近所では八重桜やツツジやアメリカハナミズキが咲き初め、そろそろ春も暮のような気分になるが、まだ如月。コロナは東京よりも大阪になってきて、あれが変異株の実力なのか。
何かイスラモフォビアの戦略が日本の左翼とそっくりなところが気になるね。案外連合赤軍が入れ知恵したのかも。自爆テロも日本人がやったことだし。
西洋の植民地支配から脱して誕生したイスラム諸国が、西洋と対等になるかそれ以上になりたいと思ったとき、最初は西洋の良いところを取り入れてという明治の日本のような方向性もあったんだろうと思う。ただ、なかなか追いつけなくてその希望が失われてくると、今度は西洋文明を破壊するというか、それができるという幻想が広まり、それが原理主義を生んできたのではないかと思う。彼らがよりどころにしたのはその欧米にありながら資本主義は終わると言っている人たちで、彼らと共闘すれば勝てると思ったのでは。
イスラム圏が今後どのような動きをするかは、結局ムスリムの決めることだから見守るしかないけど、イスラム教と持続可能資本主義とを両立させる方法はあると思う。持続可能資本主義の実現をジハードに取り入れる方が、闇雲に西洋文明をぶっ壊すより現実的だと思う。もちろん非西洋文化圏である日本もそれを目指す必要がある。科学と経済は世界の共通言語だからそれを制する者が世界を制する。イデオロギーでは天下は取れない。
あと、ジハードという点では中国はこれから最も強力な敵になる可能性があるのだから、反米反キリストを理由に手を取るようなことはしない方がいい。今のウイグルで起きていることはやがてすべてのイスラム圏に広がる可能性がある。今の中国政府は残忍で容赦ない。手を結ぶにしても今日の味方は明日の敵くらいに思っておいた方がいい。
さて、それでは『春の日』の続きということで、また俳諧の方を読んでいくことにする。
発句は、
三月六日野水亭にて
なら坂や畑うつ山の八重桜 旦藁
場所も日付も前書きに明示されている。
ただ、名古屋での興行だけど、発句は奈良坂で旅体になっている。旦藁が奈良の方を旅してたのか、事情はよくわからない。芭蕉同座の時にはあまりないが、発句が当座の興にならないことも稀にあるということか。
奈良坂はこのじだいだと奈良街道の元明天皇陵の東側を越えて般若寺から正倉院の方へ降りる道のことだろう。今でも地名が奈良阪町になっている。
小高い山なので当時は辺りに畑があり、八重桜も植えられていたのだろう。八重桜というと百人一首でもおなじみの、
いにしへの奈良の都の八重桜
けふ九重ににほひぬるかな
伊勢大輔(詞花集)
の歌が思い浮かぶ。
季語は「八重桜」で春、植物、木類。「なら坂」は名所。「山」は山類。
脇。
なら坂や畑うつ山の八重桜
おもしろふかすむかたがたの鐘 野水
奈良というと、
ほのぼのと春こそ空に来にけらし
天の香具山霞たなびく
後鳥羽院(新古今集)
の歌も思い浮かぶ。奈良だからお寺がたくさんあって、さぞかしあちこちから鐘の音が聞こえてくることだろう、と発句に同意する形で受ける。
第三。
おもしろふかすむかたがたの鐘
春の旅節供なるらん袴着て 荷兮
春で節句といえば三月上巳(じょうし)の桃の節句で、旅の途中できちんと袴を着ている人を見ると節句なんだなと思う。
四句目。
春の旅節供なるらん袴着て
口すすぐべき清水ながるる 越人
節句なので口をすすぎ、身を清める。旅の途中なので清水で口をすすぐことになる。
五句目。
口すすぐべき清水ながるる
松風にたをれぬ程の酒の酔 羽笠
口をすすぐのを酔い覚ましのためだとする。
六句目。
松風にたをれぬ程の酒の酔
売のこしたる虫はなつ月 執筆
表にまだ月が出てなかったので、執筆がぎりぎりで六句目に月を出す。
虫売りはコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」
「江戸時代には6月ころから,市松模様の屋台にさまざまな虫籠をつけた虫売が街にあらわれ,江戸の風物詩の一つであった。《守貞漫稿》には,〈蛍を第一とし,蟋蟀(こおろぎ),松虫,鈴虫,轡虫(くつわむし),玉虫,蜩(ひぐらし)等声を賞する者を売る。虫籠の製京坂麁也。江戸精製,扇形,船形等種々の籠を用ふ。蓋(けだし)虫うりは専ら此屋体を路傍に居て売る也。巡り売ることを稀とす〉とある。虫売は6月上旬から7月の盆までの商売で,江戸では盆には飼っていた虫を放す習慣だったので盆以後は売れなくなったという。」
とある。
前句の酒の酔いをお盆の夜のこととして、売残した虫を放つ。
初裏。
七句目。
売のこしたる虫はなつ月
笠白き太秦祭過にけり 野水
太秦の牛祭りのことで九月十二日に行われる。今は白ずくめの衣装にお面を被り、白い冠のようなものを被っているが、時代によって衣装は変化してきたのだろう。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には「寺中の行者、紙衣を着、牛に乗りて上宮王院の前に出、祭文を読誦する。」とある。
貞享の頃には白い笠を被っていたのだろう。祭りがあると縁日に露店が並び、そこで季節的に松虫や鈴虫を売っていたのだろう。ただ、季節的に遅く、この祭りが終わったら売れ残った虫を放つ。
八句目。
笠白き太秦祭過にけり
菊ある垣によい子見ておく 旦藁
祭りといえば可愛い娘との出会いもある。菊を見るふりをして品定めする。
九句目。
菊ある垣によい子見ておく
表町ゆづりて二人髪剃ん 越人
男二人が月代を剃っているところだろう。噂に菊ある垣根の娘のことを話題にする。
髭と一緒で毎日剃らないとすぐ毛が生えてきたんだろうな。
十句目。
表町ゆづりて二人髪剃ん
暁いかに車ゆくすじ 荷兮
髪を剃るのは毎朝の日課なのだろう。表町の道筋は荷車が通る。
十一句目。
暁いかに車ゆくすじ
鱈負ふて大津の濱に入にけり 旦藁
棒鱈は蝦夷や東北で作られ、それをで若狭湾に運び、陸路で琵琶湖の北岸に運び、そこから鱈船と呼ばれる船でで琵琶湖を縦断し、大津の港に上がる。そこからまたいろいろなところに運ばれてゆく。
李由・許六編『韻塞』(元禄九年刊)に、
鱈船や比良より北は雪げしき 李由
の発句がある。
十二句目。
鱈負ふて大津の濱に入にけり
何やら聞ん我国の声 越人
大津の港にはいろいろなところから船が集まるので、船乗りたちのいろいろな方言が聞こえる。その中にはなじみのある自分の故郷の言葉も混じっている。
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