2022年4月29日金曜日

 今日は午後から雨。
 それでは「啼々も」の巻の続き。

 十三句目。

   男に見えぬ女かなしき
 きぬぎぬを盗入ルと立さはぎ   孤屋

 「盗」の一字に「ぬすびと」とルビがある。
 前句の「男に見えぬ」は男を見る目がないと取り成したか。夜這いの男は泥棒だった。
 十四句目。

   きぬぎぬを盗入ルと立さはぎ
 今はたぶさにかかる髻      野馬

 「たぶさ」と「髻(もとどり)」は同語反復のようだが、若干のニュアンスの違いがあったのか。切り落とされた髻を「たぶさ」と言ったか。
 人のもとどりを切ることは男としての尊厳を奪う犯罪とされていて、コトバンクの「世界大百科事典 第2版「髻切」の解説には、

 「他人の髻すなわち頭頂部に束ねた髪を切り落とす犯罪。中世では本鳥切とも書いた。《古事談》に,在原業平が二条后を盗み去ろうとして奪い返されたうえに,髻を切られたことが見え,《源平盛衰記》に,平重盛が息子が辱められた意趣返しに,兵をもって摂政藤原基房の車を襲い,基房随従の数人の髻を切ったことが見えるなど,中世の犯罪史にもしばしば現れる特異な犯罪である。烏帽子(えぼし)をもって社会的身分を表す最も有力な外的表徴とした時代にあって,結髪および烏帽子の装着に必須な髻を切断することは,被害者の社会生活を麻痺させるばかりでなく,その人の体面を失わせる凌辱的行為とみなされ,その意味で,女性の髪を切り落とす暴行に比すべき犯罪であったが,これに加えて次の2点が,この犯罪をより特異かつ重大なものとしたと考えられる。」

とある。近世に入って烏帽子が廃れても、髷は男の尊厳の象徴だったことには変わりはなかっただろう。
 ここでは後朝に泥棒と騒がれて取り押さえられて、罰として髻を落とされたのだろう。
 十五句目。

   今はたぶさにかかる髻
 血の涙石の灯籠の朱をさして   其角

 灯籠=お寺の連想から、前句を出家の場面とする。血の涙のように見えたが、それは灯籠の灯りの加減で、普通の涙だった。
 十六句目。

   血の涙石の灯籠の朱をさして
 奥の枝折を植る槇苗       孤屋

 奥は多義だが、家の奥、部屋の奥で「枝折」はなさそうなので、ここは陸奥の意味か。『奥の細道』というあの有名なタイトルも陸奥を「奥」と省略しているし。
 旅人が道を間違えないようにと、枝折の代わりに槇の苗を植え、並木道を作る。陸奥に配流された人の心遣いであろう。
 十七句目。

   奥の枝折を植る槇苗
 降りくもる花にあられの音ス也  野馬

 陸奥の道に迷いやすい所というと那須の篠原で、

 もののふの矢並つくろふ籠手のうへに
     霰たばしる那須の篠原
              源実朝(金槐和歌集)

の歌もあり、霰に縁がある。
 那須の篠原の迷い易さは宗祇の『白河紀行』にも、

 「那須野の原といふにかかりては、高萱道をせきて、弓のはずさへ見え侍らぬに、誠に武士のしるべならずば、いかでかかる道には命もたえ侍らんとかなしき」

とあり、弓の先すら隠れてしまうような背の高い笹に埋もれた道で、案内がいないと迷う、と記している。後に芭蕉が書く『奥の細道』でも、迷いやすいということで馬を借りて、あの「かさね」の話になっている。
 とはいえ、ここは花の定座なので、

 花薄枯野の草のたもとにも
     玉散るばかり降る霰かな
              藤原知家(新後撰集)

の歌を用いて、強引に花の句に持って行く。
 十八句目。

   降りくもる花にあられの音ス也
 月夜の雉子のほろほろと鳴    其角

 「けんもほろろ」という言葉があるが、「けん」は雉の鳴き声で、「ほろろ」は羽音だという。
 桜の花に霰の音がしたなと思ったら、雉の羽音だった。
 花に雉は、

 きぎす鳴く大原山の桜花
     狩りにはあらでしばし見しかな
              藤原定方(夫木抄)

の歌がある。
 二表、十九句目。

   月夜の雉子のほろほろと鳴
 せきだにて鎌倉ありく弥生山   孤屋

 「せきだ」は雪駄の古い呼び方。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「雪駄・雪踏」の解説」に、

