今日は筍御飯を作って食べた。外は暑かったらしい。
三度目の緊急事態宣言で、せめて去年並みのことはやるのかと思ったら、早くも腰砕けというか骨抜きというか、同じ屋根の下で飲み食いすれば感染は広がるというのに、酒だけ禁止しても何の意味はない。
とにかく行政は何もできないのはとっくにわかっていることで、原因は法律がないからだ。法律を作ろうとすると野党の反対で結局骨抜きになる、それを延々と繰り返してきたからだ。
行政は法律に従わなくてはならない。すべては立法府の機能不全によるものだ。
それでは『三冊子』の続き。
「緣の草履の打しめる春
石ふしにおそきを小鮎より分て
此句、氣色を付とす。一句床夏の巻の俤也。うちしめるといふに寄る。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.125)
この句は『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)の年代未詳之部に、
古寺や花より明るきじの聲
緣のざうりのしめる春雨
石ぶしに細き小鮎をよりわけて (芭蕉)
の形で掲載されている。
気色は景色に対して意味で付けることで、前に「只俤と思ひなし、景氣此三に究り侍る」とあったように、俤・景色・気色を三つの付け方とする。
「一句床夏の巻の俤也」というのは『源氏物語』常夏巻の冒頭の、
「いと暑き日、東の釣殿に出でたまひて涼みたまふ。 中将の君もさぶらひたまふ。親しき殿上人あまたさぶらひて、 西川よりたてまつれる鮎、 近き川のいしぶしやうのもの、御前にて調じて参らす。 」
の場面を踏まえているが、季節を春にしていて宮中とも程遠く、本説というほどの親密さはない。
「石ぶし」は小石の多い水底のことで、そこで網で獲った魚の中から小鮎をより分けている。草履の濡れた原因を春雨ではなく、河原でそういう作業をしたからだとする。
「夕貌おもく貧居ひしける
桃の木にせみ啼比は外に寐ん
一句、付ともに古代にして、其匂ひ萬葉などの俤なり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.125~126)
これは延宝九年刊桃青編の『俳諧次韻』の「春澄にとへ」の巻七十一句目。
夕顔重く貧居ひしげる
桃の木に蝉鳴比は外に寝ミ 桃青
「寝ミ」は「やすみ」と読む。
万葉の時代は大陸の影響が強く、桃や梅などが好まれた。
春の苑紅にほふ桃の花
下照る道に出で立つ少女
大伴家持(万葉集)
のような歌は『詩経』の「桃之夭夭 灼灼其華」のイメージで、中国の田舎の娘を俤にしている。
桃青の句の「桃の木」はむしろ桃花源のような神仙郷のイメージに近く、家は粗末でも暑ければ外で寝ればいいという、物事に頓着しない世俗を超越したイメージが感じられる。
「笹の葉に徑埋て面白き
頭うつなと門の書付
これ一句隱者の俤也。前句のけしきに其所を寄せ、句意新みあり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.126)
これは元禄七年「八九間」の巻十四句目の
笹の葉に小路埋ておもしろき
あたまうつなと門の書つき 芭蕉
の句で、元禄十一年刊沾圃編の『続猿蓑』に収録されている。
前句の笹に埋もれた道を草庵の入口とした。
「あたまうつな」は、つまり今でいう「頭上注意」、小さな門だと必ず書いてありそうだ。
「龜山やあらしの山やこの山や
馬上に醉てかゝえられツゝ
前句のやの字響き、ともに醉てそゞろなる躰を付顯す。一句風狂人の俤也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.126)
この句は享保八年刊朱拙・有隣編の『ばせをだらひ』の「芭蕉先生前句附」の所に付け合いとして、
龜山やあらしの山や此山や
馬上に醉てかゝえられつゝ 翁
の形で掲載されている。
前句の「や」の連続を、酔っ払って呂律が回らずに叫んでいる状態と見ての付けで、馬上に酔って人に抱えられている姿を付ける。
亀山は嵐山渡月橋のやや川上にある。
