2021年3月14日日曜日

  今日は一転して晴れて暖かく、東京では染井吉野の開花宣言も出た。
 ただ、近代日本の象徴だった染井吉野も今や老木となり、あちこちで切り倒されている。うちの近所も山桜、枝垂桜、大島桜などに植え替えられている。どのみち왕벚나무の時代は終わろうとしている。
 桜は有史以前から日本や済州島をはじめとして沖縄、台湾はもとより雲南省、四川省の少数民族地帯からインドやネパールのヒマラヤ山脈の麓まで広く分布している。どこが起源ということでもない。それぞれの地方に独自の桜があり、日本の山桜もその一つに過ぎない。
 そういえばネパールにもグンドゥルックという乳酸発酵の漬物がある。
 今日もかなりの人出があったようだ。来週は連休で桜も咲いてということになると大変なことになりそうだな。年度末の忙しさも加わっているし、学校は春休みに入る。
 まあ、一月のこともあるからそんなに心配はしていない。感染者数が急増すればそれなりにみんな危機感を持って自粛してくれるものと信じている。一月もそうだった。四月もそうなると思う。

 それでは『三冊子』の続き。

 「巧者に病あり。師の詞にも、俳諧は三尺の童にさせよ、初心の句こそたのもしけれなどゝ、たびたび云ひ出られしも、皆巧者の病を示されし也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.102)

 巧者の病というのも、心の底から出る自然の情を下手に小細工して殺してしまうようなことはありがちなことだ。『去来抄』の、

 手をはなつ中におちけり朧月    去来

の句もその一例になる。芭蕉は「此句悪しきといふにはあらず。巧者にてただ謂まぎらされたる也。」と評している。
 弟の魯町が故郷の長崎に帰ってゆくとき、おそらく朝まだ暗いうちに旅立つ予定だったのだろう。折から春で西の空には朧月が見える。そのまま名残惜しくて、手を握り合ったままいつのまに月が沈んで朝になってしまい、そこでやっと手を離した、この句はそういう意味だったようだ。
 ただ、この句を読んだ人の多くはまず「手をはなつ中におちけり」が一体何のことか、一瞬でも考えてしまうだろう。筆者は答えを知るまでわからなかった。
 一読してよくわからない。考えた末に、ああそうか、別れで手を握り合いその手を放すまでの間ということか、とわかる。それは頭でわかるということで、最初から考えオチの謎句ならいいが、ここでは離別の情が即座に伝わらなければ意味がない。考えさせてしまった時点で情がどこかへ吹っ飛んでしまう。

 「實に入に氣を養ふと、ころすあり。氣先をころせば、句氣にのらず。先師も俳諧は氣にのせてすべしと有。相槌あしく拍字をそこなふともいへり。氣をそこなひころす事也。又ある時は我が氣をだまして句にしたるもよしともいへり。みな氣をすかし生て養の教也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.102)

 気が重要になるのは発句よりも付け句の方ではないかと思う。特に出勝ちの時はその場の空気にあった句を言い出すことが重要になる。
 「気先(きさき)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 人の気力の発するところ。気勢。きがまえ。意気ごみ。
  ※俳諧・去来抄(1702‐04)修行「今のはいかいは日頃に工夫を経て、席に望んで気先を以て吐べし」
  ※老妓抄(1938)〈岡本かの子〉「人の気先(キサキ)を撥ね返す颯爽とした若い気分が」
  ② 相場で、人気のこと。また、人気のおもむくところ。〔取引所用語字彙(1917)〕」

