また東北の方で地震があった。この辺も少し揺れた。
東中竜一郎さんの『AIの雑談力』(二〇二一、角川新書)はまだ最後まで読んでないけど面白いね。若かったらこんな仕事をやってみたいな。まあ、SE方面のスキルはないけど。
心の読めないAIが関連する言葉をデータの中から抽出して答えるというのは、俳諧でいえば物付けだなと思う。マツコAIの堂々巡りの会話は俳諧で言えば輪廻。対話破綻は付かない句が出た時だろうな。どうすれば面白い展開ができるかが大事なのは俳諧と同じだ。
ただシステムがあまり目的を持ってほしくないなというのはある。結局それって雑談しているうちにいつの間にかある商品を買わせるように仕組むってことだし、商品ならまだしも、特定の政治的主張に同意するように導かれたり、宗教に勧誘されたりしたら、こんな雑談AIは嫌だ!になる。できれば無目的で雑談を楽しめるAIでいてほしいな。
それでは『三冊子』の続き。
「稻妻を手に取るやみの紙燭かな
この句、師のいはく、門人この道にあやしき所を得たるものにいひて遺す句也となり。そのあやしきをいはんと、取物かくのごとし。万心遣ひして思ふ所を明すべし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.110)
この句は貞享四年刊其角編の『続虚栗』所収の句で、
寄李下
いなづまを手にとる闇の紙燭哉
とある。
『続虚栗』は芭蕉が天和的な奇抜な趣味から抜け出て古典回帰へ向かう時期で、「あやしき所」というのはその天和的なものということではなかったかと思う。
古語の「あやし」にはいろいろな意味があって、weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」には、
「①不思議だ。神秘的だ。
出典源氏物語 桐壺
「げに御かたち・有り様、あやしきまでぞ覚え給(たま)へる」
[訳] なるほど、お顔だち・お姿が、不思議なほど(亡き更衣に)似ていらっしゃる。
②おかしい。変だ。
出典枕草子 清涼殿の丑寅のすみの
「女御、例ならずあやしとおぼしけるに」
[訳] 女御は、いつもとは違い、(ようすが)おかしいとお思いになったところ。
③みなれない。もの珍しい。
出典徒然草 一二一
「珍しき鳥、あやしき獣(けもの)、国に養はず」
[訳] 珍しい鳥、みなれない獣は、国内では飼わない。
④異常だ。程度が甚だしい。
出典徒然草 序
「心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ、ものぐるほしけれ」
[訳] 心に浮かんでは消えてゆくたわいもないことを、とりとめもなく書きつけていると、(思わず熱中して)異常なほど、狂おしい気持ちになるものだ。◇「あやしう」はウ音便。
⑤きわめてけしからぬ。不都合だ。
出典源氏物語 桐壺
「打ち橋・渡殿(わたどの)のここかしこの道にあやしき業(わざ)をしつつ」
[訳] 打ち橋や渡殿のあちこちの通り道にきわめてけしからぬことをしては。
⑥不安だ。気がかりだ。
出典奥の細道 那須
「うひうひしき旅人の、道ふみたがへん、あやしう侍(はべ)れば」
[訳] (その地に)まだ物慣れていない旅人が、道を間違えるようなのも、不安でありますから。◇「あやしう」はウ音便。
とある。これらの意味からも、どことなく尋常ではない異常な、奇をてらった珍しいというイメージは浮かぶと思う。
たとえば天和三年刊其角編の『虚栗』の、
子規芋まだ青き月夜かな 李下
の句は仲秋の名月が芋名月とも呼ばれ、ちょうどそのころ採れる里芋を供えたりするのに対し、ホトトギスの鳴く頃の夏の月の頃は芋もまだ青い。ホトトギスに青い芋で何かと思わせて、月夜で「ああ、芋名月のことか」と納得させる句だ。こういう落ちの付け方は其角の得意とする所でもある。ただ、物珍しさというレベルではとうてい其角に及ばない。
點滴(たまみづ)ヲ硯に奇也ほととぎす 其角
上から滴り落ちてくる露が硯にこぼれ一体なんだと謎を掛けて、ホトトギスで結ぶ。ヒント、墨をするのは歌を詠もうとしていた。雫は上にあった枝が揺れたからこぼれてきた。李下の句はここまで手の込んだ句を作るまではには至らない。
