2022年4月5日火曜日

 今日は市ヶ尾の鶴見川沿いに咲いているという仙台屋桜を見に行った。なんでも仙台屋桜は牧野富太郎先生によるネーミングだという。ピンク色だが染井吉野よりは濃く、陽光桜よりは淡いという感じだった。染井吉野より若干遅れて咲くというだけあって、今が見頃だった。
 キーウの虐殺は他人事ではなく、ロシアが日本に攻めてきたら当然起こることだ。丸腰の平和デモて対抗できるなんて思わない方が良い。
 ミンチにされるのはまだしも、さんざん屈辱を受けたうえでじわじわと殺される、アニメでもお馴染みのあの場面が本当に起こると見た方が良い。
 しかも、やったのはロシア兵ではなく日本のネトウヨがやったなんて言い出すに決まっている。
 岸田政権に対しても、極右、ネオナチなど、あらゆるレッテル貼りで国防の正当性を奪おうとしてくるだろう。ネット上で元首相に対して行われている罵詈雑言を、そっくりそのまま使って来るんじゃないかな。最後は日本が憲法第九条を守らなかったから侵略した、ということにする。侵略の名目はアイヌ、在日、琉球の開放。使える道具は何でも使うというのが独裁者だ。
 いじめの問題でもそうだが、いじめられてる人も普通の人間で、叩けば必ず埃は出てくるものだ。いじめる奴はそれをあげつらっていじめを正当化する。
 どんな議論でも必ず反対の議論が可能であるというのは、古代ギリシャのソフィストたちが発見したことで、反対側の立場に立てば、物事はすべて逆に見えてくる。だがそれは「反対側の立場」だからだ。
 自分の立場がどっちなのか、結局一番大事なのはそれだ。理性が中立を要求しても、我々は生きるために、自由を守るために、そして愛する人を守るために、それに逆らわなくてはならない。それが人間だ。
 帰納法は未来を予測できず、演繹法は無矛盾の体系を作ることができない。つまり真理は理屈ではない。
 真理はただ自分自身の中の沈黙する自由の中にしかない。それを守るのが我々の正義だ。その正義が一人一人異なるなら、必要なのは闘争ではない。生存の取引だ。
 なぜ第二次大戦後に西洋の哲学者たちが哲学を終わらせることに情熱を傾けたか、今こそ思い出そう。哲学は必ず矛盾し、対立と分断を生み出す根源だからだ。

 それでは「享徳二年宗砌等何路百韻」の続き。

 名残表、七十九句目。

   鳥の声する春の古畑
 打ち返す小田には人の群りて   忍誓

 新しく打ち返す田んぼには人が群がって、古い畑には鳥が群がる。相対付け。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 打ちかへす山田に人のあつまりて
     木陰の花を誰見はやさん

で、日文研の和歌データベースにはない。
 「あつまりて」という言葉自体が、

 夜はの月かならすいつる山のはに
     雲あつまりて又そきえ行く
              正徹(草魂集)
 みなきはに鷺あつまりて河きしの
     石にゐる鵜のおるるをそまつ
              正徹(草魂集)

の二例しかヒットしなかったので、この言葉の典拠というだけでも十分だろう。
 打ち返すに人が集まるだから、この趣向全体の典拠にもなっている。
 「あつめ」で検索すると古い時代のも二三あるが「かきあつめ」の用例が多い。

 このもとにかきあつめつる言の葉を
     ははその森のかたみとは見よ
              源義国妻(詞花集)

のように、落葉を搔き集めるのを「言の葉」を書き集めるのと掛けて用いられる。
 「あつまり」で検索すると、

 村雨にたち隠れせし柏木の
     青葉に夏はあつまりにけり
              源重之(重之集)

の一件がある。
 「あつまる」が雅語でないとするなら、

 五月雨をあつめて早し最上川   芭蕉

の句も、「あつめて」が俳言だったのかもしれない。
 八十句目。

   打ち返す小田には人の群りて
 阿辺野の原ぞ市をなしたる    専順

 阿倍野というと今はあべのハルカスがあるが、昔は野原に市が立つような場所だったのだろう。『新潮日本古典集成33 連歌集』の島津注は、謡曲『松虫』のの冒頭に、

 「これは津の国阿部野のあたりに住居する者にて候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.52741-52743). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とあるのを指摘している。
 阿倍野の野原に市が立ったので、周辺の小田を打ち返す農夫たちが集まってくる。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 帰るさの雨こそ人は知られけれ
     安部野の原の草のにぎはひ

で、日文研の和歌データベースにはない。安部野の原の典拠となる。
 「阿部の市」は古歌にも詠まれているが、これは駿河国の阿部を指す。
 八十一句目。

   阿辺野の原ぞ市をなしたる
 見わたせば浪に虹立つあさかがた 宗砌

 浅香潟はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「浅香浦」の解説」に、

 「大阪府堺市東部の古名。大和川の沿岸一帯にあたり、古くは海に面していた。摂津の名所。歌枕。浅香潟。
  ※万葉(8C後)二・一二一「夕さらば潮満ち来なむ住吉の浅鹿乃浦に玉藻刈りてな」