「野松に蟬の啼立る聲
歩行荷物手ふりの人と噺して
前句のなき立る聲といひはなしたるひゞきに、勢ひを思ひ入てうち急ぐ道行人のふり、事なく付たる匂ひ宜し。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.126)
これは元禄七年閏五月下旬満尾の歌仙、「葉がくれを」の巻の第三で、元禄八年刊浪化編の『となみ山』に収録されている。第三まで引用する。
蕉翁の落柿舎に偶居
し給ひけころたづねま
いりて主客三句の情をむ
すび立かへりぬるをその
後人々まいりける序終
に一巻にみち侍るとて
去來がもとより送られける
葉がくれをこけ出て瓜の暑さ哉 去來
野松に蟬のなき立る聲 浪化
歩荷物手振の人と噺しして 芭蕉
前句の「なき立る聲」に急き立てているような響きで、荷物を持って歩いてきた人に手を振って早く来いと急き立てる様とする。
「青天に有明月の朝ぼらけ
湖水の秋の比良のはつ霜
前句の初五の響に心を起し、湖水の秋、比良の初霜と、清く冷じく大成る風景を寄。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.126~127)
これは『猿蓑』にも収録されている元禄三年十一月、京都での芭蕉、去来、凡兆、史邦による四吟歌仙興行の三十句目だ。
比良は琵琶湖西岸の山地で、比叡山より北になる。
月に湖水、朝ぼらけに初霜と四つ手に付けて、雄大な景にしている。
「僧やゝ寒く寺に歸るか
猿引の猿と世を經る秋の月
この二句別に立たる格也。人の有樣を一句として、世のありさまを付とす。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.127)
元禄三年六月、京都の凡兆宅での去来を加えた三吟歌仙「市中は」の巻の十七句目。元禄四年刊の『猿蓑』に収録されることになる。
「猿引き」は猿回しをする芸人のことだが、長いこと被差別民の芸とされてきた。
殺生を禁じる仏教の思想が、一方では動物にかかわる職業を卑賤視するもととなっていた。
それゆえ被差別民と仏教は相反する関係にあり、「僧」に「猿引き」を付けるのは、相対付け(向え付け)になる。
猿引きは猿とともに秋の月を見ながら暮らしを立て、僧もまた自分の居場所である寺に帰ってゆく。人にはそれぞれ相応しい居場所がある。いつの時代も変わらないことだ。
「こそこそと草鞋を作る月夜ざし
蚤をふるひに起るはつ秋
こそこそといふ詞に、夜の更て淋しき樣を見込、人一寐迄夜なべするものと思ひ取て、妹など寐覚して起たるさま、別人を立て見込心を、二句の間に顯す也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.127)
これも同じく元禄三年六月、京都の凡兆宅での三吟歌仙「市中は」の巻の二十六句目。
相対付け(向え付け)は対立する二つのものを並べて対句を作る付け方で、物付けに含まれる。だが、対立する二つのものをどちらも直接示さずに、それを匂わせるだけにすると、匂い付けの向え付けも可能になる。
一人ひとりはひそかに草鞋を作ってお金を作り、もう一人は蚤に食われて痒くて目を覚ます。そこでまあ、ばれてしまったかということになり、何か家族の会話があるのか。土芳は兄妹の話にしている。
「夜着たゞみをく長持のうへ
灯の影珍しき甲待て
前句の置の字の氣味に、せばき寐所、漸一間の住居、もの取片付て掃清めたる所と見込、わびしき甲待の躰を付たる也。珍の字ひかりあり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.127)
これは元禄五年十月三日、江戸の許六亭での興行「けふばかり」の巻の二十三句目で、『韻塞』には下五「申待(きのえま)チ」とある。
長持の上に夜着をたたむところに家の狭さときちんと片付づいた部屋の匂いがあり、そこからいわゆる「清貧」の人物を思い描き、その位で付けている。
