2021年3月19日金曜日

  選抜高校野球の開会式を今日やっていたが、オリンピックもやるとしたら開会式はあんなふうになるのかな。
 そのオリンピックの方だが、一年も前の企画の段階ですぐ没になったアイデアを今さらという感じだ。まあ、ベロチューで煽ろうとして失敗した連中が、何とか森元に続いて新たなスキャンダルでオリンピックを中止に追い込めば、それが政権の汚点になって、あわよくば、という人たちがいるのも確かだ。そんなことしなくても今の状況じゃ自然に中止になりそうだけどね。
 新八角さんの『ヒトの時代は終わったけれど、それでもお腹は減りますか?』は一度今の文明が滅んだ後の世界という点では、この前読んだ「こわれたせかいの」と似ているが、この世界観は嫌いじゃない。最後の方で急にウカが他人じゃないような気がしてきた。

 それでは『三冊子』の続き。

 「早稲の香やわけ入右はありそ海
  一おねは時雨るゝ雲か雪の不二
 この句、師のいはく、若大玉に入て句をいふ時は、その心得あり。都方名ある人かゞの國に行て、くんせ川とかいふ川にて、こりふむと云句あり。たとへ佳句とても其信をしらざれば也。有そもその心這ひを見るべし。又不二の句も、山の姿是程の氣にもなくては、異山とひとつに成べし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.108)

 「大玉」は『去来抄・三冊子・旅寝論』の潁原退蔵の注に「大國」が正しいという。越中、越後、加賀などのいわゆる「国」を指すと思われる。地方の歌枕などを詠む場合であろう。

 早稲の香や分け入る右は有磯海    芭蕉

は『奥の細道』の旅で、富山県を通った時の句で、曾良の『旅日記』によれば、滑川から高岡へ行き、有磯海と呼ばれている氷見は行こうとたが猛暑のため「氷見へ欲レ行、不往。高岡へ出ル。」となっている。芭蕉さんも体調を崩し、「翁、気色不勝。 暑極テ甚。不快同然。」とある。翌日は金沢に向かった。
 つまりこの句は実際に有磯海に行った句ではなく、早稲の香の中の街道を歩いていて、ここを右に分け入れば有磯海があるんだろうな、という句だった。
 行かないのに行ったと嘘をついているわけではない。「分け入る右は有磯海」とは言ったが分け入ったとは言ってない。この微妙なところも心得よということだろう。
 早稲は『笈の小文』の旅の時の「箱根越す」の巻の八句目に、

   帷子に袷羽織も秋めきて
 食早稲くさき田舎なりけり      芭蕉

とあり、当時の早稲は今日でいう香り米で独特な匂いがあって、臭いと感じる人も多かったのだろう。臭い早稲の香と歌枕の有磯海の取り合わせというのがこの句の本来の笑い所だったのだろう。
 そのあとの、「都方名ある人かゞの國に行て、くんせ川とかいふ川にて、こりふむと云句あり」だが、これはよくわからない。ネット上の殿田良作さんの『「塚も動け」の眞蹟及び「早稲の香」の句について』という論文に、「くんせ川」は美濃の「杭瀬川」で土芳の思い違いで、

 「毛吹草の加賀の名物のところにも載せている、浅野川鰍をさすものである。この川のごりは骨がやわらかで古から人に知られている。」

とある。「都方名ある人」も三十余年探しているが見つからないという。
 鰍(かじか)はウィキペディアに「地方によっては、他のハゼ科の魚とともにゴリ、ドンコと呼ばれることもある。」とある。魚のことだとしたら確かに「ふむ」というのは変だ。
 とにかくここは行ってなくても嘘にならないように詠むということで、たとえ句として良く出来ていても知ったかぶりは駄目ということだろう。
 もう一つの句は貞享四年の句で、元禄十一年刊風国編の『泊船集』に収録されている。

 一尾根ハしぐるる雲かふじのゆき   芭蕉

 富士山にはもとより尾根と呼べるようなものはないので、この尾根は周辺の山、おそらく箱根越えの句であろう。
 貞享四年というと『笈の小文』の旅で、その三年前の『野ざらし紀行』の時には、

 霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白     芭蕉

の句を詠んでいる。
 「一尾根ハしぐるる雲か」は特にどこの山ということでもない。それに「ふじのゆき」を付け加えて富士山の句にしている。ある意味どこにいても詠める句だ。早稲の香の句とこの句を並べたのはそういうことだろう。

 「梅若菜まり子の宿のとろゝ汁
 この句、師のいはっく、たくみにて云る句にあらず。ふと云てよろしと跡にてしりたる句也。かくのごとくの句は、又せんとは云がたしと也。東武におもむく人に對しての吟也。梅若なと興じて、まり子の宿には、といひはなして當たる一躰なり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.108~109)

