今日は朝から曇り昼頃に風が強くなり、時折雨が降った。早く咲いた桜は多少散ったかもしれない。
電気自動車が世界的に広まる中で、日本ではいまだに懐疑的な人が多い。
一つに国が進めようとしている水素社会があり、これに乗っかってトヨタが水素燃料電池車を売り出していることも影響している。これに対し日産・三菱は電気自動車の開発を進めてきたが、トヨタも頑張ればすぐに追いつける。
電気自動車の最大のネックはバッテリーで、一回の充電でも航続距離を伸ばそうとすると、どうしても車体の多くの部分をバッテリーが占めることになり、車体が小型化できず、低価格化もしにくい。バッテリーの開発競争は継続中だ。バッテリーを制する者が世界を制するといってもいい。
充電設備は安価で設置できるが、電気自体の販売価格がそんなに高くできないため、地価の高い日本にあって充電施設はビジネスとして成り立ちにくい。今はほとんどが駐車場などのサービスで行われている。
また、冬の雪に閉じ込められた時の対策も必要になる。ただ、充電設備自体が安価なので、公共事業として数多くの充電設備を設置し、非常用の移動式電源なども確保すれば解決できると思う。
電気を作るのに石油がいるという種の反論は、再生可能エネルギーへシフトすることで解決できるが、これは大手電力会社が消極的なのが一番の問題だ。
電気自動車はエンジン関係の高度な技術を必要としないため、他業種からの参入も容易だが、これが既存自動車メーカーの面白くないところでもあろう。
また、自動運転システムはデータをどれだけ集められるかが勝負になるので、ネットと接続したスマートカーという発想を避けて通ることはできない。これも日本の自動車メーカーに欠けている。メーカー独自にデータを集めていたのでは共倒れになる。IT企業との協力関係が必要だ。
どちらにしても今は電気自動車のネガキャンをやっている場合ではない。このままでは日本の基幹産業だった自動車があっという間に世界の市場を失うことになる。
それでは『三冊子』の続き。
「旅に病で夢は枯野をかけ廻る
此句、病中の吟にて、句の終り也。猶かけ廻る夢心、といふ句作有。いかに思ひ侍るやと人にもいひて、後、此句に定ると也。枯尾花に其角がかける、かれ野を廻る夢心、ともせばや、といへるとあり。笈日記に猶かけ廻る、とあり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.120)
元禄八年刊支考編の『笈日記』に、
八日
之道すみよしの四所に詣して此度の延年
をいのる所願の句ありしるさず。此夜深更
におよびて介抱に侍りける呑舟をめされて
硯の音のからからと聞えければいかなる消
息にやとおもふに
病中吟
旅に病で夢は枯野をかけ廻る 翁
その後支考をめして 〽なをかけ廻る夢
心といふ句つくりあり。いづれをかと申されしに
その五文字ハいかに承り候半と申ばいとむつか
しき叓に侍らんと思ひて此句なにゝかおとり
候半と荅へける也。いかなる不思議の五文字
か侍らん今はほいなし。みづから申されける
ははた生死の轉變を前にをきながら
ほつ句すべきわざにもあらねどよのつね此道
を心に籠て年もやゝ半百に過たればいね
てハ朝雲暮烟の間をかけりさめては山水
野鳥の聲におどろく。是を佛の妄執と
いましめ給へるたゝちは今の身の上におほえ侍る
也。此後はたゞ生前の俳諧をわすれむと
のみおもふはとかへすがへすくやみ申されし
也。さバかりの叟の辭世はなどなかり
けると思ふ人も世にはあるべし。
とある。
十月八日には之道とともに集まった門人たちが住吉四所神社に詣でて、祈願の句を奉納した。この時の句は其角の『芭蕉翁終焉記』に記されているが、そこにある支考の句が、
起さるる声も嬉しき湯婆哉 支考
であり、祈願の句ではないところから、支考は介護要員で、他の門人たちとは同じには扱われてなかったと思われる。舎羅の発句もないところから、舎羅も介護のために残ったものと思われる。同じ介護要員の呑舟が、
水仙や使につれて床離れ 呑舟
の句を詠んでいるところから、多分介護は三交代制でこの日の深夜の担当だったのだろう。木節の句がないのも医者だから残ったものと思われる。
