2021年4月19日月曜日

 今日もいい天気だったけどね。
 日本はこれまでうまく行き過ぎた。だからいつのまにかコロナに関するトンデモ本が氾濫している。こういう連中って、結局一度地獄を見ないとわからないのかもしれない。
 尾脇秀和さんの『氏名の誕生─江戸時代の名前はなぜ消えたのか』(二〇二一、ちくま新書)の公家さんの名前の所を読んだ。『源氏物語』で惟光・良清が本名なのは六位以下だったからということでいいのかな。
 現代でも組織にいる人は課長だとか部長だとか役職名で呼ぶ習慣があり、本名で呼ぶのは失礼になる。外資系の一部では西洋式にファーストネームで呼ぶようにしているところもあると聞くが、日本人的にはかなり違和感がある。この習慣は古代から脈々と続いてきたもので、なかなか変わることはないんだろうな。部長が何人もいれば営業部長だとか総務部長とか呼ぶのも古代と同じだ。
 ネット上でハンドルネームを使うのは、本名と別に雅号を持つのと似ている。日本では本名でやり取りするフェースブックは広まらなかったのも、こうした古くからの習慣によるものなのだろう。
 俳諧の雅号も、一般社会で用いられている名前は上下関係がはっきりと表示されてしまうため避けたのだと思う。ただ、医者や僧の号と紛らわしいので、江戸前期の俳諧では武家社会に所属している人は雅号ではなく、名乗りを用いる傾向があったのだろう。身分を隠すための知恵だったったのだと思う。そこには「俳号」というものをまだ武家社会の方が認知していなかったという事情があったのかもしれない。
 その意味では宗房から桃青になったのは、武家社会を脱して俳諧師として生きて行く決意だったのだろう。

 それでは今日は延宝から離れて、久しぶりに『三冊子』「あかさうし」の続きを。

 「門人の句に、元日や家中の禮は星月夜、といふ有。たゞ、門松に星月夜と計する句也。味ふべしと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.120)

 其角の句で「年立つや」の上五のものもあるようだ。
 元日は朔日だから月はないので、晴れていれば星月夜になる。貞享三年刊荷兮編の『春の日』には、

 星はらはらかすまぬ先の四方の色   呑霞

の句もある。
 当時は星月夜というと闇を詠むもので星の美しさを詠んだ句は珍しい。

 「同、松風に新酒を澄す山路哉、といふ句有。山路を夜寒にすべしといへり。その夜の道の戻りに、集などに若出す時は、はじめの山路しかるべしと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.120)

 この句は元禄八年刊支考編の『笈日記』に、

 松風に新酒を澄す山路かな      支考
   此句は山路を夜寒にすべきよしにてその會
   みちて歸るとて集などに出すべくばもとの
   山路しかるべしといへり。いかなるさかひにか申されけむ。

とある。
 この句は元禄七年九月四日伊賀の猿雖亭での七吟五十韻興行の発句で、その時の発句は、

 松風に新酒をすます夜寒哉      支考

だった。興行の前に芭蕉にこの句を見せたところ「夜寒」にした方がいいと言われて、この形で興行を行ったが、帰り道で集に入れる場合は「山路」で言い、という話だった。
 この時の新酒は「あらばしり」と呼ばれるもので、「新酒をすます」というのは醪(もろみ)の入った袋を吊り下げて、搾り出す過程と思われる。こうして出来たあらしぼりは若干白濁しているが、どぶろくに較べれば雲泥の差の澄んだ酒になる。
 新酒を用意してくれた亭主猿雖への感謝という意味では、このような夜寒の季節に新酒はありがたいの方がふさわしかった。
 山路だと旅体になる。山路を行くうちに新酒も濾過され、宿に着く頃には美味しい新酒が飲めるという意味になる。おそらく猿雖亭に行くまでの道でできた句であろう。
 興行の際の立句と書物に乗せる際の発句との違いといえよう。

