2021年4月15日木曜日

 今日はよく晴れた。
 コロナの方は感染者の増加が止まらない。ワクチンは感染者の多い地域に優先して回した方がいいのではないか。大阪の変異株の力は本物で、ある程度経済を止める覚悟がないと収まらない。少なくとも去年の今頃くらいのことはやらなくては。
 アニメの「ムシウタ」を改めてもう一度見た。岩井恭平さんの「ムシウタ」は「ムシウタbug」も含めて前に全部読んだ。
 人は自分の居場所のために戦っているというテーマは、自分の思っていた「生存の取引」にも重なる。それは自分だけでなく、誰もが自分の居場所を持てる社会にするという理想をもたらす。その頃自分の夢は何だろうかと思ったとき、出てきたのは「排除なき共同体」という理想だった。
 この夢は今でも変わっていない。あれからわかったのは、様々な多様な価値観を持つ人たちをごちゃまぜにしてはいけないということくらいで、うまく住み分けられるシステムを模索している。
 大事なのは敵が何なのか見誤らないことだということも、この小説から学んだ。

 それでは延宝のグルメ3。

塩辛

 「青葉より」三十二句目

   夕日影光はちよくにかたぶきて
 塩からあらふ沖津白浪      春澄

 酒の肴の塩辛は海で獲れるから、夕陽とともに白波に洗われるとする。


あぢ鴨

 「塩にしても」脇

   塩にしてもいざことづてん都鳥
 只今のぼる波のあぢ鴨      春澄

 都鳥は食べないけどあぢ鴨(トモエガモ)は美味なので、都鳥は言伝だけにして、ただいまトモエガモが都へと上ります、とする。ウィキペディアには、

 「食用とされることもあった。またカモ類の中では最も美味であるとされる。そのため古くはアジガモ(味鴨)や単にアジ(䳑)と呼称されることもあった。 アジガモが転じて鴨が多く越冬する滋賀県塩津あたりのことを指す枕詞「あじかま」が出来た。」

とある。


海苔ととろろ

 「塩にしても」二十句目

   麦食の𦬇や爰に霞むらん
 妙なるのりととろろとかるる   春澄

 菩薩が説くのは妙なる法(のり)だが、ここでは麦飯に合わせて海苔ととろろをかき混ぜる。


白絞油

 「塩にしても」二十五句目

   聖天高くつもるそろばん
 帳面のしめを油にあげられて   桃青

 帳面の締めで利益が上がるのと白絞油で天ぷらが上がるのとを掛けて、待乳山聖天のように高く利益が積もり積って、天ぷらも積み上げられる。


煎菜

 「わすれ草」発句

 わすれ草煎菜に摘まん年の暮   桃青

 煎菜(いりな)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 ゆでて二、三寸くらいに切った菜を酒、しょうゆ、塩などで味をつけて煎りつけた料理。
  ※俳諧・俳諧一葉集(1827)「わすれ草煎菜につまん年の暮〈芭蕉〉 笊籬(いかき)味噌こし岸伝ふ雪〈千春〉」

とある。
 年忘れに忘れ草を食べようという発句だが、「摘まん」だからまだ入手してないようだし、洒落で言っただけで本当に食べたわけではないのだろう。


ごまめと膾大根

 「見渡せば」五十四句目

   御供にはなまぐさものの小殿原
 つづく兵膾大根         桃青
 (御供にはなまぐさものの小殿原つづく兵膾大根)

 生臭物のごまめに続くつわものは膾大根。ごまめの生臭さを抑えてくれる頼れる奴だ。


白魚

 「鷺の足」七十二句目

    春秋を花と飡とに暇なき
 白魚をかざすより餅春の宴    桃青

 白魚は『和漢三才図会』にも上饌とされていて、高級なものだった。徳川家康もこの魚には葵の紋がついているといって白魚を好み、献上させたという。


西瓜

 「見渡せば」七十八句目

   腫気のさす姿忽花もなし
 春半より西瓜は西瓜は      桃青

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「西瓜は腫気の薬」とある。確かに今日でもシトルリンというアミノ酸が血流を促し、むくみを解消すると言われている。その一方でカリウムが多いので腎臓に悪いとも言われている。
 西瓜は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』に、

 「[和漢三才図会]慶安中、黄檗隠元入朝の時、西瓜・扁豆等の種を携へ来り、始て長崎に植。[本朝食鑑]水瓜は西瓜也。俗に、瓜中水多し、故に名く。[大和本草]三月種を下し、蔓延て地に布。四五月黄花を開く。甜瓜の花のごとし。」

とある。


柚べし

  「実や月」五十四句目

   窓近き小ざさみだるる竹の皮
 夕日こぼれて柚べしかたまる   杉風

 柚べしはウィキペディアに、

 「源平の時代に生まれたとも伝えられる。菓子というよりも保存食・携帯食に近いものだったとされ、時代とともに現在のような菓子へ変化したといわれている。現在では珍味に分類されるものと、和菓子の一種(蒸し菓子や餅菓子など)に分類されるもの、その他のものに分けられる。また江戸時代には、徳川家にも献じるなどの献上品として扱われることもあった。」

