今日は曇り。中国から黄砂が飛んできた。PM2.5も一緒に。正確に言うと中国が支配している南モンゴルから来たというべきか。
スエズの座礁船が動いたということで、作業にあったった人も大変だったと思う。大潮の満潮に合わせたということで、やはり月の力は偉大だ。
ミャンマー国軍はカレン族を攻撃した。そろそろ西側諸国は本格的な介入を考える時ではないか。少数民族を中国に取られないためにも、積極的に支援した方がいい。
あと、鈴呂屋書庫に「のまれけり」の巻をアップしたのでよろしく。
それでは「春めくや」の巻の続き。
十三句目。
傾城乳をかくす晨明
霧はらふ鏡に人の影移り 雨桐
曇ってた鏡を拭いたら人の影が映って、あわてて乳を隠す。
十四句目。
霧はらふ鏡に人の影移り
わやわやとのみ神輿かく里 重五
「わやわやと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘副〙 (多く「と」を伴って用いる)
① 多くの人が騒がしく声をたてるさま、騒々しく言いたてるさまを表わす語。わいわい。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※浮世草子・好色五人女(1686)四「わやわやと火宅の門は車長持ひく音」
② 怒りなどが胸の奥底からこみあげてくるさまを表わす語。むらむら。
※浄瑠璃・信田小太郎(1702頃)二「わやわやと腹を立」
とある。
御神体の鏡を綺麗に磨き上げ、今日は祭りで大勢の氏子がわいわいがやがやと神輿を担ぐ。
十五句目。
わやわやとのみ神輿かく里
鳥居より半道奥の砂行て 昌圭
「半道」はこの場合「はんみち」か。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 一里の半分。半里。
※サントスの御作業(1591)一「Charamandel トユウ クニ ヨリ fanmichi(ハンミチ) ホド アル ハマ ニ アリ」
② 全行程の半分。半途。〔改正増補和英語林集成(1886)〕」
とある。この場合は②の意味。
鳥居と御神体との中間あたりの砂を敷き詰めたところで大勢で神輿を担いで盛り上がる。
十六句目。
鳥居より半道奥の砂行て
花に長男の帋鳶あぐる比 李風
「長男」は「ヲトナ」、「帋鳶」は「タコ」と仮名が振ってある。
花の咲く神社の境内で大人が凧揚げをする。
十七句目。
花に長男の帋鳶あぐる比
柳よき陰ぞここらに鞠なきや 重五
蹴鞠というと王朝貴族のイメージがあるが、ウィキペディアには、
「江戸時代前半に、中世に盛んだった技芸のいくつかが町人の間で復活したが、蹴鞠もその中に含まれる。公家文化に触れることの多い上方で盛んであり、井原西鶴は『西鶴織留』で町民の蹴鞠熱を揶揄している。」
とある。元禄三年刊之道編の『江鮭子(あめこ)』にも、
椑柿(きざはし)や鞠のかかりの見ゆる家 珍碩
の句がある。
柳の下なら鞠が当たって花を散らすこともなく、蹴鞠をするにはいい場所だが、誰か鞠を持ってないか。横では花の下で凧揚げをしている人がいる。
十八句目。
柳よき陰ぞここらに鞠なきや
入かかる日に蝶いそぐなり 荷兮
どこかへ飛んでいった鞠を探していると日も暮れかかる。
二表。
十九句目。
入かかる日に蝶いそぐなり
うつかりと麦なぐる家に連待て 李風
「うつかり」は「うつけ」からきた言葉で、ぼんやりとしていること。「なぐる」はん「なぐ(和ぐ、凪ぐ)か。風もなく畠の麦が微動だにしない穏やかな日をぼんやりと連れを待っていて、いつの間にか日が暮れてしまった。
二十句目
うつかりと麦なぐる家に連待て
かほ懐に梓ききゐる 李風
「梓」は『芭蕉七部集』の中村注に梓巫女のこととある。ウィキペディアに、
「梓巫女(あずさみこ)とは、特定の神社に属せずに各地を渡り歩いて託宣や呪術を行っていた巫女のことで、他にも「市子」等様々な呼称があった。主に東国を中心に活躍していた。
梓巫女は梓弓を鳴らしながら神降ろしの呪文を唱えて、神懸かりを行って生霊や死霊を呼び出して(口寄)、その霊に仮託して託宣や呪術を行う(神語り)。津軽地方のいたこには弓の弦を棒で叩いて口寄せを行う者がおり、梓巫女と同系列であるとされている。三陸地方のオカミンの場合には「インキン」と呼ばれる鉦を鳴らして口寄せを行う者がいる。
中世以後における八幡信仰や神明信仰の普及、語り物の発生、オシラ祭文などの伝承に梓巫女が深く関わっていたと考えられている。」
とある。
「かほ懐に」は袖で顔を隠して、ということで、扇子の骨の間から垣間見るしぐさと同様、怪しげなものを見る時の顔を覆う仕草だろう。梓巫女の物語を聞き入る。
二十一句目。
かほ懐に梓ききゐる
黒髪をたばぬるほどに切残し 荷兮
前句を亡き夫の霊を口寄せで呼び出した貰ったとし、喪に服して髪をやや長めの尼削ぎにしている女性を登場させる。
二十二句目。
黒髪をたばぬるほどに切残し
いともかしこき五位の針立 昌圭
宮廷で天皇に拝謁するには五位以上の官位が必要とされる。前句を天皇の体を診る尼形の鍼灸師とした。
二十三句目。
いともかしこき五位の針立
松の木に宮司が門はうつぶきて 雨桐
「宮司」はウィキペディアによると、
「古くは、宮は皇族の住まいを指し、宮司は春宮・中宮などの宮につかえる官のことを指した。後に神社の造営や徴税を行う者のことになり、さらに祭祀を行う神職者のことを指すようになった。
地方における特筆すべき宮司としては、中世期・熊本県の中部一帯を支配し、九州一円や朝廷まで影響力があった阿蘇氏の存在がある。
阿蘇氏は「大宮司」の職位を得て、代々、朝廷から従二位や正三位などの位階を与えられていた。」
とある。明治以降の制度での宮司とはだいぶイメージが違ってなのではないかと思う。
この句の場合は官位争いに敗れた宮司と見てもいいのではないかと思う。宮司の御祓いが鍼灸治療に負けたということで。
二十四句目。
松の木に宮司が門はうつぶきて
はだしの跡も見えぬ時雨ぞ 重五
うつむいてたのは泥棒に入られたからだった。手がかりになりそうな足跡も時雨が消して行く。
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