ここのところちょっと風の冷たい日が続いている。これでも例年よりは暖かいんだろうな。
芭蕉の山吹の句というと延宝九年刊言水編の『東日記』に、
菜花
山吹の露菜の花のかこち顔なるや 桃青
の句がある。
「かこち顔」は百人一首でも知られる西行法師の、
なげけとて月やは物を思はする
かこち顔なるわが涙かな
西行法師(千載集)
の言葉で、山吹は古来和歌に歌われていて高貴な花とされていたのに対し、菜の花はどこにでも生えている田舎の草でそれに露が降りることで山吹にかこつけて奇麗に咲いている。
山吹と菜の花の貴賤の関係は、同じ延宝九年刊の常矩編の『俳諧雑巾』に、
山吹と菜種と下種と上臈と 如雲
の句がある。これは山吹は上臈、菜種は下種(げす)と直接的でわかりやすい。桃青のような古歌を介して婉曲に言うテクニックはない。
ネタかぶりといえばネタかぶりだが、江戸の言水と京の常矩が同じ年に刊行した撰集なので、偶然であろう。
延宝七年秋の「須磨ぞ秋」の巻五十一句目に、
ふられて今朝はあたら山吹
ひよんな恋笑止がりてや啼蛙 桃青
の句があり、山吹と蛙の寄り合いで付けている。本歌は、
かはづ鳴く井出の山吹散りにけり
花のさかりにあはましものを
よみ人しらず(古今集)
遊女につぎ込んだ山吹(小判)が無駄になったという前句に、蛙が笑っていると付ける。
山吹というと、天和三年刊其角編の『虚栗』に、
山吹や无言禅師にすて衣 藤匂子
の句がある。
これは隠元衣のことであろう。隠元衣はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 黄檗(おうばく)宗風の派手な僧衣。
※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)延宝五之冬「月影や似せの琥珀(こはく)にくもるらん〈信章〉 隠元(インケン)ころもうつつか夢か〈信徳〉」
とある。用例になっているのは「あら何共なや」の巻の四十八句目、
月影や似せの琥珀にくもるらん
隠元ごろもうつつか夢か 信徳
で、隠元禅師の肖像を見ると黄色の上に半身赤い衣を被った姿で描かれている。赤は一番高貴な僧のきるものとして、それ以下の僧は黄色だったのだろう。
山吹は金色で小判を連想させるともに、和歌に詠まれた高貴な花というイメージがついて回っていたようだ。
山吹や蛙飛び込む水の音 桃青
という「古池」の句の初案も、そうした高貴な花に井出の玉水の高貴な蛙と思わせて、水音で卑俗に落とす趣向だったのだろう。
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