清く聞ン耳に香焼て郭公 芭蕉
これは其角のような謎かけではなく、ホトトギスに本当に古人の心を味わおうと思ったら、耳を清めるために香を焚かなければいけないな、と奇抜な発想の中に志の高さがある。
芭蕉が言おうとしたのは奇なるものというのは理屈で導き出せるものではなく、ある種の天啓が必要ということではなかったかと思う。
電光石火という言葉のもとも意味は、雷が光る一瞬のように、火打石が火花を放つ一瞬のように、悟りというのは一瞬にしてやってくるというものだ。
ただ、その一瞬を心に留めなければ、忘却あるのみだ。
その一瞬のひらめきで紙燭を灯して初めて闇を照らすことができる。句を詠もうという一瞬涌いて出た初期衝動を、いかに心の中に持続させるか、大事なのはそれだということではなかったかと思う。
「旅人とわが名呼れん初しぐれ
此句は、師武江に旅出の日の吟也。心のいさましきを句のふりにふり出して、よばれん初しぐれ、とは云しと也。いさましき心を顯す所、謠のはしを前書にして、書のごとく章さして門人に送られし也。一風情あるもの也。この珍らしき作意に出る師の心の出所を味べし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.110~111)
これも貞享四年刊其角編の『続虚栗』の句で、
十月十一日餞別會
旅人と我名よばれん初霽 芭蕉
以下、歌仙が記されている。厳密には旅立ちの日ではないが、集まった門人に旅の決意を示す発句だった。
「謠のはしを前書にして」に関しては岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』の潁原注に、謡曲『梅枝』の、
「はや此方へと夕露の、葎の宿はうれたくとも、袖をかたしきてお泊りあれや旅人。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.42839-42841). Yamatouta e books. Kindle 版. )
だと言う。初時雨の露に「お泊りあれや旅人」というふうに我名を呼ばれてみたいものだ、とすれば、なるほどと思う。
「何に此師走の市に行烏
此句、師のいはく、五文字のいきごみに有となり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.111)
この句は元禄二年冬、大津膳所滞在中の句で、元禄三年刊其角編の『花摘』に、
何に此師走の市にゆくからす 翁
とある。
僧形の自分を自嘲気味に、何でわざわざ師走の市に行くんだ、と戒めたもので、その一方で師走の市には用がなくてもついつい行ってしまう、人を魅了する何かがある。それは活気というか、大勢の人が自分と同じように生きているんだなという連帯なのかもしれない。
「何に此(この)」の五文字は力強く、かといってそんなに厳しく咎めているわけでもないところに、強い初期衝動が感じられる。
「ほとゝぎす正月は梅の花さかり
この句ハ、ほとゝぎすの初夏に、正月に梅咲ることをいひはなして、卯月になるが、ほとゝぎすの聲はと、願ふ心をあましたる一体也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.111)
この句は天和三年刊其角編の『虚栗』所収の句で、
ほとゝぎす正月は梅の花咲リ 芭蕉
とある。
まだ若い頃で言い古されたホトトギスという題材に、何か目新しいことをと思って、あえて正月のことを引き合いに出したのだろう。
同じ年の正月と思われるものに、
歳旦
元日やおもへばさびし秋の暮 芭蕉
の句もある。この句は長いこと未発表だったので、土芳は知らなかったと思う。
こちらの歳旦吟が秋の暮は寂しかったが元旦でお目出度いと逆説的なのに対し、正月は梅の花盛り、さてホトトギスは‥‥、というものだ。
「鹽鯛の齒ぐきも寒し魚の棚
此句、師のいはく、心遣はすと句になるもの、自賛にたらずと也。鎌倉を生きて出けん初鰹、といふこそ、心のほね折、人のしらぬ所也。又いはく、猿のは白し峯の月、といふは、其角也。鹽鯛の齒ぐきは我老吟也。下を魚の棚とたゞ言たるも自句也といへり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.111)