支考の扱いについては十月十一日の、
うづくまるやくわんの下のさむさ哉 丈草
の句を詠んだ時に、支考のみが、
しかられて次の間へ出る寒さ哉 支考
というややちがった句を詠んでいるのは、支考があくまで介護要員で、シフトに備えて寝てろと言われたと考えれば納得がいく。何かハブられた時の捨て台詞のような句だ。もちろん叱ったのは芭蕉ではあるまい。
この日は呑舟が深夜のシフトに入っていて、たまたま硯の音で目覚めた支考が、
病中吟
旅に病で夢は枯野をかけ廻る 翁
の句を詠む現場を目撃したが、この時は多分寝てなければならない時間で、会話に加わったりはしなかったのだろう。
そして支考のシフトになった時、芭蕉は「なをかけ廻る夢心」というもう一つの句を示して、どっちがいいか支考に尋ねた。他の門人がまだ寝ている早朝だったのではないかと思う。
この句は其角の『芭蕉翁終焉記』には、「また枯野を廻るゆめ心ともせばやと申されしが」とあるが、其角はまだこの場に到着してなかったので、支考からのまた聞きと思われる。
「その五文字ハいかに承り候半と申ばいとむつかしき叓に侍らんと思ひて」とあるのは、芭蕉がこの時上五を言わなくて「なをかけ廻る夢心」しか示さなかったからで、死の淵にある人を前にしてわざわざ聞くのもどうかと思って、「此句なにゝかおとり候半」と答えている。遠まわしな言い方がだ、とても選べません、ということだ。後から思うと上五を聞いておけばよかった、どんな不思議な五文字があったのか悔やまれる。
この句を後の人は辞世の句と呼ぶが、この時代には辞世の歌はあっても、俳諧師が辞世の句を詠む習慣はなかったと思われる。支考が「はた生死の轉變を前にをきながらほつ句すべきわざにもあらねど」というのがこの頃の常識だったのではなかったかと思う。
辞世の句の前例はないわけではない。俳諧の祖、荒木田守武は和歌と発句両方詠んでいる。
越しかたもまた行末も神路山
峯の松風峯の松風
荒木田守武
朝顔に今日はみゆらんわが世かな 同
同じく俳諧の祖と言われる宗鑑は和歌の形式ではあるが俗語を交えた俳諧歌になっている。
宗鑑は何処へと人の問ふならば
ちとようありてあの世へといへ
宗鑑
貞門の祖、松永貞徳は辞世の歌を三首読み、その中の一つが『俳家奇人談』に記されている。
明日はかくと昨日おもひし事も今日
おそくは替る世のならひかな
松永貞徳
野々口立圃は辞世の発句を詠んでいる。
月花の三句目を今しる世かな 立圃
他にも、
夜の明けて花にひらくや浄土門 西武
今までは生たは事を月夜かな 徳元
といった辞世の句もある。いずれも軽い挨拶のような句で、病床での悩ましい心境を込めることはなかった。 支考が「さバかりの叟の辭世はなどなかりけると思ふ人も世にはあるべし」と結んでいるように、確かに辭世としても尋常の句ではなかった。
「朝よさを誰松しまの片心
此句は季なし。師の詞にも名所のみ、雜の句にもありたし。季をとりあはせ哥枕を用る、十七字にはいさゝか心ざし述がたし、といへる事も侍る也。さの心にてこの句もありけるか。猶杖つき坂の句有。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.120)
この句は岩波文庫の『芭蕉俳句集』には貞享五年の所にある。元禄九年刊路通編の『桃舐集』に、
「名所雜
あさよさを誰まつしまぞ片こゝろ 芭蕉
翁、執心のあまり常に申されし、名所
のみ雜の句有たき事也。十七字のうち
に季を入、哥枕を用ていさゝか心ざし
をのべがたしと、鼻紙のはしにかゝれ
し句を、むなしくすてがたくこゝにと
ゞむなるべし。
とある。
元禄十一年刊風国編の『泊船集』には、
雑句
あさよさを誰まつしまぞかたこころ
是ハ路通がもゝねぶりニ翁の
句なりと書出しぬ
とある。
名所の句は雑でもいいと芭蕉も言ったという。季と歌枕と両方取り合わすと、歌枕で詠みたいことがうまく言えなくなるということだ。
雑で名所の句は、
かちならバ杖つき坂を落馬かな 芭蕉
の句がある。『泊船集』でも「あさよさを」の句の隣に並べている。
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