2021年3月22日月曜日

  桜も三分咲きくらいになったかな。東京では満開と言っているが、気象庁の言う満開は八分咲きらしい。
 マスコミは浮かれ歩く人ばかりを報道するけど、多分またきわどいところで危機は回避できると思う。四月を乗り切ればあとは何とかなる。
 アストロゼネカのワクチンも結局白だったし、まだまだ後発のワクチンも出てくるから、来年は何とか希望が持てるのではないか。
 ただ、コロナの脅威が去ったからといっても、元に戻らないものも多いだろう。でもそれは明日に向かっているから古いものが廃れて行くだけで、心配はいらない。
 一年前は溝の口の二ケ領用水沿いの枝垂桜を見に行ってた。アマビエの釣れすぎた去年や糸桜。
 あと、延宝六年の「物の名も」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは『三冊子』の続き。

 「鞍つぼに小坊主のるや大根引
 此句、師のいはく、のるや大根引、と小坊主のよく目に立つ處、句作ありとなり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.113)

 この句は『炭俵』の句で、

   大根引というふ事を
 鞍壺に小坊主乗るや大根引     芭蕉

とある。小坊主はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 年少の僧。また、小づくりの僧。
  ※浄瑠璃・賀古教信七墓廻(1714頃)三「行衛もしらず名もしらぬうつくしい小坊主が」
  ② 江戸時代、武家、町家で雑用に使う坊主頭の子ども。
  ※浮世草子・万の文反古(1696)一「下女弐人小性弐人小坊主(コボウヅ)壱人」
  ③ (七、八歳まで髪を長く伸ばさず、奴(やっこ)頭あるいは芥子(けし)坊主頭にしていたところから) 少年を親しみ、または、侮っていう語。
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)三「十二三のむすめ、六つ七つの小坊主(コボウズ)と」

とある。この場合の小坊主は③の意味であろう。その子供の姿を引き立たすため、大根の収穫をしている脇で鞍壺に乗っている姿を描いている。「鞍壺」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 鞍橋(くらぼね)の人の腰をおろすところ。すなわち、前輪(まえわ)と後輪(しずわ)の間、居木(いぎ)の上。鞍笠(くらかさ)。
  ※平家(13C前)四「鞍つぼによくのりさだまって」
  ※俳諧・炭俵(1694)下「鞍壺に小坊主乗るや大根引〈芭蕉〉」
  ② 馬術で、馬に乗って、鞍の前かまたはうしろかに少しもたれかかること。」

とある。
 『去来抄』「同門評」にも、

 「今珍らしく雅ナル図アラバ、此を画となしてもよからん。句となしてもよからん。されバ大根引の傍に草はむ馬の首うちさげたらん。鞍坪に小坊主のちょつこりと乗たる図あらバ、古からんや、拙なからんや。察しらるべし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.37 )

とある。絵になる構図とでもいうべきか。

 「六月や峯に雲をくあらし山
 この句、落柿舎の句也。雲置嵐山といふ句作、骨折たる處といへり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.113)

 この句は元禄七年刊其角編の『句兄弟』下の豪句の所にある。

 六月や峯に雲置あらし山      芭蕉

 元禄七年六月二十四日付杉風宛書簡にも同じ句が見られる。この年は五月十一日に江戸を発ち、伊賀上野、膳所を経て閏五月二十二日に京都落柿舎に入り、六月十五日まで滞在している。
 水無月の梅雨明けの空の雲の峰を詠んだ句だが、それを嵐山の峯(標高382メートル)の上に更に雲を置いて、峯の上に雲の峰が重なってる情景としている。

 「川風やうす柹着たる夕凉み
 此句、すゞみのいひ様、少心得て仕たりと也。

 この句は元禄五年刊車庸編の『己が光』にある。

   四條の河原すゞみとて、名月の夜
   のこころより有明過る比まで、川中
   に床をならべて、夜すがらさけの
   み、ものくひあそぶ。をんなは帶
   のむすびめいかめしく、おとこは
   羽織ながう着なして、法師・老人ど
   もに交、桶やかぢやのでしこまで、
   いとまえがほにうたひのゝしる。
   さすがに都のかえいきなるべし。
 川かぜや薄がききたる夕すゞみ    翁

 この年も六月初めから京都に滞在した。京都の祇園社(現八坂神社)に近い四条川原は今日の市街地の真ん中でそんなに広くない賀茂川の河原に臨時のテーブルを並べて、酒を飲み料理を並べて、大勢の人で賑わっていた。
 「川中に床をならべて」というのは床店(とこみせ)のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 商品を売るだけで、人の住まない店。また、移動のできる小さい店。出店(でみせ)。屋台店。
  ※雑俳・柳多留‐二(1767)「とこ見せの将棊は一人(ひとり)腰をかけ」