「心遣はす」という言葉は「いなづまを」の句の時にもあり、「万心遣ひして思ふ所を明すべし」とあった。古今集の仮名序に「やまとうたは人の心をたねとして」とある以上、心遣はすことは俳諧でも基本で、あたりまえのことだから、「自賛にたらず」ということだろう。
鎌倉を生きて出けん初鰹 芭蕉
の句は元禄五年刊支考述不玉撰の『葛の松原』にある。
この句は心遣いだけでなく、心の骨折るところに気付くべきだという。
まず最初の心遣いは、単に初鰹が新鮮なうちに鎌倉から出荷されるということではあるまい。そこには生きて鎌倉を出ても、やがて死に、さばかれ、食べられるという命への共鳴、細みに重点が置かれていたと思う。
大事なのは、その作意が新鮮な初鰹が食べられるという喜びの情の中にいかに埋もれないようにするか、そこが骨折だったのではないかと思う。
「鎌倉を生きて出けん」の上五七だけ聞くと人が逃げ出したかのように思う。『平家物語』や『義経記』などにそんな物語がなかったかな、と思わせておいて下五で「初鰹」で落ちにするわけだが、この句はそこで「あっ、なるほど」で終わらない。命からがら逃げおうせた武者のイメージと初鰹のイメージとが重なり合うことで、初鰹への同情を誘う。これが骨折りだ。
声枯れて猿の歯白し峯の月 其角
塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店 芭蕉
この二句は心遣いにおいては同じと言ってもいいだろう。ただ、選ぶ題材が違う。其角は手の届かない峰の上の月を取ろうとして鳴き続け、声も枯れた猿の歯が白いと作る。これに対し芭蕉は卑近な魚屋に並ぶ塩鯛の開け放たれた口をを見て、歯だけでなく歯ぐきも寒いと作る。骨の折り方は明らかに違う。
違いはといえば、其角の句を理解するには古典の素養が必要とされる。だから教養あるものはこちらの句を好むかもしれない。芭蕉の句は文字通り和光同塵の句で、市場に集まる普通の人に呼び掛けた句になっている。其角の句は離俗で芭蕉の句は帰俗といってもいい。
「春立や新年ふるき米五升
此句、師の曰、似合しや、とはじめ五文字あり。口惜事也といへり。其後は、春立や、と直りて短冊にも殘り侍る也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.111)
この句は二転三転したかなり骨折った句だったのだろう。「似合しや」の初五の句は、かなり後になって享保二年(一七一七年)刊越人編の『鵲尾冠』に歳旦三つ物の形で掲載されている。
歳旦
此發句は芭蕉、江府船町の囂に倦、
深川泊船堂に入ラれし、つぐる年の作な
り。草堂のうち、茶碗十ヲ、菜刀一枚、
米入るゝ瓢一ッ、五升の外不入、名を
四山と申候。
其一
似合しや新年古き米五升 芭蕉翁
雪間をわけて袖に粥摘 其角
紋所をの梅鉢やにほふらん 杜国
其角句は類柑子に出たる付合也。
杜國句は土岐一癖子家にて、椋梨一雪、
杜國が奇作を聞ンと、雑句五句出_け
る其一ッの付合也。其前句は
ちりけもとにて鶯の啼 一雪
紋所其梅鉢や匂ふらむ 杜國
この三つ物は他に発表された句を寄せ集めてそれっぽく作ったもので、元からあったものではない。
岩波文庫の『芭蕉俳句集』(中村俊定校注、一九七〇)にはこの他に、
年立や新年ふるし米五升(泊船集)
我富り新年古き米五升(真蹟短冊)
の二つのバージョンがある。上五が決まらないパターンこの頃の発句では多かった。
新年というと餅だが、古い米五升で年を越すというのはいかにも貧しいという感じがする。それを質素な生活ということでポジティブに詠むというのがテーマだったのだろう。「似合し」は分相応ということで、自分で言う分には謙遜だが他人が言えば「お前にゃお似合いだ」になってしまう。「我富り」は何だか開き直ったような感じだ。
そこで結局あまり価値観に触れないような「年立や」とし、最終的に「春立や」と正月でなく立春の句にして、正月の目出度さに貧しさを重ねないように配慮したようだ。
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