2021年3月7日日曜日

 陸道烈夏さんの『こわれたせかいのむこうがわ』を読んでて、子供の頃いつもラジオを聞いてたことを思い出した。もちろん今もラジオは欠かせないが。
 左翼の家庭で育ち、テレビはNHK以外はほとんど見せてもらえなかったし、全員集合は何とか見せてもらえたが、コント55号の野球拳はNGだった。教養特集のテーマ音楽は聴くだけで気持ち悪かったけど、あとで冨田勲だと知った。
 そういうわけで子供のころからラジオを聴くのが救いだった。筆者もまたラジオで西側の情報を得ていた一人だった。実際、NHKは今でも中国メディアだ。
 あと、鈴呂屋書庫に延宝四年の「梅の風」の巻をアップしたのでよろしく。

 それでは「衣装して」の巻の続き。挙句まで。

 二裏。
 三十一句目。

   つらのおかしき谷の梟
 火を焼ば岩の洞にも冬籠     曾良

 修行僧が岩の洞穴で冬籠りをして、入り口付近で火を焚いて暖を取っていると、その火にフクロウの姿が照らし出される。

 後の句だが、

 梟の咳せくやうに冬ごもり    一旨(一幅半)

の句もある。
 三十二句目。

   火を焼ば岩の洞にも冬籠
 国も半に残す巡礼        芭蕉

 西国三十三所巡礼は養老二年(七一八年)に徳道上人が開いたもので、後に花山院が再興したと言われている。一度に回り切れずに半ば廻った所で冬籠りして、また次の年にという人もいたのだろう。岩の洞に籠って冬籠りする。旅体に転じる。
 三十三句目。

   国も半に残す巡礼
 衰ふる父の白髪を気にかけて   路通

 巡礼の途中だが、老いた父のことが気にかかり、途中で故郷に戻る。
 三十四句目。

   衰ふる父の白髪を気にかけて
 折にのせたつ草の初物      前川

 老いた父に代わって春の野に出て若菜の初物を摘んで折箱にのせる。

 君がため春の野に出でて若菜摘む
     わが衣手に雪は降りつつ
            光孝天皇(古今集)

を思い起こさせる。
 三十五句目。

   折にのせたつ草の初物
 入過て餘りよし野の花の奥    芭蕉

 順の峯入りであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「天台系の本山派の修験者が、役行者(えんのぎょうじゃ)の入山を慕って、熊野から葛城(かつらぎ)・大峰を経て吉野へ出る行事。真言系の当山派の逆の峰入りに対する語。順の峰。《季・春》 〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

とある。
 一か月くらいかけて熊野から吉野まで行脚すると、最後に吉野の千本桜が待っている。峯入りの終わったあとは吉野の花の奥で足を休める。
 後に曾良が、

 大峰や吉野の奥の花の果て    曾良

の句を詠んでいる。
 挙句。

   入過て餘りよし野の花の奥
 何が何やらはるのしら雲     前川

 吉野の雲は本物の雲なのか花の雲なのか、何が何やらわからない。「しら雲」は「何が何やら‥‥知らぬ」に掛かる。
 吉野の花の雲が出たところで目出度く一巻は終了する。

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