転生したら「しろちゃん」て呼ばれるのかな。
それでは「川尽て」の巻の続き。
十三句目。
侘てはすがる僧の振袖
思ひ得ず揚弓くるる園深し 露沾
揚弓は矢場などで用いる遊戯用の弓で、元禄二年九月、大垣での「はやう咲」の巻二十三句目にも、
二代上手の医はなかりけり
揚弓の工するほどむつかしき 曾良
の句がある。
ここでは矢場ではなく、稚児が庭で揚弓で遊んでたら殺生をしてしまったのだろう。主人の僧に怒られている。
十四句目。
思ひ得ず揚弓くるる園深し
三たび浴ミて夏を忘ルル 其角
揚弓で汗を流した後は、三回水を浴びて涼む。
十五句目
三たび浴ミて夏を忘ルル
我鞍に蝉のとどまる道すがら 沾徳
旅体に転じる。馬を降りて水浴びをしてると、鞍に蝉が止まる。
十六句目。
我鞍に蝉のとどまる道すがら
砂吹上る垣の松風 露荷
海辺で風の強い所だろう。砂除けに松を植えている。
蝉に松風は、
琴の音に響きかよへる松風を
調べてもなく蝉の声かな
よみ人しらず(新拾遺集)
の歌がある。
十七句目。
砂吹上る垣の松風
燭とりて花すかしみる須磨の浦 嵐雪
松風から須磨の浦を付ける。謡曲『松風』では在原行平が須磨に配流されたときに、松風・村雨の二人の海女と暮らしたというその跡を訪ねて行く物語で、
「さてはこの松は松風村雨とて、姉妹の女人のしるしかや。その身は土中に埋もるれども、名は残る世のかたみとて、変らぬ色の松一木、緑の秋を残すらん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.31684-31688). Yamatouta e books. Kindle 版. )
と、形見の松が残されている。
三年の月日をここで過ごしたなら、紙燭の明りで花を見ることもあっただろう。
十八句目。
燭とりて花すかしみる須磨の浦
小の弥生の光みじかき 虗谷
旧暦では大の月は三十日で小の月は二十九日になる。一日でも春が早く行ってしまうように思える。その短い春なら、夜でも花を楽しみたい。
二表、十九句目。
小の弥生の光みじかき
濃墨に蝶もはかなき羽を染て 其角
この頃は蝶というと黄蝶を指すことが多かったが、短い春を儚んだか、出家して墨染の衣を着る蝶がいる、とする。クロアゲハか何かだろう。
二十句目。
濃墨に蝶もはかなき羽を染て
氷を湧す蓬生の窓 露沾
宮廷の華やかな蝶のような女性も、後ろ盾を失い、家は荒れ果てて蓬生の宿になる。冬は雪に埋もれ、氷を沸かして溶かして生活する。
『源氏物語』蓬生巻に、
「霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日、夕日をふせぐ蓬葎の蔭に深う積もりて、越の白山思ひやらるる雪のうちに、出で入る下人だになくて、つれづれと眺め給ふ。」
(十一月になると雪や霰が時折降って、余所では所々融けているのに、朝日や夕日を遮る蓬や葎の陰に深く積ったまま、越中白山を思わせるような雪の中には出入りする下人すらいなくなって、ただぼんやりと眺めていました。)
という場面がある。
二十一句目。
氷を湧す蓬生の窓
うれしさよ若衆に紙子きせたれば 露荷
寒い中の貧しい生活で、紙子を着せてもらえれば嬉しい。紙は風を通さないので暖かい。
二十二句目。
うれしさよ若衆に紙子きせたれば
東に来てもまた恋の奥 沾徳
紙子を旅支度とする。後の芭蕉の『奥の細道』にも、「帋子一衣(かみこいちえ)は夜の防ぎ」とある。
東国にやって来て、更に陸奥まで行っても恋をする。在原業平であろう。
二十三句目。
東に来てもまた恋の奥
常陸なる板久にあそぶ友衛 虗谷
板久は「イタコ」とルビがあるので潮来のことだろう。潮来は水運の要衝で遊郭があった。
井原西鶴の『好色一代男』の世之介も全国津々浦々の遊郭めぐりをやっていて、常陸鹿島にも来ているから、潮来にも立ち寄っていたかもしれない。
友衛はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「友千鳥」の解説」に、
「① 群れ集まっている千鳥。むらちどり。むれちどり。
※源氏(1001‐14頃)須磨「ともちどりもろ声になくあか月はひとりねさめのとこもたのもし」
② 植物「こあにちどり(小阿仁千鳥)」の異名。」
とある。遊郭があれば人も群がる。
友千鳥は、
友さそふ湊の千鳥声すみて
氷にさゆる明け方の月
和泉式部(続千載集)
友千鳥群れて渚に渡るなり
沖の白洲に潮や満つらむ
源国信(新勅撰集)
などの歌に詠まれている。
二十四句目。
常陸なる板久にあそぶ友衛
笑に懼て沉む江の鮒 嵐雪
「懼て」は「おぢて」とルビがある。「沉む」にルビはないが「しづむ」であろう。
遊ぶ友千鳥だから、その声は笑っているように聞こえる。鮒は食われまいと千鳥の笑い声を恐れ、川深く潜る。
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