2022年4月1日金曜日

 今日は旧暦の弥生の朔日。春も晩春になる。三回目のワクチン接種に行った。駅前の染井吉野はすでにやや散っていた。
 ワクチン接種のペースがかなり落ちていている。高齢者は82.3パーセントだが、若い世代の関心がかなり低下しているのかもしれない。死亡率が低いからしょうがないのかもしれないが。予約がかなり取りやすくなっているようだ。
 「チェルノブイリには行きたくない」とブルーハーツも歌ってたが、あれも「チョルノービリには行きたくない」になるのかな。今のロシア兵もそう思ってるだろうな。
 ただ、軍が引いた時が危ない。遠距離攻撃は可能だし、自軍を巻き込みたくないような強力な兵器を使用する可能性もある。
 それでは「享徳二年宗砌等何路百韻」の続き。

 二表、二十三句目。

   時雨関もる不破の山道
 世のかため破れずしてや古りぬらん 宗砌

 不破は破れずと書く。不破の関は国の平和を守るために、破れずに、ただ年を経て古びて言っただけなのだろう。今も時雨の中で関を守っている。
 どこか「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉を思い出させる。不破の関は破れず、ただfade awayするのみ。
 「本歌連歌」の本歌は、

 植ゑ置きし二木の杉は世のかため
     やぶれて見ゆる不破の関宿

だが、日文研の和歌データベースではヒットしなかった。「世のかため」の語を俗歌から追加するための本歌であろう。
 二十四句目。

   世のかため破れずしてや古りぬらん
 苔むす皷打つ声もなし     心恵

 世の平和を守る堯帝の故事にある鼓の、皮の破れずとして、それが古くなってゆくから、打つ人もなく苔むして行く、とする。
 『新潮日本古典集成33 連歌集』の島津注は、

 「訴えのある者にうたせて、自ら裁定しようと言った古代中国の堯帝の故事(『鄧析子』)により、苔むしているのは太平の証。「刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去り、
諌鼓苔深うして鳥驚かず」(『和漢朗詠集』帝王、小野国風)「うちならす人しなければ君がよはかけし鼓も苔むしにけり」(『堀河百首』紀伊)など。」

とある。
 内容的にはこれらのものから出典を取っているが、「本歌連歌」の本歌は、

 よる浪の音は鼓の滝に似て
     岩屋の苔を風に吹く比

で、これは鼓を名所の鼓の滝にとりなし、苔を岩屋の苔に取り成す可能性を示している。鼓の滝はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鼓滝」の解説」に、

 「[一] 神戸市北区有馬町にある滝。
  [二] 熊本市北西部の河内川にかかる滝。つづみがたき。歌枕。
  ※拾遺(1005‐07頃か)雑下・五五六・詞書「清原元輔肥後守に侍ける時、かのくにのつつみのたきといふ所を見にまかりたりけるに」
  [三] 謡曲。脇能物。作者未詳。当代に仕える臣下が、宣旨により山々の花を見て回るうち、摂津の国鼓の滝で木こりに姿を変えた山神に会い、奇特の舞を見る。廃曲。」

とある。[二]の拾遺集の歌は、

   清原元輔肥後守にはべりける時、かの国の鼓
   の滝といふ所を見にまかりたりけるに、こと
   やうなる法師のよみはべりける
 音に聞く鼓の滝をうち見れば
     ただ山川の鳴るにぞありける
             よみ人しらず

という歌。
 二十五句目。

   苔むす皷打つ声もなし
 絵にかける巌も浪も滝に似て  専順

 先の、

 よる浪の音は鼓の滝に似て
     岩屋の苔を風に吹く比

による取り成しで、絵に描いた鼓の滝も岩屋も実物に似てるが、鼓を打つ声はしない、絵だから、とする。
 「本歌連歌」の本歌は、

 うつす絵の滝はそれとも見えわかで
     それかあらぬか筆のすみがれ

だが、日文研の和歌データベースではヒットしなかった。
 「絵にかける」の語は和歌データベースでは十一件ヒットする。

   時時見えけるをとこの、
   ゐる所のさうしにとりのかたをかきつけて
   侍りけれは、あたりにおしつけ侍りける
 ゑにかける鳥とも人を見てしかな
     おなし所をつねにとふへく
             本院侍従(後撰集)

