今日は朝から曇っていて、風が強く午後からは雨も降った。三寒四温てなんかフランス語のような響きがある。
取引を繰り返しながらのらりくらりとやってたトランプに変わって、柔軟性のないバイデンはやはり怖い。中国との戦争もかなり現実的になってきた。それに日本政府が中途半端に中国を擁護する姿勢を取ったら、日本が守られない危険もある。自民党は中国利権と結びついた連中を何とかしてほしい。
せっかくコロナで希望が見えてきたのに、戦争で死にたくはない。
あと、スペインのギャグ法って何かと思ったら英語のgag lawは緘口令のことではないか。緘は「口をとじる。口をくくりしめる。」の意味で、英語のgagも動詞として使うときは「猿轡をかます」という意味だからなかなかいい訳語なのに、何でわざわざギャグ法っていうんだ。
それと鈴呂屋書庫に『冬の日』の四番目の歌仙「炭売の」の巻をアップしたのでよろしく。これで五つの歌仙がそろったが、最初の狂句こがらしはかなり前に書いたので、近いうちに書き直すことになるかも。
それでは「三冊子」の続き。これで「しろさうし」は終わり。
「裏一順の事も初のごとくかろがろとあるべし。句なみを追ふにも不及と也。揚句は付ざるよしと古説有。今一句に成て一座興覺る故也。また兼て案じ置とも云り。ほ句主並に亭主のする所にあらず。初の一順に執筆の句なくば揚句を筆にすべし、ほ句にある文字をつゝしむと也。にほひの花にて春季五句に至るとも揚句に季をはなすべからず。たとへ季六句に及てもすべしと也。いづれの季、戀にても揚句此心得なり。句ぶり心得あるべし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.99)
もちろん裏一順に限らず、運座は滞ることなく最後までスムーズにいくのがベストだ。ただ、面白い句、味わい深い句、悲しい句などのあとはなかなかうまく展開できなくなることもある。だからといってつまらない句ばかり連ねてもしょうがないので、一巻の山場とでもいう中盤から後半にかけては多少悩むような句があってもいい。俳諧好きならその悩むというのも楽しいはずだ。ただやはりそれも程度がある。
談林の頃までの百韻が主流だった時代は、付け方も軽く、あっという間に一巻を巻くことができたのだろう。天和のあたりから蕉門に限らず句が重くなりだした。それは多分書物にしたときに読んで面白いものにしようとしだしたからではないかと思う。読者にとって面白いものは、連衆にとっては苦痛を伴うものになる。このジレンマに俳諧全体が直面し、結局答えを見出せぬまま俳諧連歌は衰退し、発句と川柳点が残っていったのだろう。
挙句は付かなくてもいいというのは、最後の最後で悩んでほしくないからで、多分に会が終わってから酒や料理がふるまわれる手はずになっていたりすると、なおさら勘弁してくれよということになる。
ただ、蕉門の俳諧で事前に挙句を用意することがあったかどうかはわからない。少なくとも芭蕉同座の俳諧はそれなりのレベルの連衆が集まっているので、その必要はなかっただろう。挙句が付けられないくらいなら、とっくに途中で詰まっているところだ。
発句や脇と違って挙句を事前に用意するというのはいろいろ難しい問題が生じるのではないかと思う。特に制の詞に関してで、用意していた挙句に打越に同じ言葉が使われてたらどうするのだろうか。それともあらかじめ挙句を公開しておいて、名残裏に入るとみんなで気を使ってその言葉とかぶらないようにしなくてはいけないのか。かなり無理なように思える。
挙句は本来客や亭主のするものではなく、執筆(主筆ともいう)がすることが多かった。ただ、歌仙などで少人数の興行では執筆のいない場合も多く、両吟三吟四吟など出勝ちでない興行では順番で回ってきた人が挙句を詠むことになる。
執筆は連衆が最初に一句づつ付けて行ってその最後に一句詠むこともある。またひょっとしたら途中で詰まった時に代打で参加することもあったのかもしれない。その辺もその会の雰囲気で臨機応変に行われたと思う。
最後を春にするというのも決まりはない。貞享四年十二月一日桐葉亭での「旅人と我見はやさん笠の雪 如行」を発句とする半歌仙では、十三句目に春の句が出て十五句目に花の定座を繰り上げたあと、
鵜を入る初川いそぐ花の蔭 桐葉
美濃侍のしたり顔なる 如行
御即位によき白髪と撰出され 芭蕉
植て常盤の百本の竹 桐葉
と無季の句を三句連ねて「御即位」「常盤」と目出度い言葉を重ねて終わっている。わざわざ春を六句にするようなことはしていない。
また『炭俵』の「むめがかに」の巻も、二十九句目に花を出して、三十三句目と三十四句目が冬になり、そのあと恋を含む無季二句、
隣へも知らせず嫁をつれて来て 野坡
屏風の陰にみゆるくハし盆 芭蕉
で終わらせている。そのほかにも元禄七年閏五月の「柳小折」の巻も無季で終わっている。
春を四句連ねた例としては、元禄七年二月に去来と浪化の両吟で始めた十八句に芭蕉が加わって歌仙を完成させた巻で、浪化編の『となみ山』に収録された「鶯に」の巻で、
参宮といへば盗もゆるしけり 浪化
にっと朝日に迎ふよこ雲 芭蕉
蒼みたる松より花の咲こぼれ 去来
四五人とほる僧長閑なり 浪化
薪過町の子供の稽古能 芭蕉
いつつも春にしたきよの中 去来
というのがある。挙句にもう一句春の句が欲しいと言って終わっている。
「いづれの季、戀にても揚句此心得なり。句ぶり心得あるべし。」は、挙句は他の季節になることもあれば恋で終わることもあるが、春であるかのように作るということだろう。
恋で終わる挙句は『冬の日』の四番目の歌仙「炭売の」の巻で、
北のかたなくなく簾おしやりて 羽笠
ねられぬ夢を責るむら雨 杜国
で終わる。村雨に春の情を匂わす。
冬で終わる例も同じく『冬の日』の五番目の歌仙「霜月や」の巻にある。
水干を秀句の聖わかやかに 野水
山茶花匂ふ笠のこがらし 羽笠
これは『冬の日』の第一歌仙の脇、
狂句こがらしの身は竹齋に似たる哉 芭蕉
たそやとばしるかさの山茶花 野水
を受けたもので、凩の中に山茶花の匂いをそえて春が来たかのような雰囲気を添えて終わる。
発句の詞は使わないというが、脇の言葉を使う分には問題ない。同じ巻であっても、『虚栗(みなしぐり)』の天和二年の「詩あきんど」の巻は、発句と脇の組み合わせをほとんど反復する形で終わっている。
詩あきんど年を貪ル酒債哉 其角
冬-湖日暮て駕馬鯉 芭蕉
という発句と脇に、
詩あきんど花を貪ル酒債哉 其角
春-湖日暮て駕興吟 芭蕉
で締めくくる。
というわけで、挙句も基本的には春で終わるが、春の心を持たせるなら神祇でも恋でも冬でもかまわない。
連歌の時代には
雲風も見はてぬ夢と覚むる夜に
わが影なれや更くる灯 宗祇
のような夢から覚めてどこか成仏を暗示するような終わり方もあった。
挙句も杓子定規にならず、いろいろな可能性を試すのもいい。「底を抜く」というのも蕉風の特徴だからだ。
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