とある。
 『去来抄』の用例は興行に臨む際の心構えで、ある意味でスポーツに似ている。日頃から一生懸命練習を積み重ねた上で、試合には無心で臨むということだと思う。発句は何年も熟考して仕上げることもできるが、付け句はその場の即興でひねり出すもので、長考を嫌う。いかに素早くその場の流れに乗って句を付けられるかが勝負になる。
 日頃から良い作品に接し、風友と議論を重ねながら誠の情を追求し、地ごしらえをしても、興行の席では考えている余裕はない。その場の勢いで一気に句を言い出せなくてはならない。だから地ごしらえで得た理論は役に立つ時もあればかえって邪魔になる時もある。
 その場の勢いを理論が邪魔して殺してしまっては興覚めになる。発句にしても「手をはなつ中に」の句は、別れの悲しさ切なさをそのまま一気に句に乗せられればよかったものを、下手にこねくり回してその情が伝わらなくしている。付け句でもその場でみんな手を打って、面白い、分かると思わせなければいけない。さんざん考えた上でやっとわかったという句では、場の流れが滞って興覚めになる。
 「気にのせてすべし」というのはその場の空気にあった句を詠めということだ。相槌をうつにもタイミングがずれると話の腰を折ることにもなる。拍子を入れるにもタイミングがずれれば音楽を損なう。漫才でも突っ込みを入れるタイミングがずれればボケが生きてこない。間は重要だ。
 「我が氣をだまして句にしたるもよし」というのは、自分が詠みたい句ではなくみんなが待ち望んでる句を詠むということだろう。
 「気をすかす」というのは今でいう「気取る」という意味ではなく、古語でいう「だます」の意味だろう。スポーツでもただストレートに攻めるだけでなく、相手の出方に応じて騙すテクニックも必要なように、付け句は臨機応変にできなくてはならない。

 「門人巧者にはまりて、たゞ能句せんと私意を立て、分別門に口を閉て案じ草臥る也。おのが習氣をしらず、心のおろかなる所也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.102)

 芭蕉の門人の中にもこの巧者の病にはまって、一句一句良い句を付けなければならないと思って、廻りの空気を読まずに自分一人で考え込んで疲れてしまう人もいる。こうなると楽しく和気あいあいと楽しんでた場も沈みこんでしまい、重苦しい空気に包まれてしまう。こういう性格の人は気をつけなくてはならない。(ひょっとして去来さん?)

 「多年俳諧好たる人より、外藝に達したる人、はやく俳諧に入るとも師の云るよし、ある俳書にもみへたり。」

 どの俳書かは不明だが、許六は六芸に通じているし、芭蕉の門人には能楽師も何人かいる。もっとも許六の場合は「多年俳諧好たる人」にもあてはまるが。
 『笈の小文』に、「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其の貫道する物は一なり。」と言っている以上、風雅の誠は当然それらからも学ぶことができる。
 『芭蕉俳諧論集』(小宮豊隆、横沢三郎編、一九三九、岩波文庫)に載せている支考の『十論為弁抄』第二段の抜粋に、

 「ある日故翁のいへりけるは、世界にあらゆる大道も小道も太極の一気より三皇にはじまりて五帝に伝へ、其後の成人賢人も其道に其法あるより、周公孔子を道の木鐸として、詩書礼楽法をさだめ、士農工商の芸をならはす。ましてや詩歌連歌には祖とうやまひ師とあがむべき百世の古人は数多なるを、今の俳諧といふは心は史記より伝へたれど、五七の言語に古人なしといはむ。」(『芭蕉俳諧論集』小宮豊隆、横沢三郎編、一九三九、岩波文庫p.54)

とある。
 風雅の道は太極の一気から生じるもので、先王の道も詩書礼楽のその貫道する物はは一なのだから、詩歌連歌はもとよりあらゆる芸能からもその道を学ぶことはできる。「俳諧に古人なし」というのは貞徳・宗因・芭蕉からしか学べないものではなく、あらゆるものから学ぶことができるという意味だった。
 芭蕉を研究するなら、その心は今のジャパンクールから学ぶこともできる。西洋のものでも、近代芸術は我々の道とは別系統の理念に支配されているが、古代のギリシャ・ローマや今日のポップカルチャーは基本的に貫通する物は同じなのではないかと思う。感動を排除しないなら、感動は基本的に一つだと思う。

