今日は東京大空襲の日、子供の頃のラジオでは、一日特番をやっていて、経験者がたくさんでてきていた。今は忘れ去られている。今の日本も中途半端な政策を取れば、再び東京が焼け野原になるのもあり得ないことではない。
コロナでも東日本大震災の時もそうだったが、あいかわらず非常時ための法整備を避けて通っている。緊急時に平時の法律が邪魔しないように願いたい。
あと、なんか中国がいきなりキムチの起源なんてこと言い出しているけど、キムチは唐辛子を用いないムルキムチやペッキムチが原型で、それが壬申倭乱のときに日本から唐辛子が入ってきて今のキムチになったと思ってたんだが、違ってたのかな。
それに、中国の泡菜は長江文明が起源で、元来漢民族のものではなかった。だから今でも少数民族の多い四川省でかろうじて生き残っている。その長江文明の徒である会稽の倭人が対馬海流に乗って北九州と全羅道に漂着して、日本と韓国の漬物文化になったんだと思う。
東南アジアにも豊かな漬物文化があるが、乳酸発酵系の長江文明と酢漬け系の中国式とが混ざり合っている。
日本の文化の多くは長江文明起源だが、何分あまりに古いことだしはっきりしないことだから、日本人はあまり起源に関する論争は好まない。どこが起源であろうと日本式に改良して別のものにしてしまうのが日本人だ。
あと、モンゴル人だけでなく朝鮮人(ちょそんさらむ)の固有言語を奪うなって、一応声を上げておくね。
それでは「かげろふの」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
組でこかせば鹿驚なりけり
山風にきびしく落る栗のいが 曾良
案山子は風で倒れたとする。栗のいがが降ってきたあたり、攻撃を受けた感じがする。
二十六句目。
山風にきびしく落る栗のいが
黒木ほすべき谷かげの小屋 北鯤
炭焼き小屋であろう。黒木は皮のついた原木のことで二三週間乾燥させてから炭焼きに入る。建築で「黒木造り」というときも、皮付きの丸太のことをいう。
谷間にある炭の原木を貯蔵する小屋に栗のいがが落ちる。
二十七句目
黒木ほすべき谷かげの小屋
たがよめと身をやまかせむ物おもひ 芭蕉
京都大原は古くから炭焼きの盛んなところで、炭だけでなく乾燥させた黒木も薪として大原女が売り歩き、都で用いる燃料を供給していた。
日數ふる雪げにまさる炭竈の
けぶりもさびし大原の里
式子内親王(新古今集)
など、歌にも詠まれている。
天和二年刊の西鶴の『好色一代男』の影響もあったのだろう。大原雑魚寝の女に成り代わって詠んだ句になっている。
大原の雑魚寝の西鶴の記述はうわさ話に基づいて多少盛っている感じはするが、古代の歌垣の名残をとどめていたのだろう。
もちろん原始乱婚制なんてのは論外で、歌垣は結婚相手を探すために歌などを歌い交わす祭りだった。ただ、どこの祭りでも酒が入ったりして嵌め外しすぎるものはいたというだけのことだと思う。
芭蕉の句も、誰と結婚することになるのかという悩みにしている。
二十八句目
たがよめと身をやまかせむ物おもひ
あら野の百合に泪かけつつ 嵐蘭
『校本芭蕉全集 第四巻』の注に、
雲雀たつ荒野に生ふる姫ゆりの
何につくともなき心かな
西行法師(山家集)
の歌が引用されている。
男の側に立って、あら野の百合のような村娘に思いをかけながらも、誰かの嫁になるのだろうなと寂しく思う。
なお、今日で百合というと女性の同性愛を指すことが多いが、これはウィキペディアによれば、
「語源は1970年代、男性同性愛者向けの雑誌『薔薇族』編集長の伊藤文學が、男性同性愛者を指す薔薇族の対義語として、百合族という言葉を提唱したことによると言われている。同誌には女性読者の投稿コーナー「百合族の部屋」が設けられた。」
だという。今日では小説、漫画、アニメなど、様々な媒体で百合がテーマになって、男性にも女性にも人気のあるジャンルになっている。
二十九句目
あら野の百合に泪かけつつ
狼の番して明る夏の月 嵐竹
あら野ということで狼の番をしている。日本では牧畜がおこなわれていなかったので、馬の放牧場ではないかと思う。馬も大事だが、馬が食べてしまうあら野の百合にも泪する。『野ざらし紀行』の、
道の辺の木槿は馬に喰はれけり 芭蕉
の心も感じさせる。
狼は三峯山や御嶽で神使として祀られ、牧畜のない日本では嫌われ者ではなかったが、残念ながらニホンオオカミは明治三十八年(一九〇五年)、奈良県吉野郡で捕獲された若いオス(標本として現存)を最後に途絶えている。今でも狼の生存を信じる人たちはいる。
三十句目
狼の番して明る夏の月
水のいはやに仏きざみて 嗒山
摩崖仏であろう。山奥のいつ誰が作ったかわからない仏像は、狼だけが番をしている。水の岩屋は湧き水の漏る岩屋ということか。
二裏。
三十一句目。
水のいはやに仏きざみて
麦ゑます諏訪の涌湯の熱かへり 芭蕉
「ゑます」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「[1] 〘連語〙 (動詞「えむ(笑)」に尊敬の助動詞「す」の付いたもの) にっこりほほえまれる。笑顔をなさる。
※万葉(8C後)七・一二五七「道の辺の草深百合の花咲(ゑみ)に咲之(ゑましし)からに妻といふべしや」
[2] 〘他サ四〙 (麦などを)水や湯などにつけたり、煮たりしてふくらませる。ふやかす。〔俚言集覧(1797頃)〕」
とある。米のあまりとれない昔の信州では蕎麦や麦を食べていたが、麦を炊くときはぬるま湯につけて柔らかくしてから炊いた。芭蕉も更科を旅した時に食べたのではないかと思う。
諏訪の辺りの山の中なら洞窟に籠って仏像を刻んでいる人がいてもおかしくない。
三十二句目。
麦ゑます諏訪の涌湯の熱かへり
おひねわびたる関のうちもの 曾良
「おひね」はよくわからない。『校本芭蕉全集 第四巻』の注に「背負いくたびれた意か」とある。これは「追い・寝わびたる」ではないかと思う。追ってきて疲れて眠ってしまったということで、関の名刀を持って敵を追ってきて、諏訪まで来た。
三十三句目。
おひねわびたる関のうちもの
何故に人の従者と身をさげて 嵐蘭
これは謡曲『安宅』だろう。安宅の関を越える時に義経は正体がばれないように従者に身をやつした。「うちもの」には交換した物という意味もある。関を越える前に衣装を交換する。
謡曲『安宅』を題材としたものは、元禄五年の「青くても」の巻二十五句目の、
我が跡からも鉦鞁うち来る
山伏を切ッてかけたる関の前 芭蕉
の句もある。
三十四句目。
何故に人の従者と身をさげて
膳にすはれば鯛の浜焼 嗒山
鯛はお膳で食べるより浜で焼いて食べた方がうまい。だから従者のふりをしていた方がいい。
三十五句目。
膳にすはれば鯛の浜焼
一門の花見衣のさまざまに 北鯤
一門集まっての盛大な花見とする。
挙句。
一門の花見衣のさまざまに
藤をつたふる摂政の筋 嵐竹
一門というのは藤原氏の末裔の一門だった。伊丹の鬼貫の一門が摂政の筋だったかどうかはよくわからないが。
名門の家柄の盛大な花見を以て一巻は目出度く終わる。
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