とある。元は浦だったのが時代が下って、寒冷期の海面の低下で干潟になったか。

 夕波のたゆたひくればあさかがた
     塩ひのゆたに千鳥鳴くなり
              蓮性(宝治百首)

の歌がある。蓮性は藤原知家の出家後の名前。『新古今集』に入集しているので、一応は八代集の時代の歌人に入るのか。
 前句の所の本歌に「帰るさの雨こそ」とあるから、そこから浅香潟の虹へ展開したのだろう。ただ、「浅香潟」の名に掛けて、ここでは朝方の虹であろう。大阪湾は西側になるので、西に虹が出るのは朝方になる。
 朝市なら未明から市が立ち、市の終わるころの虹ということか。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 打ちむかふ浪のうねうね茂るらし
     あべのの原の草はうら枯

で、日文研の和歌データベースにはない。阿倍野の原に浪を付ける典拠となる。
 『新潮日本古典集成33 連歌集』の島津注に「うねうね」の語は謡曲『草子洗小町』に見られるという。(日文研の和歌データベースではヒットしなかった。)

 「さても明日内裏にて、御歌合あるにより、小町が相手に黒主を御定め候。小町には水辺の草といふ題を賜はりたり。面白や水辺の草といふ題に浮かみて候はいかに。

 蒔かなくに何を種とて浮草の
     波のうねうね生ひ茂るらん

 この歌をやがて短冊にうつさばやと思ひ候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.32140-32148). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とある。この歌が『万葉集』にあるという疑いをかけられることになる。物語の上では結構重要な歌だ。
 「虹立つ」は、

 時雨つつ虹立つ空や岩橋を
     渡し果てたる葛城の山
              寂蓮法師(夫木抄)

の用例がある。
 八十二句目。

   見わたせば浪に虹立つあさかがた
 朝かげ寒く向ふ雪の日      行助

 「朝かげ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「朝影」の解説」に、

 「① 朝、鏡や水に映る顔かたちや姿。
  ※万葉(8C後)一九・四一九二「朝影(あさかげ)見つつ 嬢子(をとめ)らが 手に取り持てる まそ鏡」
  ② 朝日の光。⇔夕影。
  ※宇津保(970‐999頃)春日詣「あさかげにはるかに見れば山のはに残れる月もうれしかりけり」
  ③ 朝日によってできる細長く弱々しい影。恋の悩みなどでやせ細った人の姿をたとえていう。
  ※万葉(8C後)一一・二六六四「夕月夜暁闇(あかときやみ)の朝影(あさかげ)に吾が身はなりぬ汝を思ひかねて」
  [補注]③の挙例の比喩の用法については、「朝日のほのかな弱々しい光のように」と解する説もある。」

とある。この場合は②であろう。浪の向こうには虹がかかり、辺りは一面の雪で朝日が寒々としている。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 うす雲の時雨ぞ雪の初めなり
     朝明寒き嶺の松風

で、日文研の和歌データベースにはない。時雨が雪に変わるというところから、時雨の虹に雪の朝とする。
 八十三句目。

   朝かげ寒く向ふ雪の日
 帰るさの袖の氷に月落ちて    心恵

 朝ということで後朝にして恋に転じる。
 袖の露(涙)は冬だから氷になり、有明の月も沈めば、寒々とした朝日が一面の雪原を照らす。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 跡つけぬ雪にはいかに朝かへり
     入る方までもさゆる月影

で、日文研の和歌データベースにはない。雪の後朝の月影の典拠となる。
 「さゆる月影」は

 降り積もる雪吹きおろす山おろしに
     山の端白くさゆる月影
              後鳥羽院(後鳥羽院御集)

の用例がある。
 八十四句目。

   帰るさの袖の氷に月落ちて
 つらき心はとけん夜ぞなき    専順

 袖の涙が氷ったまま、恋のつれない心の氷は解けることがない。前句が帰って行く男の歌なのに対し、見送る女性のつらき心に転じる。あなたは氷のように冷たい、というところか。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 契りつる其の時ばかり打ちとけて
     別れになれば結ぶ思ひね

で、日文研の和歌データベースにはない。
 まあ、セックスの時だけ馴れ馴れしくて、終わると急に冷淡になる男っているよね。その趣向の典拠となる。
 八十五句目。

   つらき心はとけん夜ぞなき
 覚めやすき夢の思ひね結ぼほれ  宗砌

 「思ひね」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「思寝」の解説」に、

 「〘名〙 物を思いながら寝ること。多く恋しい人のことを思いながら眠る場合に用いられる。
  ※古今(905‐914)恋二・六〇八「君をのみおもひねにねし夢なれば我心から見つるなりけり〈凡河内躬恒〉」