「甲待ち」は十干十二支の最初の甲子(きのえね)の日を、灯を灯し、夜中まで待まつ風習で、六十日ごとに訪れる大晦日のようなものといえるかもしれない。
「珍し」は今いまの珍しいの意味ではなく、「愛づらし」、つまり、「愛でたくなる」という意味。「目出度い」に通じる。
「酒にはげたる頭なるらん
双六の目を覗までくれかゝり
氣味の句也。終日双六に長ずる情以て、酒にはげぬべき人の氣味を付たる也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.128)
元禄三年刊珍碩編の『ひさご』に収録された「木のもとに」の巻の二十五句目になる。「酒に」ではなく「酒で」とある。
「気味」は昔の日本語によくあるbとmとの交替から「きみ」とも「きび」とも読む。意味はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「き‐び【気味】
〘名〙 (「きみ(気味)」の漢音よみとも、「きみ(気味)」の変化した語ともいう)
① 物のにおいと味。きみ。
※色葉字類抄(1177‐81)「気味 飲食部 キビ」
② おもむき。また、様子。きみ。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※俳諧・毛吹草(1638)六「よききびにかひしうつらの高音哉〈肥前衆〉」
③ 心持。気持。気分。きみ。
※虎明本狂言・萩大名(室町末‐近世初)「一口くふてみたひきびか有よ」
④ いくらかその傾向にあること。また、その傾向。きみ。
き‐み【気味】
〘名〙
① 物のにおいと味。多く食べる物について用いられる。きび。
※海道記(1223頃)橋本より池田「水上の景色は彼も此も同けれども潮海の淡鹹は気味是異なり」
※源平盛衰記(14C前)一一「喉乾き口損じて、気味(キミ)も皆忘れにけり」 〔杜甫‐謝厳中丞送乳酒詩〕
② おもむき。けはい。風味。また、特に、深くてよい趣や味わい。きび。
※方丈記(1212)「閑居の気味もまた同じ」
※徒然草(1331頃)一七四「人事おほかる中に、道をたのしぶより気味ふかきはなし。これ実の大事なり」
※俳諧・三冊子(1702)赤双紙「酒にはげたる頭成らん 双六の目を覗出る日ぐれ方 気味(キミ)の句也。終日、双六に長ずる情以て、酒にはげぬべき人の気味を付たる也」 〔白居易‐寒食江畔詩〕
③ 心身に感じること。また、その感じた心持。気持。きび。多く、「良い」「悪い」を伴って用いられる。
※歌舞伎・傾城壬生大念仏(1702)上「小判一万両、おお、よいきみよいきみ」
※二人女房(1891‐92)〈尾崎紅葉〉上「何か可厭(いや)な事のあるのを裹(つつ)むのではあるまいかと気味(キミ)を悪がって」
④ いくらかその傾向にあること。また、その傾向。かたむき。きび。
※志都の岩屋講本(1811)上「薬の病にきく処は呪禁(まじなひ)の気味が有る故」
ぎ‐み【気味】
〘接尾〙 名詞や、動詞の連用形に付いて名詞、形容動詞をつくり、そのような様子、傾向にあることを表わす。…の様子。「かぜ気味」
※家(1910‐11)〈島崎藤村〉下「前方へ曲(こご)み気味に、叔父をよく見ようとするやうな眼付をした」」
とある。
この場合は味わいでは意味が通らない。④の「傾向にあること」が一番しっくりくる。「酒ばかり飲んでる禿げたおっさんは、博奕にも熱中する、という「あるある」と見た方がいい。
「双六」は今で言うバックギャモンの遠い親戚のようなもので、昔は主に賭け事に用いられた。鳥獣人物戯画でも双六盤を担ぐ猿の姿が描かれている。
前句の酒ばかり飲んでる禿げ爺さんを博徒と見ての付け。
似たような句に天和二年刊千春編の『武蔵曲』に収録されている「錦どる」の巻五句目の、
雨双六に雷を忘るる
宵うつり盞の陣を退リける 其角
の句がある。
宵も暮れ酔いも回るが、ここで眠ってはいけない。盃の陣を突破したなら、敵は双六にあり。いざ進め、という句で、双六に雷が鳴っているのも忘れる。
「そつと覗けば酒の最中
寐所にたれも寐て居ぬ宵の月
