冷泉彰彦さんの『アメリカの警察』(二〇二一、ワニブックスPLUS新書)を六割がた読んだか。
警察一つとっても日本とアメリカの状況はまるで違うし、これを読んでいるとアメリカが進んだ国だとも思えないし、開拓時代や奴隷制の負の遺産をたくさん引きずっている複雑な国なんだというのがわかる。
トランプさんについての記述を読んでいると、アメリカと日本ではやはりかなり受け止め方が違っていたんだと思う。平和な日本では、アメリカが日本のような治安のいい国になればいいと思うけど、不法移民が長年に渡って既成事実になってしまっているところで、それを変えるというのがいかに大変なことで、人権上深刻な問題を引き起こすのも分かる。
ただ、日本人の立場として言いたいのは、反トランプ派の主張がそのまま日本に当てはめられてしまうと、日本がアメリカ並みの治安になってしまうという恐怖があるということだ。今の日本の平和を支えている文化伝統習慣をアメリカと比べて遅れた野蛮な文化ということで片づけてほしくない。だから手放しにバイデン政権を賛美できないし、バイデンさんになってよかったとも思えない。
アメリカの分断がトランプさんによってもたらされたとしても、日本の分断は左翼や人権派によってもたらされている。
まあ、トランプさんもアメリカに住みづらくなったら日本に来るといいよ。今度はまわしをつけて土俵に上がってほしいな。
それから、鈴呂屋書庫に延宝四年の「時節嘸」の巻をアップしたのでよろしく。
それでは「かげろふの」の巻の続き。
十三句目。
ほそく書たる文のやさしき
盃をそこらに火燵とりまきて 曾良
酔った勢いで女々しいことを書いてしまったか。あとで読み返して赤面。
十四句目。
盃をそこらに火燵とりまきて
としよりひとり日まちつとむる 芭蕉
日待はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 人々が集まり前夜から潔斎して一夜を眠らず、日の出を待って拝む行事。普通、正月・五月・九月の三・一三・一七・二三・二七日、または吉日をえらんで行なうというが(日次紀事‐正月)、毎月とも、正月一五日と一〇月一五日に行なうともいい、一定しない。後には、大勢の男女が寄り集まり徹夜で連歌・音曲・囲碁などをする酒宴遊興的なものとなる。影待。《季・新年》
※実隆公記‐文明一七年(1485)一〇月一五日「今夜有二囲棊之御会一、終夜不レ眠、世俗称二日待之事一也云云」
とある。「季・新年」とあるが曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の「春」のところにもないから、近代の新暦になってからの季語であろう。それ以前は「春」であって「新年」という季はない。
本当は大勢集まって朝まで賑やかにやる所だが、年寄り一人の日待は寂しい。
十五句目。
としよりひとり日まちつとむる
ものの音も夏はなつをぞふきにける 嵐蘭
ここで嵐蘭の登場だが、その一方で此筋がいなくなる。二十六句目には北鯤、二十九句目には嵐竹がとうじょうするが、此筋の退席と入れ替わりに別の江戸のメンバーがやってきて出勝ちになったか。
「ものの音(ね)」は音楽のこと。コトバンクの「世界大百科事典内のもののねの言及」に、
「…明治以前の日本では,たとえば雅楽は寺社と公卿階級に属し,能楽は武家階級のもの,長唄や浄瑠璃は町民のものというように,音楽の各ジャンルは,社会的階層の中に個別的,閉鎖的に所属するという傾向が強かった。 吉川英士によれば,〈音楽〉という用語は,古く中国からもたらされたが,奈良朝ころまでは,表記するためにその文字を借りても,〈おんがく〉とは訓(よ)まず,〈うたまひ〉〈もののね〉などといった。次いで,平安初期ころから,〈おんがく〉という語が用いられたが,主として唐楽・高麗楽系統の器楽合奏曲を指した。…」
とある。『源氏物語』では「あそび」が音楽の意味で用いられている。
年寄り一人で「ふきにける」だから笛であろう。秋の夜が音が澄んで聞こえてベストだが、夏は夏で五月の日待ちをそれなりに楽しんでいる。