 「〘名〙 (「せっだ」とも) 竹皮草履の裏に、革をはった草履。丈夫で湿気が通らないようにしたもので千利休が工夫したと伝える。江戸時代、元祿(一六八八‐一七〇四)以降、かかとに尻鉄(しりかね)を打つのが流行し、これを「ちゃらかね」といい、以後、尻鉄のないものは雪駄とはいわなくなった。せちだぞうり。せちだ。せきだ。
  ※かた言(1650)四「雪駄(セッタ)を、せきだといふはわろしといへど、苦しかるまじき歟」
  ※浮世草子・好色盛衰記(1688)二「素足に雪踏(セツダ)の音たかく、禿も鼻紙めに立ほど入て」
  [語誌]この語より古い例に「せきだ」があり、「席駄」と当てた例も多い。「むしろ(席)のはきもの(駄)」の意の「席駄」から「せちだ」「せっだ」「せった」と変化し、のちに「雪駄」と当てられたものと思われる。「雪駄」に「せきだ」のよみをつけた例もある。」

とある。
 「弥生山」は特に鎌倉の地名ということではなく、弥生の山ということか。
 月夜の鎌倉の歌はないが、月のない星月夜なら、

 われひとり鎌倉山を越えゆけば
     星月夜こそうれしかりけれ
              京極関白家肥後(夫木抄)

の歌がある。
 ニ十句目。

   せきだにて鎌倉ありく弥生山
 昨は遠きよしはらの空      其角

 昨はルビがないが「きのふ」だろう。昨日ということではなく、この間まではくらいの意味で、吉原通いをやめて出家したか。出家させられたか。
 二十一句目。

   昨は遠きよしはらの空
 物くはぬ薬にもなれわすれ草   野馬

 わすれ草は萱草のことで、延宝六年冬の

 わすれ草煎菜に摘まん年の暮   桃青

の発句もある。
 恋をすると食う物も喉を通らなくなるといわれるから、恋を忘れるという忘れ草は食欲不振の薬にもならないだろうか、とする。原因と結果を混同している。
 二十二句目。

   物くはぬ薬にもなれわすれ草
 手習そまず角入てより      孤屋

 角入(すみいれ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「角入髪」の解説」に、

 「〘名〙 元祿時代(一六八八‐一七〇四)、男性の半元服(はんげんぷく)の髪型。一四歳になった少年が、前髪の額を丸型から生えぎわどおりに剃ると角(かく)型になるところからいう。すみいれ。」

とある。
 半元服の頃から手習いも手に付かず、物も食わなくなった。忘れ草が本来の薬として役立ちそうだ。
 二十三句目。

   手習そまず角入てより
 親は鬼子は口おしき蓑虫よ    其角

 許六編『風俗文選』(宝永四年刊)の素堂「蓑虫ノ説」に、

 「みのむしみのむし。声のおぼつかなきをあはれぶ。ちちよちちよとなくは。孝に専なるものか。いかに伝へて鬼の子なるらん。清女が筆のさかなしや。よし鬼なりとも瞽叟を父として舜あり。汝はむしの舜ならんか。」

とある。
 貞享四年の「箱根越す」の巻二十四句目にも、

   ころつくは皆団栗の落しなり
 その鬼見たし蓑虫の父      芭蕉

の句がある。
 蓑虫も大人になると角入で角が生えてきて、読み書きもしなくなる。
 二十四句目。

   親は鬼子は口おしき蓑虫よ
 折かけはらん月の文月      野馬

 「折かけ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「折掛・折懸」の解説」に、

 「① 折って引きかけること。
  ② 乳付(ちづけ)の幟(のぼり)の上の乳(ち)に通すための折金。一方は乳に通し、一方は幟竿に添える。おりがね。
  ③ 「おりかけばた(折掛旗)」の略。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※信長記(1622)一五下「武田入道信玄の旗は、白き絹五はばの折かけに、くろき割菱付たる五本なり」
  ④ 「おりかけどうろう(折掛灯籠)」の略。
  ※俳諧・曠野(1689)八「折かけの火をとるむしのかなしさよ〈探丸〉」
  ⑤ 「おりかけがき(折掛垣)」の略。
  ※歌舞伎・夢結蝶鳥追(雪駄直)(1856)四幕「上の方一間の附屋体(つけやたい)、〈略〉下(しも)の方折掛(ヲリカ)けの竹垣」

とあるが、ここは月の文月(文月の満月)ということもあって④のお盆の折掛灯籠であろう。「精選版 日本国語大辞典「折掛灯籠」の解説」に、

 「〘名〙 お盆の魂祭に用いる手作りの灯籠。細く削った竹二本を交差させて折り曲げ、四角のへぎ板の四すみに刺し立てて、その周囲に白い紙を張ったもの。折掛。《季・秋》 〔俳諧・世話尽(1656)〕
  ※浮世草子・好色五人女(1686)五「なき人の来る玉まつる業(わざ)とて、鼠尾草(みそはぎ)折しきて、〈略〉をりかけ燈籠(トウロウ)かすかに、棚経(たなぎゃう)せはしく」

とある。
 蓑虫は鬼だった亡き父を思い、折懸灯籠を張る。

0 件のコメント:

コメントを投稿