の歌など、鳥、乙女、二つの牛、松、花などの「絵にかける」が詠まれているが、滝は詠まれていない。滝を絵に描くはこの本歌による。
 二十六句目。

   絵にかける巌も浪も滝に似て
 終にやおちん水茎の跡     忍誓

 前句の「滝に似て」から筆から墨が落ちるとする。
 水茎の用例はたくさんあるので、特に俗歌を引く必要もなさそうだが、「本歌連歌」の本歌は、

 水くきの跡を見てこそ知られけれ
     恋路にまよふ人の心は

になっている。日文研の和歌データベースではヒットしない。
 二十七句目。

   終にやおちん水茎の跡
 人心見えみ見えずみたどたどし 宗砌

 相手の何を言おうとしているかが、わかったようなわからないようなたどたどしい手紙で、そう思っているうちに恋に落ちてしまう、という意味か。
 これも前句の本歌による付けで、恋に転じている。
 この句の「本歌連歌」の本歌は、

 折節もうつればよわる世の中に
     人の心や花染の袖

で、

   夏のはじめの歌とてよみ侍りける
 折ふしも移れば替へつ世の中の
     人の心の花染めの袖
             俊成女(新古今集)

であることは『新潮日本古典集成33 連歌集』の島津注が指摘している。「人心(ひとごころ)」の典拠であろう。ただ、「人心」の用例はたくさんある。
 二十八句目。

   人心見えみ見えずみたどたどし
 かよふやいづこ夜な夜なの夢  行助

 前句の「たどたどし」を「かよふ」で受け、たどたどしく通うとする。毎晩のように夢で通っているのだが、逢える時もあれば逢えない時もある。
 「本歌連歌」の本歌は、

 枕香の人の面影立ちそひて
     あふ夜の夢のはてなんもうし

で、日文研の和歌データベースにはない。「夜な夜なの夢」は「よなよな夢に」の形なら、

   心さし侍りける女のつれなきに
 思ひねのよなよな夢に逢ふ事を
     たたかた時のうつつともかな
             よみ人しらず(後撰集)

の用例がある。
 二十九句目。

   かよふやいづこ夜な夜なの夢
 手枕に花の香とめよ春の風   忍誓

 夢の手枕なのでいずれは覚めるものだが、せめて花の香だけは残ってほしい。
 楚の懐王が夢で巫山の神女と契った故事も思い起こさせる。
 「本歌連歌」の本歌は、

 梅がかや今朝の嵐に匂ふらん
     春まだ遅きをのの山里

で、日文研の和歌データベースにはない。次の句を付ける時に、「花の香」に「小野の山里」を付ける典拠となる。時々だが、一句ずれているのではないかと思える本歌がある。

 みる夢のさむる枕の梅が香や
     むかしの風のかたみなるらん
             正徹(草魂集)

の歌もある。正徹も同時代の人なので、この本歌連歌も俗歌の言葉を取り入れた雅語の革新と連動してたのだろう。
 三十句目。

   手枕に花の香とめよ春の風
 梅咲く小野の曙の空      専順

 小野の山里は、

 鹿のねを聞くにつけても住む人の
     心しらるる小野の山里
             西行法師(新後撰集)
 ふる雪に小野の山里あともなし
     煙やけさのしるべなるらむ
             番号外作者(新千載集)

などの歌はあるが、梅咲く小野の山里は前句の本歌の、

 梅がかや今朝の嵐に匂ふらん
     春まだ遅きをのの山里

の歌が典拠になる。
 この句の「本歌連歌」の本歌は、

 桜咲くひばりの床に招かれて
     梅なつかしみ暮す春哉

で、日文研の和歌データベースにはない。
 桜に雲雀は、

 梢より羽風をふれて桜さく野への
     雲雀もおつる花かな
             正徹(草魂集)

と、あと一首、この時代より後の思われる肖柏の、

 ゆふ雲雀床もわすれて桜花
     ちりかひかすむ空に鳴くなり
             肖柏(春夢草)

の歌がある。
 三十一句目。

   梅咲く小野の曙の空
 山賤の柴焼く庵長閑にて    心恵

 庵に住む山賤は本物の山賤ではなく、山賤同様に身を落とした隠者の卑下した言い回しであろう。
 この句の「本歌連歌」の本歌は、

 柴の屋の煙にまがふ
     春霞帰るを急ぐをのの山人

で、日文研の和歌データベースにはない。柴焼く山賤の典拠となる。

 ま柴たく庵の煙たえだえに
     さびしさまさる小野の山人
             番号外作者(正治初度百首)