 「師のいはく、學ぶ事はつねに有。席に望て文臺と我と間に髪といれず。思ふ事速に云出て、爰に至て迷ふ念なし。文臺引おろせば卽反故也と、きびしく云さるゝ詞もあり。或時は大木倒すごとし。鍔本に切込意得、西瓜切る如し。梨くふ口つき。三十六句皆やり句などゝ、いろいろにせめられ侍るも皆巧者の私意を思ひやぶらんとの詞也。師の心をよく執行し、つねに勤て事にのぞみて案じころす事なかれ。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.102~103)

 もちろん、実際の興行の場で学ぶことは大きい。付け句は即興の勝負だから、席に着いたなら文台に座って捌く人に遠慮せず、治定した句が言い渡されたら間髪を入れずに次の句をひねり出さなくてはならない。迷ってはいけない。
 みんなが悩み込んでしまって場が滞ると、ならば今回は全部反故にするぞなどと厳しいことをいう時もあったようだ。「鍔本に切込」というのは刀の刃が鍔(つば)にあたるくらいの勢いということか。「梨くふ口つき」というのは梨を丸かじりにするときのように大きな口をあけ、ということか。近代俳句に、

 梨食ふと目鼻片づけこの乙女    楸邨

の句もあるが。
 「文臺引おろせば卽反故也」や「三十六句皆やり句」の言葉は曲解されている向きもあるが、それでは駄目だと言っているので、それでも良いと思わないように。
 こうした言葉が出るのも、何か誰もがひれ伏すような凄い句を付けてやろうとか思ってむっつり考え込んでしまうのを防ぐためで、句がなかなか出てこないと檄を飛ばすこともあったのだろう。
 延宝四年の桃青杉風両吟歌仙「時節嘸」の巻六句目の、

   発句脇されば名残の月寒し
 たそこい鐘は八ツか七つか

の句も、午前二時も過ぎて興行が深夜に至るのに、名残の裏の最後の月でつまずいてなかなか句が出ないので、「誰ぞ来い」と檄を飛ばす場面が描かれている。「八ツか七つか」は最後の月をこぼして月を七句にしてもいいんだぞというもう一つの意味がある。作者は記されていないが、多分桃青(芭蕉)。
 まあ、とにかく「案じころす事なかれ」、つまり考えすぎるなということ。

 「案ずるばかりにて出る筋にあるべからず。常勤て心の位を得て、感るもの動くやいなや句となるべし。氣をころしては心轉ぜず、則轉る心細くなりては、貫之がいと筋の幽なるものふとく、轉じては傳教大師の三みやく三の丈夫心不成と云事有まじ。皆いきて轉ずるに顯はるゝ筋なるべし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.103)

 付け句というのは考え込んだから出てくるというものではない。だから常日頃の修行が大事でその場で思い浮かんだものがすぐに句となるように練習を積まなくてはならない。その場の空気を無視しても面白い展開はできないばかりか、むしろ前句の心に執着してしまい展開が鈍くなる。
 「貫之がいと筋」は

   東へまかりける時、道にてよめる
 糸による物ならなくに別れ路の
     心ぼそくもおもほゆるかな
              紀貫之(古今集)

の歌のことで、糸がほどけるように道がどんどん細くなってゆくことをいう。『徒然草』第十四段には、

 「貫之が、糸による物ならなくにといへるは、古今集の中の歌屑とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・ことば、このたぐひのみ多し。この歌に限りてかく言ひたてられたるも、知り難し。」

とある。
 「傳教大師の三みやく三の」は、

 阿耨多羅(あのくたら)三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)の仏たち
     我が立つ杣に冥加あらせ給へ
              伝教大師

の歌をいう。
 発想を変えなくていつまでも同じ所で考え込んでしまうと糸はほどけて細くなる。ほどけた糸を太くより直して発想を変えれば仏たちの冥加もある。

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