 この句も東海道の丸子宿で詠んだものではない。
 今栄蔵の『芭蕉年譜大成』(1994、角川文庫)によると、この句は元禄四年(一六九一)一月上旬大津で、乙州(おとくに)が江戸へ行くのでそのはなむけに珍碩、素男、智月、凡兆、去来、正秀らが集って行われた興行の発句だったという。ただ、「餞乙州東武行」という前書きがないなら丸子宿で詠んだ句と誤解されかねない。
 一月の興行で上五を「梅若菜」と置いたあと、これからの道中で丸子宿名物のとろろ汁のことが浮かんだのだろう。芭蕉さん自身も食べたいなとか思いながら、これから乙州も食べることになるのかな、食べた方がいいよと思いつつ、自然にこの言葉になったのだろう。

 「二日にもぬかりはせじな花の春
 この句は、元日のひるまでいねてもちくはづしたりと前書あり。此句の時、師の曰、等類氣遣ひなき趣向を得たり。此手爾葉は。二日には、といふを、にも、とは仕たる也。には、といひてはあまり平日に當りて聞なくいやしと也。其角、たびうりにあふうつの山。といふもあはんといふ所を、あふとは云る也。喜撰が、人はいふ也、の類なるべし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.109)

 この句は『笈の小文』では、

 「宵のとし、空の名残おしまむと、酒のみ夜ふかして、元日寐わすれたれば、
   二日にもぬかりはせじな花の春」

になっている。ただ、この『笈の小文』が公刊されたのは宝永四年(一七〇五年)なので、この頃はまだ読む機会はなかったと思われる。元禄十年刊風国編の『泊船集』には、

   元日ハひるまで寐て
   もちくひはつしぬ
 二日にもぬかりハせしな
           花の春

とある。
 「等類氣遣ひなき」というのは、こんななさけないことは誰も詠まないだろうと思ったか。

 二日にはぬかりはせじな花の春

だと、元日は昼まで寝ててもいいが二日には、となる。「二日にも」でもこの「も」を力も(強調の「も」)だとすれば意味は変わらない。ただ並列の「も」とも取れるので「正月も二日も」という意味にも取れる。
 芭蕉の意図としては、正月に餅を食いそこなったから二日は必ず食うぞ、ということだったのだろう。ただ、「も」とすれば、そういう個人的なことだけでなく、一般的に正月とはいってもあまりぐうたらするなよという戒めの句になる。そこの差であろう。
 「等類氣遣ひなき」というのは、二日には餅を食うぞという思いがそれで、それが露骨に出ると卑しいと思って「にも」で治定したのであろう。
 其角の句は、

   極月十日西吟大坂へのぼるに
 いそがしや足袋売に逢ううつの山   其角

の句で、『蕉門名家句選(上)』(堀切実編注、一九八九、岩波文庫p.130)には、貞享四年十二月十日、西吟が大阪に帰るのに挨拶した句とある。
 これも江戸で詠んだ句で東海道の丸子宿と岡部宿の間にある宇津の山で詠んだものではない。今から旅立てば宇津の山を越える頃には正月用の足袋を売る足袋売りに逢うことだろうな、という句だった。
 これも未来のことだから「あはん」なのだが、日本語は特に「なせばなる」のように仮定を断定で受ける言い回しをするため、ここも「うつのやま(に行かば)足袋売に逢ふ」の倒置省略だと思えば不自然ではない。
 仮定を断定で受けることについては『去来抄』「同門評」の「取れずバ名もなかるらん紅葉鮒 玄梅」の句の所で去来と許六の論争になっているので、「『去来抄』を読む」の方にも書いている。
 喜撰法師の歌は言わずと知れた、

   題しらず
 わが庵は都のたつみしかぞすむ
     世をうぢ山と人はいふなり
             喜撰法師(古今集)

の「人はいふなり」のところで、「人は世をうぢ山といふなり」の倒置なので、自然な言い回しだと思う。「世をうぢ山と人はいはむ」でも良いが字足らずになる。「いはむなり」は推量と断定が同居するので無理。

 「せりやきや緣輪の田井の薄氷
 この句、師のいはく、たゞおもひやりたる句也。芹やきに名所なつかしく思ひやりたるなるべし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.109)

 句の方は元禄八年刊支考編の『笈日記』に、

 芹燒や緣輪の田井の初氷
   此句は、初芹といふ叓をいひのべたるに侍らん
   と、たづねければ、たゞ思ひやりたるほつ句な
   りと、あざむかれにける。かゝるあやまりも、
   殊におほかるべし。

とある。初芹だと新春の菜摘の句になり、「初氷」は「わが衣手に雪は降りつつ」の心とも取れなくはない。
 それに対し芭蕉は「たゞ思ひやりたるほつ句」だという。
 「おもひやる」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「①気を晴らす。心を慰める。
  出典万葉集 四〇〇八
  「わが背子を見つつしをればおもひやることもありしを」
  [訳] あなたにお会いしているので気を晴らすこともあったが。
  ②はるかに思う。
  出典伊勢物語 九
  「その河のほとりに群れゐておもひやれば」
 [訳] その川のほとりに群がり集まってすわって都のことをはるかに思うと。
  ③想像する。推察する。
  出典枕草子 雪のいと高うはあらで
  「今日の雪をいかにとおもひやり聞こえながら」
  [訳] 今日の雪を(あなたは)どうご覧になっているかと推察申し上げながら。
  ④気にかける。気を配る。
  出典源氏物語 桐壺
  「いはけなき人もいかにとおもひやりつつ」
  [訳] 幼い宮もどうなさっているかといつも気にかけて。」