の歌もある。
 三十二句目。

   山賤の柴焼く庵長閑にて
 世間さわぐ年の暮れがた    宗砌

 山賤の庵は一年を通して長閑なのに対し、世間(よののか)の人は年の暮れになると何かと忙しくて騒がしい。違え付けになる。山賤は世の外にいて、春秋を知らぬを本意とする。
 この句の「本歌連歌」の本歌は、

 天の原ふりさけ見れば霞立つ
     雲にまぎれていはじしらずも

になっている。日文研の和歌データベースにはない。空の上では霞も雲も区別がないということで、山賤の心に通じなくもない。
 三十三句目。

   世間さわぐ年の暮れがた
 雪折れの竹の村鳥宿り侘び   行助

 年の暮れは世間も騒々しいが、竹が雪で折れて鳥も騒いでいる、とする。
 この句の「本歌連歌」の本歌は、

 村竹の梢のなびく雪の日は
     ねぐらのまよふ村鳥の声

で、日文研の和歌データベースにはない。雪に鳥もねぐらに迷うという趣向の典拠になっている。

 いまはとてねぐら尋ねてとふ鳥の
     あすかの里もまよふ白雪
             藤原家隆(壬二集)

の歌がやや近いか。
 三十四句目。

   雪折れの竹の村鳥宿り侘び
 麓の雲の林にぞ入る      忍誓

 雪で竹林に宿れない鳥は、雲の林に行く。「雲の林」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「雲の林」の解説」に、

 「[一]
  ① 雲がむらがっているさまを林に見立てていう語。
  ※後撰(951‐953頃)秋下・四〇九「このもとに織らぬ錦のつもれるは雲の林の紅葉なりけり〈よみ人しらず〉」
  ② 花がこずえにむらがって咲いているさまをいう。
  ※車屋本謡曲・桜川(1430頃)「花ざかり。雲のはやしの陰しげき。緑の空もうつろふや」
  [二] 京都市北区紫野にあった雲林院(うりんいん)のことをいう。
  ※蜻蛉(974頃)上「さるべきやうありて、雲林院に候ひし人なり。〈略〉思ひきやくものはやしにうち捨てて空の煙に立たむものとは」

とある。例文にある通り、後撰集にも見える言葉。
 この句の「本歌連歌」の本歌は、

 かり人の山路にふかくせき入れば
     林に落つるむささびの声

で、日文研の和歌データベースにはない。
 雲の林は桜や紅葉や隠遁に詠むことが多く、何もない山に入って行くことの典拠をこの歌に求めたか。
 三十五句目。

   麓の雲の林にぞ入る
 秋の日の夕の寺に鐘なりて   心恵

 前句の「雲の林」を雲林院とする。
 この句の「本歌連歌」の本歌は、

 風さそふ遠方とほく鐘鳴りて
     野寺にはやく暮るる日の影

で、日文研の和歌データベースにはない。
 夕べの寺を詠んだ和歌は意外に少ない。瀟湘八景に「煙寺晩鐘」という画題はあるが、和歌にはそれほど取り入れられなかったか。

 山もとの夕の鐘も霞消えて
     寺の前田に蛙なくなり
             正徹(草魂集)

の歌も、この連歌とほぼ同時代になる。江戸時代の俳諧だと普通になるが。
 三十六句目。

   秋の日の夕の寺に鐘なりて
 人帰る野に月は出でけり    宗砌

 秋の日が沈みお寺の鐘が鳴る頃、野にいた人も家に帰っていく。
 近代の童謡「夕焼小焼」(中村雨紅作詞、草川信作曲)を彷彿させるが、この趣向の原型と言えるかもしれない。
 この句の「本歌連歌」の本歌は、

 秋の日は木こりの道にはや暮れて
     心なげにも月やみるらん

で、日文研の和歌データベースにはない。

 秋の日のややくれかかる山のはに
     また影うすき月はいてつつ
             藤原資季(宝治百首)

の歌はあるが、木こりなど庶民を登場させる例は珍しい。それを典拠に「人帰る野」を付ける。

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