 「同、花鳥の雲に急ぐやいかのぼり、といふ句有。人のいへる。この句聞がたし。よく聞ゆる句になし侍れば句おかしからず、いかゞといへば、師の曰、いかのぼりの句にしてしかるべしと也。聞の事は何とやらおかしき所有を宜とす。此類の事はある事也。むかしの哥にも、小男鹿のいるのゝ薄初尾花いつしか君がたまくらにせん、と云もその類也。聞とげざれそもあはれなる哥也といひならはしたるとなり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.120~121)

 これは土芳の句。
 「花鳥」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 花に宿る鳥。また、花と鳥。花や鳥。かちょう。《季・春》
  ※後撰(951‐953頃)夏・二一二「はな鳥の色をもねをもいたづらに物うかる身はすぐすのみなり〈藤原雅正〉」

とあるが、「花に宿る鳥」と「花と鳥」では随分の意味が違っていて、それだけでもどっちだろうかと悩ませてしまう。例文の藤原雅正の歌は「花の色」「鳥の音」で「花と鳥」の方であろう。
 土芳の句は、花は咲いて花の雲となり、鳥は雲に向かって高く飛び立つ。そのようにいかのぼり(凧)も空へ勢い良く舞い上がって行く、という句だと思われる。ただ、花の雲と鳥の雲とで雲の意味が違うため、何だろうと思ってしまう。
 この句は元禄八年刊浪化編の『有磯海』では、

 花鳥の空にいそぐやいかのぼり    土芳

と改作されている。これならすっきりだ。花は空に向かって散って行き、鳥も空へと飛び立っていく。そのようにいかのぼりも空へと上がって行く。
 「や」は疑いの「や」で「花鳥の空にいそぐ」を疑うので、こちらが比喩になるため、この句がいかのぼりの句なのは間違いない。
 和歌の方は、

 さ牡鹿の入野の薄初尾花
     いつしか妹が手枕にせむ
            柿本人麻呂(新古今集)

であろう。まあ、薄が手招きしているから、ささ牡鹿が野に入って行くように妹が家に行きたいな、ということか。上句を比喩として下句を言い起す、『詩経』の「桃之夭夭」のような作りになっている。

 「同、都にはふりふりすらん玉の春、といふ句有。これは玉の字分別あり。かくすも無念なるわざとて結句いひ顯したる句といへり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.121)

 「ふりふり」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「[副]舞い落ちるさま。
  「足を離れて網の上に踊りければ、―と落つる程に」〈今昔・二六・三〉」

とある。「はらはら」に近いようだ。
 「玉の春」は「新玉(あらたまの春」であろう。

 「同、ぬしやたれふたり時雨に笠さして、といふ句あり。是は初五理屈也。なしかゆべしと有。後、跡に月とはいかゞと云ば、宜と也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.121)

 この場合の笠は傘の方であろう。二人でひとつの傘に入っている度、傘の持ち主はどちらだろうか、という句だが、跡に月だと時雨の後の月という古典的なテーマになる。

 「同、時なる哉柊旅客は笠の端にさゝん、といふ句あり。初の詞過たり。柊を、と計すべしと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.121)

 天和の破調の句か。五七五の定型に戻す。柊は立春の時に用いるから、「時なる哉」で春が来た喜びを表したのだろう。

 「同、鶯に橘見する羽ぶき哉、といふ句あり。下の五文字、師の手筋よく思ひ知りたるはと也。四ッ五器のそろはぬ花見心かな、と云も爰なるべしと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.121)

 鶯に橘見する羽ぶき哉        土芳

は『続猿蓑』の歳旦のところに収録されている。鶯に橘の取り合わせに「羽ぶき」を取り囃しとする。
 「羽ぶき」は「羽振」でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 鳥や虫が羽を強く振ること。はばたき。はたたき。はぶり。
  ※曾丹集(11C初か)「おし鳥のはぶきやたゆきさゆる夜の池の汀に鳴く声のする」

とある。
 鶯と橘の取り合わせだけではただ景物を並べただけで情が生じない、鶯の羽ばたく様を加えることで、動きのある生き生きとした様が加わり、春の目出度さにふさわしいものとなる。