前句のそつとゝといふ所に見込て、宵からねる躰してのしのび酒、覗出したる上戸のおかしき情を付たる句也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.128)
これは元禄七年初夏、深川芭蕉庵で興行された「空豆の」の巻の五句目で、『炭俵』に収録されている。
「宵の月」というのは、まだ日も暮れてないうちから見える月のことで名月のことではない。旅の疲れで寝床で休んでいたが、いつの間にか誰もいなくなっている。隣を覗けば、「何だ、みんな酒を飲んでいたか」となる。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「打よりて遊びうかれてあるくなど、七夕頃の夜ルの賑ひとも広く見なして趣向し給ひけん。」とある。七夕の頃の宴の句と見ていい。
「煤掃の道具大かた取出し
むかひの人と中直りけり
推量の句也。事せはしき中に取まぜて、かやうの事もある事也とすいりやうして、中直りけり、とありさまを付たる也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.128)
制作年次、場所等不明。『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)の注に「『三冊子』『幽蘭』『一葉』『袖珍』等に収める」とある。
年末の煤払いは一家総出でご近所も含めて一斉に行われる。狭い家では掃除道具や家具を外に出して並べたりして、そんな中で日頃仲の悪いお隣さんとも顔合わせ、仲直りということもある。
土芳が「推量」と言ってるのは面白い。実際そんなうまくいくことなく、あったらいいなという理想なのだろう。
「冬空のあれに成たる北颪
旅の馳走に有明し置
馳走の字さび有。あれに成たると、心のしほりに旅亭のさびを付て寄る也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.128~129)
元禄三年秋膳所の義仲寺境内の無名庵での興行と思われる「灰汁桶の」の巻の二十二句目。『猿蓑』に収録されている。
「有明(ありあか)し」は有明行灯のこととも、それよりやや大型のものとも言う。有明行灯は枕元を照らすための小型の行灯で、寝ぼけてひっくり返さないように箱型をしている。
冬の木枯し吹きすさぶ宿では、旅人も寒くて心細かろうと、宿の主人の気遣いで有明行灯を枕元に置おいておいてくれたのだろう。
前句の心細さに有明行灯が最大限の馳走であるというところにさびがある。「さび」というのはいわば「死」のイメージを隠し味にすることで、「しほり」はその情を喚起するものをいい、それが共感にまで結びつけば「ほそみ」になる。
春の暖かい風にご馳走を並べるのは、それだけでは「さび」にも「しほり」にもならない。ただ、暖かい風に花が散り、ご馳走も別れの宴なら「さび」「しほり」が具わる。
冬空の荒れに身を切るような北颪はいかにも寒々として死を暗示させる情を喚起し、旅の馳走にわずかな有明行燈の光があたかも人の命など風前の灯火のような弱々しさを感じさせ、「さび」となる。
「のり出て朧に餘るはるの駒
摩耶が高根に雲のかゝれる
まへ句の春駒といさみかけたる心の餘、まやがみねと移りて雲のかゝれるとすゝみかけて、前句にいひかけて付たる句也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.129)
これも同じく『猿蓑』の「灰汁桶の」の巻の八句目。「のり出て」は「乗出して」、「朧」は「肱(かひな)」とある。
麻耶山は神戸市東北部にある山で、前句を馬に乗り慣れぬ平家武者と取り成し、『平家物語』の俤で「麻耶山」を付ける。「雲のかかれる」には風雲急が感じ取れる。
「敵よせ來る村松の聲
有明のなし打烏帽子着たりけり
前句の事をうけて、其句の勢ひに移りて付たる句也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.129)