十六句目。
ものの音も夏はなつをぞふきにける
桐のたう立其陰の家 嗒山
桐も花が咲くが、それを薹が立つという。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」にも、
「1 桐の花軸。
2 紋所の名。桐を図案化したもので、五三の桐、五七の桐などがある。
3 《文様に2を用いたところから》大判・小判・一分金(いちぶきん)などの判金。きりのと。
「その時の白菊は―に替へて、小判弐百両」〈浮・好色盛衰記〉」
とある。五三の桐、五七の桐は豊臣秀吉が用いたことでも知られている。
桐は一年で急速に成長して、若いうちは背の高い草みたいだから桐の薹なのだろうか。福島の人の戻らない田んぼにも、桐はすぐ生えてくる。
夏に笛を奏でる家の庭は荒れ果てて、桐の薹が立っている。
十七句目。
桐のたう立其陰の家
旅車あくるひがしは月と花 曾良
車で旅ができたのは古代道路の残っていた時代で、王朝時代と見ていいのだろう。桐の薹の立つ家で「月と花」ならば、
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身ひとつはもとの身にして
在原業平
であろう。『伊勢物語』では東の五条で京から離れてないが、東国への旅のきっかけにもなる。
十八句目。
旅車あくるひがしは月と花
なみは霞のふじをうごかす 嵐蘭
旅車は駿河の国の田子の浦のあたりを行く。大きな干潟に映る富士山の霞は波に静かに揺らめく。
二表。
十九句目。
なみは霞のふじをうごかす
客よびて塩干ながらのいかなます 芭蕉
田子の浦は今でもアオリイカが釣れる。釣ったばかりのイカを膾にして潮干狩りの客をもてなせば、向こうに春霞の富士山が浪に映っている。
二十句目。
客よびて塩干ながらのいかなます
犬にをはるるあぢの村鳥 曾良
「あぢがも」はトモエガモの異名だという。鷹狩だろう。鷹狩では犬の追い立てて飛び立った鳥を鷹に取らせる。季節が違うので相対付けであろう。春の潮干のイカ、冬の鷹狩りのあじがもが対になる。
二十一句目。
犬にをはるるあぢの村鳥
城北の初雪晴るるみのぬぎて 嗒山
『校本芭蕉全集 第四巻』の注に岑參の「漢王城北雪初霽」の詩が記されているので維基文庫から引用する。
赴嘉州過城固縣尋永安超禪師房 岑參
滿寺枇杷冬着花 老僧相見具袈裟
漢王城北雪初霽 韓信臺西日欲斜
門外不須催五馬 林中且聽演三車
豈料巴川多勝事 爲君書此報京華
一句として漢詩の趣向を借りているだけのように思える。城北は『冬の日』の「つつみかねて」の巻の四句目、
歯朶の葉を初狩人の矢に負て
北の御門をおしあけのはる 芭蕉
と同様、鷹狩などの外出の際は大手門ではなく搦手門から出入りしたということではないかと思う。
二十二句目。
城北の初雪晴るるみのぬぎて
おきて火を吹かねつきがつま 芭蕉
鐘撞は鐘撞の番をして時を知らせる人で、ネット上の「浦井祥子著『江戸の時刻と時の鐘』掲載紙:日本経済新聞(2002.5.24)」には、
「時の鐘の運営も幕府の意向が強く働き、かなり制度化されていた。寛永寺に残る史料などから、鐘撞人の職が世襲である一方で鍾撞人の権利を有する株も存在していたことが分かった。」
とある。城北ならおそらく寛永寺であろう。鐘撞人の生活を多分想像したものだろう。
二十三句目。
おきて火を吹かねつきがつま
行かへりまよひごよばる星月夜 嵐蘭
まだ真っ暗な月のない夜、迷子になった子供を探す声がする。星月夜は暗闇のイメージで、当時は満天の星空はあまりに当たり前で、特に気に留めるようなものではなかった。
二十四句目。
行かへりまよひごよばる星月夜
組でこかせば鹿驚なりけり 嗒山
「鹿驚」が「かがし」と読む。ぶつかって何だこの野郎と倒したら案山子だった。真っ暗な星月夜にはありがちなことだ。
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