今日は雨、あしたも雨のようだ。
でもまだ春は終わらない。何か楽しいことを考えよう。
それでは『阿羅野』の暮春の発句の残り。
あそぶともゆくともしらぬ燕かな 去来
燕はいつもせわしく飛び回っているから、遊んでるのかどこか行こうとしているのかよくわからない。芭蕉のように一所不住の旅をする人の比喩かもしれない。
去年の巣の土ぬり直す燕かな 俊似
秋になると去って行き春になると戻ってくるツバメは、去年の巣が壊れていると修復してそこに棲む。これも何となく、久しぶりに我が家に戻った旅人に似ている。
いまきたといはぬばかりの燕かな 長之
ツバメは春に日本にやって来ると、すぐに繁殖期に入るため、すぐに相手を探すための囀りをする。それが「ただいま」の挨拶のように聞こえる。
燕の巣を覗行すずめかな 長虹
燕が巣に戻ってくると、雀がそれを覗きにきたかのように集まってくる。雀は集団でやって来てツバメの巣を乗っ取ったりするらしい。去年の巣が壊れてたのも犯人は雀か。
燕と雀は「燕雀」と呼ばれ、小者の意味で用いられる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「燕雀」の解説」に、
「① ツバメとスズメ。また、そのような小鳥。
※菅家文草(900頃)二・元慶三年孟冬八日、大極殿成畢、王公会賀之詩「燕雀先知聖徳包、子来神化莫二空抛一」
※史記抄(1477)一五「燕雀は人に馴れ近き者ぢゃほどに」 〔孔叢子‐論勢〕
② (陳渉が、小人物には英雄の志がわからないことを「燕雀安知二鴻鵠之志一哉」と嘆いたという「史記‐陳渉世家」の故事から) 狭量な人。小人物。
※凌雲集(814)高士吟〈賀陽豊年〉「寄レ言燕雀徒、寧知二鴻鵠路一」
※読本・椿説弓張月(1807‐11)拾遺「小ざかしき燕雀(ヱンジャク)の共囀(ともさへづ)り、汝等がしる所にあらず」
とある。「燕雀安(いづく)んぞ鴻鵠の志を知らんや」という諺もある。
黄昏にたてだされたる燕哉 鼠弾
「たてだす」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「立出・閉出」の解説」に、
「〘他サ四〙 しめ出す。人を外に出して門などをとじてしまう。〔羅葡日辞書(1595)〕
※浮世草子・好色産毛(1695頃)五「一間をみれば、影の男はたて出(ダ)されて、夕霧ばかりぞ目にみへける」
とある。
燕鳴く軒端の夕日かけきえて
柳に青き庭の春風
花園院(風雅集)
うつる日の夕陰遠し行き帰り
燕鳴く野の道のはるくさ
肖柏(春夢草)
の歌もあり、燕は夕暮れに詠まれる。宿に帰る燕からの連想であろう。ただ、そこは俳諧で、帰ってくると巣がなくなっていて閉め出されてしまう。
友減て鳴音かいなや夜の雁 旦藁
帰る雁とははっきり書かれてないが、帰る雁の句になる。
北へゆく雁ぞ鳴くなるつれてこし
数はたらでぞ歸るべらなる
よみ人しらず
この歌は、「ある人、男女もろともに人の國へまかりけり。男まかりいたりて、すなはち身まかりにければ、女ひとり京へ歸りける道に、歸る雁の鳴きけるを聞きてよめる」となむいふ」(古今集)
の心といえよう。
角落てやすくも見ゆる小鹿哉 蕉笠
鹿は春になると角が落ちて生え変わる。「やすく」は平穏という意味と「やすっぽい」という意味と両方に取れるが、ここはいかにも強そうな牡鹿が女鹿みたいになって、小鹿からすれば怖い大人がいなくなったということか。どこか緩んでいるように見える。
なら漬に親よぶ浦の汐干哉 越人
前句の鹿の縁で「なら漬」に展開する、といっても連句ではないが。
奈良漬はウィキペディアに、
