今日も曇り。
ベビーブーマーが退場していくことで、良い意味でも悪い意味でも記憶は失われてゆく。人間の記憶は脳の中で構造化されることで、現実の混沌とした記憶はやがて整合的に体系化されてゆく。記憶は長い時を経ることで具体性を失い理念に変わって行く。そして歴史をめぐる対立は理念と理念の対立に変わる。検証不能の終わりのない戦いは、新たな暴力を生み出して行く。こうして人間は悲惨な歴史を何度も繰り返す。悲しい生き物だ。
俳諧を読むことは芭蕉の生きた時代のリアルを取り返す事であり、あの時代の混沌をよみがえらせることだ。硬直した歴史観に用はない。同じことは、当時の庶民の声の残っている時代なら、すべての時代で可能だと思う。
必要なのは硬直した歴史観に基づく歴史学なんかではない。体系化するな、混沌に戻せ。
どんな思想も人間の作ったものなんだからどれも不完全なんだし、宗教だって神意を解釈するのは結局人間だ。理屈に頼るな。機転を利かせろ。それも芭蕉の時代の人たちが教えてくれる。
それでは「衣装して」の巻の続き。
二表。
十九句目。
古巣の鳩の子を持ぬ恋
講堂に僧立ならぶ春の暮 前川
真言宗の正御影供(しょうみえく)であろう。三月二十一日に行われる。僧も子を持たない。
二十句目。
講堂に僧立ならぶ春の暮
流れにたつる悪水の札 曾良
正御影供の行われる高野山には川の上に落とすタイプの水洗便所があった。ここの水は使わないようにと「悪水」の立て札があったのだろう。「僧立ならぶ」はトイレ待ち?
芭蕉と曾良がこの夏『奥の細道』の旅で行くことになる羽黒山南谷の別院紫苑寺にもこのタイプの便所があって、元禄九年に桃隣が訪れ、
「同隱居南谷に菴室、風呂の用水は瀧を請てたゝえ、厠は高野に同じ。
〇水無月は隱れて居たし南谷」(舞都遲登理)
と記している。桃隣も泊まりたかったようだ。
二十一句目。
流れにたつる悪水の札
尸に生膾箸ならす注連の内 芭蕉
尸は「かたしろ」と読む。神の依代として使う人形(ひとがた)。「生膾箸(まなばし)」は盛り箸のこと。
かたしろは儀式で流すもので、ウィキペディアに、
「日本では古代から現在に至るまで、『古事記』や『延喜式』などにも記されている「大祓」という行事が全国の神社で開かれている[1]。この行事において、神社から配られた人形代に息を吹きかけ、また体の調子の悪いところを撫でて穢れを遷した後に川や海に流す、ということが行われている。」
とある。またひな祭りも古い時代では流し雛といってかたしろとなる雛人形を流していた。
この句もそうした儀式であろう。かたしろを流した水を使わないように「悪水」の札が立っている。
注連縄の内では料理がふるまわれているのか、箸を鳴らす音が聞こえる。
二十二句目。
尸に生膾箸ならす注連の内
こぼるる星の寒き下風 路通
前句を大晦日の年越の祓とする。昔は正月の初詣はなかったが大晦日の年越えの祓があった。
二十三句目。
こぼるる星の寒き下風
宇葺も哀成りけり不破の関 曾良
「宇葺」は「のきぶき」と読む。屋根葺きのこと。
『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注にもあるとおり、
人住まぬ不破の関屋の板廂
荒れにしのちはただ秋の風
藤原良経(新古今集)
を本歌としたもので、更に時を経て今は板庇もなく、あたりは農家の茅葺屋根に変わり、秋の風も冬の木枯らしに変わる。
芭蕉も『野ざらし紀行』の旅で、
不破
秋風や薮も畠も不破の関 芭蕉
の句を詠んでいる。あたりは農地になっていた。
二十四句目。
宇葺も哀成りけり不破の関
植おくれたる田の中の小田 前川
茅葺屋根の農家が点在する今の不破の関は、山なので田植も遅く小さな田んぼしかない。
「田の中の小田」はいろいろな田んぼがある中でもとりわけ小さな小田という意味か。
二十五句目。
植おくれたる田の中の小田
子規痩てや空に鳴つらん 路通
『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注によると、ホトトギスには「田長鳥(たおさどり)」という異名があり、『夫木抄』に、
わさ苗も植時すぐるほどなれや
しでの田長の声はやめたり
の歌があるという。
小さな小田なので田長も痩せて、田長鳥も同じように瘦せ細って鳴いているのだろうか。
二十六句目。
子規痩てや空に鳴つらん
我が物おもひ浮世壱人 芭蕉
痩せたのを恋の物思いのせいとする。ホトトギスも空で鳴いているように、我も泣きたい。
二十七句目
我が物おもひ浮世壱人
此恋をいわむとすればどもりにて 前川
告ろうとしてもどもってしまってうまく言えない。この悩みは俺一人なのだろうか。
二十八句目
此恋をいわむとすればどもりにて
打れて帰る中の戸の御簾 芭蕉
吃音障害のせいで人に見つかった時にうまく説明できず、不審者に間違えられて追い出される。
「中の戸」は『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に「部屋と部屋の間の戸」とある。
二十九句目
打れて帰る中の戸の御簾
柊木に目をさす程の星月夜 曾良
月のない夜は、誤って柊の葉の棘で目を刺してしまうくらい真っ暗だ。打たれて帰る夜はつらい。
『三冊子』「しろさうし」には「星月夜は秋にて賞の月にはあらず。」とある。ここでは「柊」で冬の句にする。
三十句目
柊木に目をさす程の星月夜
つらのおかしき谷の梟 路通
真っ暗な冬の夜、おかしな顔をしたフクロウがいる。
日本ではフクロウやミミズクが夜の悪魔の使いだとかそういう発想はなく、むしろ「福」に通じるということで縁起物だった。眼を閉じているフクロウの目は笑っているようでもあり、
木兎の笑ひを見たる時雨哉 李里(陸奥鵆)
また、蓑笠着て着ぶくれた旅姿をフクロウに喩えたりもする。
けうがる我が旅すがた
木兎の独わらひや秋の暮 其角(いつを昔)
月華の梟と申道心者 支考(梟日記)
の句もある。
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