 「柚子の実の上部を切り取った後、中身をくり抜き、この中に味噌、山椒、胡桃などを詰めて、切り取った上部で蓋をする。そして、これに藁等を巻いて日陰で1か月から半年ほど乾燥させる。食べる際には藁を外して適宜に切り分け酒の肴やご飯の副食物として用いる。」

とある。
 柚べしが固まるというのはこの乾燥させる作業であろう。窓の所に干してあった。


冷飯に生姜梅漬

 「須磨ぞ秋」四十六句目

   冷飯を鬼一口に喰てけり
 是生滅法生姜梅漬        桃青

 冷や飯も、そのおかずの生姜梅漬も食ってしまえばあっという間になくなる。まこと是生滅法なり。



 「わすれ草」十七句目

   雲井に落る鳫の細首
 料理人御前を立て花の浪     千春

 前句の雲井を御所のこととして、料理人が花見の宴のために呼ばれる。鳫がその場で捌かれる。


雁、鶴

 「実や月」二十七句目

   殿様かたへゆくあらしかな
 雁鶴も高ねの雲の立まよひ   紀子

 「高嶺の花」という言葉は本来は高い山の上で咲く花で手が届かないという意味だったが、今日では「高値の花」つまり値段が高くて手の届かないという意味で用いられている。


焼鳥

 「実や月」十三句目

   秋を坐布の床の山風
 焼鳥の鶉なくなる夕まぐれ   二葉子

 秋風に鶉は、

 夕されば野辺の秋風身にしみて
     鶉鳴くなり深草の里
           藤原俊成(千載和歌集)

が本歌になる。それを焼鳥の鶉にして卑俗に落とす。



 「春澄にとへ」十三句目

   犬切つて其聲のかなしく
 ねざま侘て雪の炉に根深温ル   才丸

 日本では仏教の影響が強く、四つ足の動物を食べることは稀だったが、犬を食べたという記録は存在していて、ウィキペディアに、

 「江戸時代に入ると、犬食は武士階級では禁止されたが、庶民や武家の奉公人には食されていた。17世紀の『料理物語』には犬の吸い物を紹介する記述がある。18世紀の『落穂集』には、「江戸の町方に犬はほとんどいない。武家方町方ともに、江戸の町では犬は稀にしか見ることができない。犬が居たとすれば、これ以上のうまい物はないと人々に考えられ、見つけ次第撃ち殺して食べてしまう状況であったのである。」としている。」

とある。
 この大道寺友山重祐(1639-1730)が享保12年(1727年)に発表『落穂集』巻十の「以前町方諸売買初之事」に、

 「武家・町方共に下々の給物(たべもの)に犬に増(まさ)りたる物ハ無之ごとく有之候ニ付、冬向に成り候へハ見合次第打殺し賞玩(しょうがん)仕るに付ての義と有之候也」

とある。
 お隣の国では夏に暑気払いで食べるようだが、日本では冬のものでネギと一緒に煮込んで食べたようだ。


干し鯨

 「春澄にとへ」四十一句目

   納戸の神を齋し祭ル
  煤掃之礼用於鯨之脯      其角

  これは漢文で「煤掃(すすはき)の礼に鯨の脯(ほしし)を用ゆ」と読む。
 「脯(ほじし)」は「ほしじし」で干し肉のことをいう。
 鯨は冬の季語ではあるが、一度に大量の肉が取れるので、多くは何らかの形で保存食になったのだろう。塩漬けにして保存することもあった。芭蕉の元禄五年の句に、

 水無月や鯛はあれども塩鯨    芭蕉(葛の松原)

とある。


玉子酒

 「色付や」八十三句目

   義経是にて雪の暁
 玉子酒即事に須磨を打つぶし   桃青

 義経が須磨の平家に打ち勝った一ノ谷の戦いは旧暦二月七日で、実際は春だった。
 ここでは雪の暁に玉子酒を飲んで出陣したことにしている。


南蛮の酒

 「物の名も」二十一句目

   木綿ざらさの紅葉かたしく
 花に嵐あらきちんたをあたためて 信章

 「あらき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (arak) 江戸時代、オランダから渡来した蒸留酒。アルコールに香気をつけたもの、あるいは、丁子、肉桂、ういきょうなどを焼酎につけたものという。アラキざけ。
  ※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)「花に嵐あらきちんたをあたためて〈信章〉 胸につかへし霞はれ行く〈信徳〉」

とある。
 「ちんた」は同じくコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (vinho tinto 「赤ぶどう酒」の略)⸨チンダ⸩ ポルトガルから輸入された赤ぶどう酒。チンタ酒。
  ※太閤記(1625)或問「上戸には、ちんた、ぶだう酒」

とある。

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