とある。
 「薄柿」は元禄五年秋の「名月や」の巻十二句目の、

   船上り狭ばおりて夕すずみ
 軽ふ着こなすあらひかたびら    千川

の「あらひかたびら」と同じで、西鶴の『好色一代男』に出てくる「あらひがきの袷帷子」のことと思われる。「あらひがき」は色の名前で、洗われて色が薄くなったような柿色のことだという。
 元来卑賤な色である柿色は、賤なるがゆえに聖でもあるという二重性から、ちょっとアウトローっぽい粋な感じがしたのだろう。場所も川原だし。
 夕涼みにはいろいろな人が来ているが、その中でも一番都らしい粋なものということで、「薄がききたる夕すゞみ」とする所に工夫があったのだろう。

 「雲雀鳴中の拍子や雉子の聲
 此句、ひばりの鳴つゞけたる中に、雉子折々鳴入るけしきいひて、長閑なる味をとらんといろいろして是を究。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.113~114)

 この句は『猿蓑』の句。これはほとんど説明することはない。雲雀のするなかに時折雉の声がして、拍子を入れているみたいだという句。春の長閑さを表現するのに、鳥の声の持つ音楽を音楽らしくいう言葉を見つけ出すのに、いろいろ試してみたのかもしれない。

 「からさけも空也の痩も寒の内
 この句、師のいはく、心の味を云とらんと、數日はらわたをしぼると也。ほね折たる句と見え侍る也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.114)

 これも『猿蓑』の句。
 乾鮭(からざけ)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「サケの腹を裂いてはらわたを取り除き、塩を振らずに陰干しにした食品。《季 冬》「―も敲(たた)けば鳴るぞなむあみだ/一茶」

とあり、「精選版 日本国語大辞典の解説」には「塩引鮭を一晩冷たい流水に浸し、陰干しにしたもの。北国の特産。寒塩引。」

とある。叩けば鳴るようなものだから、棒鱈のようにかなりカチンカチンになるまで干した、一種のフリーズドライ食品だったのだろう。腸を取り除いたところに肋骨の跡があって、それが空也上人像を彷彿させた。
 コトバンクの鉢叩きのところの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 空也(くうや)念仏のこと。
  2 空也念仏を行いながら勧進すること。また、その人々。江戸時代には門付け芸にもなった。特に、京都の空也堂の行者が陰暦11月13日の空也忌から大晦日までの48日間、鉦(かね)やひょうたんをたたきながら行うものが有名。《季 冬》「長嘯(ちゃうせう)(=歌人)の墓もめぐるか―/芭蕉」

とあり、空也忌が過ぎ、鉢叩きが回ってくるようになると、寒い中で大変な思いをしてとその苦労を表すものとして乾鮭の姿に行きつくまで、いろいろ案じたのだろう。

 「蛇くふときけバおそろし雉子の聲
 此の句、師のいはく、うつくしき貌かく雉子の蹴爪かな、といふは、其角が句也。虵くふといふは老吟也と也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.114)

 これは元禄三年刊其角編の『花摘』所収の句。

   うつくしきかほかく雉の
       け爪かなと申たれば
 虵くふときけばおそろし雉の聲   翁

とある。其角の句の美しい顔に似つかわしくない立派な爪という句にヒントを得て、声聞けば春も長閑な雉も実は蛇を食う、と作り直す。
 キジはウィキペディアには「地上を歩き、主に草の種子、芽、葉などの植物性のものを食べるが、昆虫やクモなども食べる」とあり、通常の食事として蛇を食べるというよりは、卵や雛を守るために蛇を襲うという。

 「木のもとハ汁も膾もさくら哉
 この句の時、師のいはく、花見の句のかゝりを少し得て、かるみをしたりと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.114)

 これは元禄三年刊珍碩編の『ひさご』に収録された歌仙の発句。『ひさご』の歌仙は元禄三年三月下旬、膳所での芭蕉、珍碩、曲水による三吟になっている。
 この少し前の元禄三年三月二日伊賀風麦亭で興行された時の別のメンバーによる巻が寛政十三年刊秋屋編の『花はさくら』などにあり、こちらの方には土芳も参加している。この時土芳は芭蕉から直に「花見の句のかゝりを少し得て、かるみをしたり」というのを聞いたのだろう。この時の興行は、

 木の本に汁も膾も桜哉       はせを
   明日来る人はくやしがる春   風麦
 蝶蜂を愛する程の情にて      良品
   水のにほひをわづらひに梟る  土芳

に始まる。
 「かかり」は岩波古語辞典によれば、「歌などの語句の掛かりかた。また、詞のすわり。風体。」とある。語句の繋がり方、前後との関係での詞の収まりのよさ、といった所か。
 花見の句で汁・鱠をと、料理なのかではむしろ脇役ともいえるものに心寄せることで、実景(虚)としては汁や鱠に散った花が降りかかり、何もかもが桜に見えることを詠み、その裏(実)に主役脇役関係なく、老いも若きも偉い人も庶民も等しく花の下では酒を酌み交わして盛り上がれる世界、身分を越えた公界の理想を隠している。
 「花見の句のかかりを少し得て」というのは、桜と汁・鱠という取り合わせの面白さにふと気づいてというような意味で、出典のある言葉をはずして「軽み」の句にした、というのが、師の言いたかったことであろう。

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