とある。例文にある通り、古今集の和歌に用いられている。
 「結ぼほる」は絡みつく、とそこから比喩として派生した気が塞ぐという意味があり、「葛藤」という言葉に近い。
 愛しい人の夢を頼みに寝ることで、いい夢が見れたとしても、覚めた時は空しいものだ。辛い心は何も変わらない。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 ぬるもうし覚むるもつらし我が心
     あふ夜の夢をあだになすよは

で、日文研の和歌データベースにはない。逢う夢を見ても夢なら悲しいことに変わりない。語句ではなく、この心の典拠となっている。
 八十六句目。

   覚めやすき夢の思ひね結ぼほれ
 吹くもたゆむる同じ松風     忍誓

 夢に現れても醒めれば空しいように、松風の悲しげな音が強く吹いても緩く吹いても、やはり悲しいことには違いない。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 ふりはるる時雨の雲はさだめなき
     さゆる嵐ぞ同じ松風

で、日文研の和歌データベースにはない。
 降っても晴れても時雨の雲は定めないように、降っても晴れても嵐吹く松風は悲しげなことに変わりない。これも松風の変わりないという趣向の典拠となる。
 八十七句目。

   吹くもたゆむる同じ松風
 出でがてになるみの里の雨宿り  専順

 なるみの里は尾張鳴海で、江戸時代には芭蕉が『笈の小文』の旅で、

   鳴海にとまりて
 星崎の闇を見よとや啼く千鳥   芭蕉

の句を詠んでいる。

 ふるさとにかはらざりけり鈴虫の
     なるみの野辺の夕暮れの声
              橘為仲(詞花集)

など、古歌にも詠まれている。
 海辺で「鳴海潟」とも呼ばれる所なので、松風も吹く。前句の本歌の「時雨の雲はさだめなき」に応じて、ここでは鳴海の雨宿りを付ける。雨が降っても雨が止んでも松風は悲しげだ。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 雨雲になるみの里はむらがりて
     聞くぞ物うき松風の音

で、日文研の和歌データベースにはない。鳴海の里の松風の典拠となる。
 八十八句目。

   出でがてになるみの里の雨宿り
 おくるる舟はかたもさだめず   心恵

 江戸時代の東海道は隣の宮宿から七里の渡しの舟が出ていた。室町時代から既にこの航路はあったようだ。ただ、ここでは鳴海宿からなので、それとは別に伊勢湾を渡る舟があったのだろう。
 行く当てもないさすらい人の旅で、鳴海の里から船には乗るが、行き先は定めていない。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 雨の音ちかく鳴海のとまり舟
     うきおくれてはかたぞさだめず

で、日文研の和歌データベースにはない。鳴海の舟の行衛定めずの典拠となる。
 八十九句目。

   おくるる舟はかたもさだめず
 藻塩焼く浦はほかげをしるべにて 宗砌

 藻塩を焼く侘し気な浦は古典の須磨の浦を思わせる。須磨明石で行方を定めずといえば、

 ほのぼのとあかしの浦の朝霧に
     島隠れゆく舟をしぞ思ふ
              よみ人しらす(一説、柿本人麿)(古今集)

の良く知られた歌の趣向になる。あるいは、

 わたのはらやそしまかけて漕ぎ出でぬと
     人には告げよあまのつり舟
              小野篁(古今集)

など、流刑を暗示させる。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 雲かけてさだかにもなき奥の舟
     それかあらぬか夕ざれの空

で、日文研の和歌データベースにはない。
 九十句目。

   藻塩焼く浦はほかげをしるべにて
 海士の栖を誰かとふらん     専順

 藻塩焼くと言えば海士で、海士の栖を問うというと在原行平が思い浮かぶが、ここれは問う人もない普通の海士の栖を詠む。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 浦里の藻塩の煙絶えてけり
     かよひぢ稀の海士の家々

で、日文研の和歌データベースにはない。問う人のない海士の栖の典拠となる。
 九十一句目。

   海士の栖を誰かとふらん
 秋はただ山路を分けぬ人もなし  行助

 海士の栖に山路と違えて付ける。山路をわざわざ訪ねて行く人もいないから、ましてや海士の栖を訪れる人もいない。「山路を分けぬ」で切って「人もなし」という否定を二つ重ねて否定を強調する言い回しか。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 村雲は高根の峰の時雨にて
     分けぬ山ぢの爪木取る人

で、日文研の和歌データベースにはない。「山路を分けぬ」の典拠となる。
 二重否定による肯定とすると意味が通じないし、本歌の「誰も分て行く人のいない山路に爪木取る人」の意味が生かされない。
 九十二句目。

   秋はただ山路を分けぬ人もなし
 四方の木どもの紅葉する比    心恵

 前句を「山路を分けて行かない人などいない」という二重否定の肯定で、紅葉が見事だから誰もが訪ねて行く、とする。
 「本歌連歌」の本歌は、 

 色付くる野原の草の露ながら
     山に心をうつすもみぢ葉

で、日文研の和歌データベースにはない。山が紅葉すれば、山路の草の露にもその心が映るということで、山路をみんな分け入るということか。

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