とある。「ただ」というから想像の句であろう。
 「芹焼」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 焼き石の上で芹を蒸し焼きにした料理。転じて芹を油でいため、鳥肉などといっしょに煮た料理もいう。《季・冬》
  ※北野天満宮目代日記‐目代昭世引付・天正一二年(1584)正月一四日「むすびこんにゃく、せりやき三色を折敷にくみ候て出候」

とある。
 「縁輪(すそわ)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「山の麓のあたり。すそわ。
  「高円(たかまと)の宮の―の野づかさに今咲けるらむをみなへしはも」〈万・四三一六〉
  「すそみ」に同じ。
  「かりそめと思ひし程に筑波嶺(つくばね)の―の田居も住み馴れにけり」〈新拾遺・雑中〉
  [補説]万葉集の「裾廻(すそみ)」を「すそわ」と誤読してできた語。」

とある。芭蕉の時代はこの新拾遺集の、

 かりそめと思ひし程に筑波嶺の
     縁輪の田居も住み馴れにけり

の歌として知られていて、芭蕉の句も筑波山の麓を想像して詠んだと思われる。

 「御子良子の一本ゆかし梅の華
 此句は、一とせいせに詣て、老師梅の事をたづねしに、子良の館のあたりに、漸一本ふるき梅あり。その外に會てなしと社人の告けるを、則句としてとられし也。師のいはく、むかしより、此所に連俳の達人多く句にとゞむに、終に、此梅のことをしらず、と悦ばしく聞出ける也。風雅の心がけより此事とゞまるを思ひしれば、やすからぬ所也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.109~110)

 これは『笈の小文』には、

 「神垣のうちに梅一木(ひとき)もなし。いかに故有事にやと神司(かんづかさ)などに尋ね侍れば、只何とはなしおのづから梅一もともなくて、子良(こら)の館(たち)の後に、一もと侍るよしをかたりつたふ。
 御子良子(おこらご)の一もとゆかし梅の花
 神垣やおもひもかけず涅槃像」

とあるが、これをまだ読んでなかったとすれば、『猿蓑』の、

   子良館の後に梅有といへば
 御子良子の一もと床し梅の花     芭蕉

の方であろう。
 伊勢神宮には梅の木がなかったが、御子良子の館に一本の梅の木があった。御子良子(おこらご)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 伊勢神宮や鹿島神宮で神饌に奉仕する神聖視された少女。大神宮の神饌を調える子良の館(たち)に奉仕するので名づけた。おくらご。おはらご。こら。
  ※俳諧・猿蓑(1691)四「子良館の後に梅有といへば 御子良子の一もと床し梅の花〈芭蕉〉」

とある。
 伊勢というと荒木田守武のいたところで俳諧の盛んな土地だったが、この梅の木のことは知らなかっただろう、ということで、御子良子の梅を新たな名所にしようと思ったのだろう。

 「とぎ直す鏡も清し雪の花
  梅こひて卯の花拜むなみだ哉
 此雪の句は熱田造營の時の吟也。とぎ直すと云て、其心やすく云顯し、其位をよくする。梅は圓覺寺大巓和尚遷化の時の句也。その人を梅に比して、爰に卯の花拜むとの心也。物によりて思ふ心を明す。そのものに位を取。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.110)

 「とぎ直す」の句は『笈の小文』にもあるが、この頃は元禄八年刊支考編の『笈日記』の、

   そのとしあつ田の御造營ありしを、
 とぎ直す鏡も清し雪の花

であろう。
 貞享四年冬に新しくなった熱田神宮に、三年前の『野ざらし紀行』の旅で訪れた時と同様、桐葉とともに訪れた。神鏡も新たにきれいに磨かれ、あたかも今ここに真っ白に降り積っている雪の花のようだという句で、「雪の花」は花のような雪で、松永貞徳の『俳諧御傘』には「ふり物也。植物にあらず。」とある。
 「心やすく」は無理に趣向を凝らさずに見た通りの雪の景色に新しく磨かれた鏡を詠んだだけで、特に卑俗な言葉も使わず、和歌のような格調の高い句に仕上げている。
 「梅こひて」の句は『野ざらし紀行』にもあるが、その前に元禄九年刊風国編の『初蝉』にあるという。鎌倉円覚寺の大巓和尚は其角の師で、芭蕉自身面識があったかどうかはわからない。訃報を聞いてからすぐに其角に手紙を書き、この句もそこに添えられていた。梅は大巓和尚、卯の花は仏様で、物に喩えて思う心を述べた句で、卑俗なものに喩えることなく、敬意を払って「梅」という古来格の高い花を選んでいる。

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