 四ッ五器のそろはぬ花見心かな    芭蕉

の句も花見に用いる食器の揃わないような、という比喩で浮かれた心を表す。これは『炭俵』の句。

 「同、春風や麦の中行水の音、といふ句あり。景氣の句なり。景色は大事の物也。連哥に、景曲といひ、いにしへの宗匠ふかくつゝしみ、一代一兩句に不過。初心まねよき故にいましめたり。俳には連哥ほどにはいまず。惣而景氣の句はふるびやすしとて、つよくいましめ有る也。此春風、景曲第一也とて、かげろふいさむ花の糸に、といふ脇して送られ侍ると也。歌に景曲は、見様躰に屬すと、定家卿もの給ふと也。寂蓮の急雨、定賴の網代木、之見様躰の哥とある俳書にあり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.121~122)

 春風や麦の中行水の音        木導

は元禄六年の句で、芭蕉が、

   春風や麦の中行水の音
 かげろふいさむ花の糸口       芭蕉

の脇を付けている。元禄八年刊支考編の『笈日記』にも付け合いとして収録されている。
 春風にそよぐ麦畑に水の流れる音が聞こえるという長閑な農村風景に、陽炎が奮い立ち、桜が咲くのももうすぐだと時候を添える。
 景気は景物ではない。二条良基の『連理秘抄』に、

 「さびしかりけり秋の夕ぐれ といふ句のあらんは、寄合も風情も豊かにて、雲霧草木に付ても付けよくこそあらむずれども、是を人々案じて仕たりと思とも、すべてこの句にかけ合ひたる秀逸は十句に一句も有がたし、その故は、ただ鹿をも啼せ、風をも吹せなどしたる計にては、美しく、秋の夕暮の寂しく、幽かなる景気もあるべからず、只形のごとく時節の景物を案じ得たる許にて、下手はよく付たりと思ふべし」(『連歌論集 上』伊地知鉄男編、一九五三、岩波文庫p.33)

とあるように、景物は「物」であって形を整えるだけで、景気は情を伴うものをいう。
 鹿や秋風には確かに情もあるが、長く言い古された景物は、初めてそれを見た時の感動とは程遠い、既に古典の知識の中での存在になっているからだ。

 山吹や蛙飛び込む水の音       芭蕉

の句の山吹は「景物」だが、

 古池や蛙飛び込む水の音       芭蕉

だと「景気」になる。
 それゆえ二条良基の『連理秘抄』でいう景気は、

 「景気 これは眺望などの面白き體を付くべし」(『連歌論集 上』伊地知鉄男編、一九五三、岩波文庫p.35)

ということになる。
 ただ、景気は個人的には良い眺望だと思っても、長年に渡ってコード化された景物とは異なり、その意味が伝わりにくい。そのため乱用することを戒めている。乱用すればどうなるかというと、それは近代俳句を見ればいい。
 景色はどれも綺麗なものだし、様々な景色を描くとどれも等価になり特別な意味を持たなくなる。
 どんな平凡な景色でも、自分が明日死ぬと思えば、一つ一つがすべて輝いて愛おしく思えるかもしれない。でもそうした句が大量に作られてしまうと、似たり寄ったりの景色の中に埋没してしまうことになる。
 そのため古来和歌も連歌も心を詠むことを第一にしてきた。心を詠むという基本ができた上で景気を詠むと、自ずと景気に心が乗っかるが、そこまでの力量のない者が安易に景気を詠むことを戒めてきた。古池の句は芭蕉だから詠めたというのはその意味で正しい。確かにただの景色で終わってないからだ。「月やあらぬ」や「時に感じて花にも涙を濺ぎ」の古典の情に通じている。情があってそれに新しい「景気」を与えるというのは、実のところそう簡単ではないからだ。

   春風や麦の中行水の音
 かげろふいさむ花の糸口       芭蕉

この脇は「いさむ」という取り囃しが大事で、平凡な景色の描写に留まる発句に命を与えているといっていい。

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