2021年3月5日金曜日

  今日は曇りで午後から雨が降った。
 コロナの方は緊急事態宣言が二週間延長になった。延長しても今以上の自粛のレベルを上げなければ現状維持にしかならない。年度末で実際のところそれも難しいだろう。まあ、そこそこのレベルで五月まで持ちこたえれば、とりあえず勝利かもしれない。ただ、今のウイルスは去年の夏を乗り切ったウイルスの子孫だから、夏に強くなっているかもしれない。
 時代が急速に動いているのはコロナのせいだけではなく、戦後のベビーブーマー、日本で言う団塊世代が引退適齢期に来ているからかもしれない。

 それでは「衣装して」の巻の続き。

 初裏。
 七句目。

   のた打猪の帰芋畑
 賤の子が待恋習ふ秋の風     芭蕉

 夫が夜興引(よごひき)で猪を追い回している間は、賤の妻も待つ恋が習慣になる。
 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注は『夫木抄』の、

 恋をしてふす猪の床はまどろはで
     ぬたうちさます夜半の寝覚めよ
 賤たまき数にもあらぬ命にて
     などかくばかりわが恋ひわたる

の二首を挙げている。
 「ぬたうちさます」は前句の「のた打」の證歌ともいえよう。
 八句目

   賤の子が待恋習ふ秋の風
 あかね染干す窓のおも影     曾良

 茜はウィキペディアに、

 「アカネ科アカネ属のつる性多年生植物。シノニム R. akane。根は茜色をしており、草木染めの原料になり、薬草としても利用される。」

とあるが、

 「日本では上代から赤色の染料として用いられていた。日本茜を使って鮮やかな赤色を染める技術は室町時代に一時途絶えた。染色家の宮崎明子が1997年にかけて、延喜式や正倉院文書などを参考にして、日本茜ともろみを併用する古代の染色技法を再現した。」

ともあるので、この時代には既に途絶えていたか。待つ恋に古代の雰囲気を出そうとしたのだろう。
 九句目

   あかね染干す窓のおも影
 あぢきなく落残リたる国の脇   前川

 あかね染を血染めのこととしたか。落ち武者にする。
 十句目

   あぢきなく落残リたる国の脇
 寺の物かる罪の深さよ      曾良

 旅人がお寺のお堂を借りて野宿することはよくあることだが、有人の寺に上がり込んで勝手にものを持ってくのは困る。落ち武者の中には武威の物いわせて略奪を繰り返す者もいる。
 十一句目

   寺の物かる罪の深さよ
 振あげて杖あてられぬ犬の声   路通

 寺から物を盗んでいったのは犬だった。草履でも咥えていったか。はい、生類憐みの令違反。
 十二句目

   振あげて杖あてられぬ犬の声
 聟のりはつを町にひろめん    前川

 前句の「ぬ」を完了の「ぬ」ではなく否定の「ぬ」とする。このご時勢、下手に犬に手を挙げぬ方がいい。
 十三句目

   聟のりはつを町にひろめん
 手作リの酒の辛みも付にけり   曾良

 前句の「りはつ」を利発ではなく理髪とする。元服して正式な婿となるのでお祝いをする。
 酒は米の糖分を発酵させてアルコールに変えるので、発酵が進むと辛くなる。
 十四句目

   手作リの酒の辛みも付にけり
 月も今宵と見ぬ駑馬の市     芭蕉

 「駑馬(どば)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 足のおそい馬。にぶい馬。
  ※令義解(718)厩牧「細馬一疋。中馬二疋。駑馬三疋。〈謂。細馬者。上馬也。駑馬者。下馬也〉」
  ※高野本平家(13C前)五「騏驎は千里を飛とも老ぬれば奴馬(ドバ)にもおとれり」 〔戦国策‐斉策五〕
  ② 才能のにぶい人のたとえ。」

とある。軍馬ではなく運搬や農耕に用いる馬の市が立ち、その頃には新酒も出来上がり満月になる。
 馬喰町の馬市がいつかはよくわからないが、名月の頃に立つ馬市もあったのだろう。
 十五句目

   月も今宵と見ぬ駑馬の市
 狩衣をきぬたのぬしに打くれて  路通

 月に砧は李白の「子夜呉歌」。砧の主は砧を打つ奥方のことか。三句前に聟があるので妻を嫌ったのであろう。狩衣を砧打つように妻に預けて、夫は出征するのではなく、ただ仕事のための普通の馬を見に行く。
 十六句目

   狩衣をきぬたのぬしに打くれて
 我おさな名を君はしらずや    芭蕉

 「おさな名」は元服前の名前。芭蕉の場合は金作。
 ある程度の年になってから妻を貰うと、妻は幼名を知らなかったりしたのだろう。砧打つ姿に母のことを思い出し、幼名で呼ばれてたことを懐かしく思い出す。
 十七句目

   我おさな名を君はしらずや
 花の顔室の湊に泣せけり     路通

 室(むろ)の湊は播磨国の室津。今のたつの市にあった。古代から水運の要衝だった。こういう港に遊女は付き物といってもいい。
 花の顔だからお客さんの所に出るときの顔だろう。そのお客が幼い頃の自分を知っている人で泣き出してしまう。
 十八句目

   花の顔室の湊に泣せけり
 古巣の鳩の子を持ぬ恋      曾良

 老いた遊女が古巣の室津に帰ってきたのだろう。子を持つこともなく身寄りのない老いを嘆く。
 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注は、

 花は根に鳥は古巣に帰るなり
     春のとまりを知る人ぞなき
               崇徳院(千載集)

の歌を引いている。春の室の泊(とまり)を知る人もなきか。

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