これは貞享三年正月、江戸で興行された蕉門、其角門などの十八人の連衆による百韻、「日の春を」の巻の十三句目。この巻には芭蕉自身による注釈、「初懐紙評注」があり、それには、
「付様別条なし。前句軍の噂にして、又一句さらに云立たり。軍に梨子打ゑぼしとあしらいたる付やう軽くてよし。一句の姿、道具、眼を付て見るべし。」
とある。
付け方としては特に変わったものではない。前句が軍(いくさ)だから、梨子打ゑぼしを登場させたという。
梨打烏帽子は薄布でできた柔らかい烏帽子で、烏帽子の硬質の華美なものになる前の最も古い形だという。源平合戦の頃のイメージで、元禄五年の「けふばかり」の巻十一句目に、
輾磑をのぼるならの入口
半分は鎧(よろは)ぬ人もうち交り 嵐蘭
のような古い時代の軍の俤と言えよう。
「月見よと引起されて恥しき
髪あふがする羅の露
前句の樣躰の移りを以て付たる也。句は宮女の躰になしたる也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.129)
元禄二年六月、『奥の細道』の旅の途中、羽黒山で興行された「有難や」の巻の十六句目になる。
前句の「恥しき」を寝起きの顔を見られて恥ずかしいとして、寝乱れた髪に濡れた薄衣を付ける。
「牡丹おりおり涙こぼるゝ
耳うとく妹に告たる郭公
心を以て付たる句也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.129)
貞享三年三月二十日、尾花沢の清風を迎えての歌仙興行の二十三句目で、
涙おりおり牡丹ちりつつ
耳うとく妹が告たる時鳥 芭蕉
とある。
耳が遠くて妻にホトトギスの声がしたのを教えてもらう。今更ながらに年老いてしまったことを嘆く。
前句の「涙」を老いの悲しみと見ての展開になる。
「あき風の舟をこはがる浪の音
雁行方や白子若松
前句の心の餘りを取て、氣色に顯し付たる也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.129~130)
珍碩編『ひさご』所収の「木のもとに」の巻十六句目。
白子若松は東海道四日市宿から鈴鹿の方へ行かずに南へ行ったところにある伊勢若松とその先の白子のこと。昔は伊勢街道が通っていた。今は近鉄名古屋線が通っている。
「前句の舟をこはがる」はここでは東海道七里の渡しのこととする
。帰る雁は北へ行くが、秋の雁は南へ向かう。ちょうどその方向に伊勢若松や白子がある。芭蕉も何度となく通っている道だった。
船を恐がる人を旅慣れてないお伊勢参りの人と見て、その不安を直接述べずに、雁行く遥か彼方の伊勢街道に具現化したといっていいだろう。
「鼬の聲の棚もとの先
箒木はまかぬに生て茂るなり
前句に言外に侘たる匂ほのかに聞及て、まかぬに茂る箒木と、あれたる宿を付顯す也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.130)
前にも登場したが元禄七年七月二十八日夜猿雖亭での土芳も同座した興行、「あれあれて」の巻二十七句目。
箒木(ほうきぎ)はこの場合伝説のははきぎのことではなく、箒の材料となる草のこと。コトバンクの「大辞林 第三版の解説」には、
「アカザ科の一年草。高さ約1メートル。多数枝分かれし、狭披針形の葉を密に互生。夏、葉腋に淡緑色の小花を穂状につける。果実は小球形で、「とんぶり」と呼ばれ食用。茎は干して庭箒を作る。箒草。ハハキギ。」
とある。最近ではコキアといって、紅葉を観賞する。
外来の植物だが零れ種から自生することもある。
鼬(イタチ)の毛皮は高級品で、特にイタチの仲間であるテン(セーブル)は珍重された。『源氏物語』では末摘花がふるき(黒貂、ロシアンセーブル)の毛皮を着ていた。
うらぶれた皮革業者の台所の向こうでその高級毛皮の元が鳴いていて、外には箒木が自生している。「言外に侘たる」というのはその職種が被差別民のものであるからであろう。
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