「江戸時代に入ると、奈良中筋町に住む漢方医糸屋宗仙が、慶長年間(1596年 - 1615年)に、シロウリの粕漬けを「奈良漬」という名で売り出して評判となり、奈良漬けの言葉を広める。大坂の陣の時に徳川家康に献上して気に入られ、やがて医者をやめて江戸に呼び寄せられ幕府の奈良漬け担当の御用商人になった。奈良を訪れる旅人によって庶民に普及し、愛されるようになる。「奈良は春日(粕が)あればこそ良い都なり」といわれ、奈良は酒の産地で、奈良漬の発祥地ともなった。将軍徳川綱吉の時代、浅草の観音の門前で「奈良漬を載せたお茶漬け」が評判となり、大当たりした。やがて、瓜の粕漬から野菜の粕漬の総称となり、幕末の『守貞謾稿』後集巻1「香物」には「酒の粕には、白瓜、茄子、大根、菁を専らとす。何国に漬たるをも粕漬とも、奈良漬とも云也。古は奈良を製酒の第一とする故也。」とあり、銘醸地奈良の南都諸白から生まれる質のよい酒粕に負うところが大きいことが記されている。」
とある。
大人の好むものだから、子供が親を呼ぶときに「奈良漬」を出しにする。
おやも子も同じ飲手や桃の酒 傘下
桃の酒は貝原好古の『日本歳時記』に、
「三日桃花を取て酒にひたし、これをのめば病を除き、顔色をうるほすとなん。桃花を酒に浸さば、ひとへなる花を用べし。千葉の花を服すれば、鼻衂いでてやまずと本草に見えたり。」
とある。桃は不老不死の仙薬でもあり、桃の酒も長寿を願って飲むものだったのだろう。芭蕉がまだ伊賀にいた頃の「貞徳翁十三回忌追善俳諧」六句目にも、
けうあるともてはやしけり雛迄
月のくれまで汲むももの酒 宗房(芭蕉)
の句がある。
この桃の酒に限っては、子供、特に女の子が飲むことも許されたのだろう。
人霞む舟と陸との汐干かな 友重
舟や陸が霞むのは春なら普通で、古来和歌にも多く詠まれているが、潮干狩りの時には人もまた遠浅の浜で霞んで見える。
山まゆに花咲かぬる躑躅かな 荷兮
「山まゆ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「山眉」の解説」に、
「〘名〙 山の端のほのかなさまを眉墨に、また、美しい眉を山の稜線に見立てていう語。
※藻塩草(1513頃)一六「山まゆ かすみのまゆ」
とある。和歌では「遠山眉」という言葉で、
佐保姫のとほ山まゆもうす墨の
夕ほのかにかすむ春かな
正徹(草魂集)
明けゆくか在明の月のほそくかく
遠山まゆをみたす横雲
同
など、正徹の和歌にも見られる。
ツツジもまた山の夕暮れに詠むもので、
入日さす夕くれなゐの色はえて
山下てらすいはつゝじかな
摂政家参河(金葉集)
の歌もある。山にツツジが咲いて華やぐとツツジの存在感が強すぎて、山眉のような仄かな感じにはならなくなる。
朧夜やながくてしろき藤の花 兼正
朧月の夜の薄明かりに、松などに何となく白くて長いものが掛かっているようにみえるが、それが藤の花だ。電気などのなかった時代には、夜の花はほとんど幽かにしか見えなかった。
篝火に藤のすすけぬ鵜舟かな 亀洞
鵜舟はかつては晩春にも行われていたか。篝火に藤の花が白く浮かび上がる。昔は自生する藤がどこにでも咲いていて、河辺でも普通に咲いていた。
永き日や鐘突跡もくれぬ也 卜枝
昔は不定時法だから、日が長くなったら入相の鐘を撞くのも遅くなるものだが、ついつい習慣で早く打ってしまうのだろう。
永き日や油しめ木のよはる音 野水
「油しめ木」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「油搾木」の解説」に、
「〘名〙 果実や種子などを圧搾して、油をしぼり取る器械。あぶらしめ。
※仮名草子・尤双紙(1632)「かしましき物の品々〈略〉あぶらしめぎの音」
※思ひ出(1911)〈北原白秋〉柳河風俗詩・ふるさと「なつかし、沁みて消え入る 油搾木(アブラシメギ)のしめり香」
とある。
植物油の圧搾絞りは重労働なので、日が長いとやがて疲れてきて、音も弱くなってゆく。
行春のあみ塩からを残しけり 野水
アミの塩辛は韓国ではキムチの原料になるが、日本ではご飯のお供か、酒の肴にするくらいだった。
秋から冬にかけて大量に獲れるアミは塩辛にして保存するが、春も終わる頃になっても食べきれずに残っていたりしたのだろう。
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