今日で旧暦の弥生も終わり。春も終わり。行く春や。
それでは「啼々も」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
折かけはらん月の文月
唐秬の起さぬ家に吹なびき 孤屋
前句の「折掛」を唐黍の折れ掛に掛ける。唐黍はこの時代はコウリャンのことで、高さが三メートルにもなる。今はモロコシと呼ぶようだが、モロコシは漢字で書くと「唐」だから、トウモロコシは唐唐と同語反復になる。
二十六句目。
唐秬の起さぬ家に吹なびき
四手漕入ル水門の中 其角
前句の唐黍が倒れたのを野分の風として、四手網で漁をする船も水門の中に避難する。
二十七句目。
四手漕入ル水門の中
うち残す浪の浮洲の雪白し 野馬
前句を水辺の景色として、波のかからない浮洲にだけ雪が残っている、とする。
浮洲はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「浮州」の解説」に、
「① 泥や流木などが集まり、その上に植物が生えたりして、湖や沼などの水上に浮きただよい、州のように見えるもの。
② 海中の州などが水面に現われたもの。また、州が浮いているように見えるもの。
※光悦本謡曲・藤戸(1514頃)「あれに見えたるうきすの岩の、すこしこなたの水の深みに」
とある。
「うきす」は雅語では鳰の浮巣など、巣の意味で用いる。
二十八句目。
うち残す浪の浮洲の雪白し
葉すくなに成際目の松 孤屋
際に「さかひ」とるびがあり、際目は「さかひめ」と読む。波打ち際の松は葉も少ない。
松に雪は、
み山には松の雪だにきえなくに
宮こは野辺の若菜摘みけり
よみ人しらず(古今集)
年ふれど色もかはらぬ松か枝に
かかれる雪を花とこそ見れ
よみ人しらず(後撰集)
など、歌に詠まれている。
二十九句目。
葉すくなに成際目の松
数珠引のあたり淋しく寺見えて 其角
数珠引はコトバンクの「世界大百科事典 第2版「数珠引」の解説」に、
「数珠を作る職人。《七十一番歌合》には念珠引として現れ,《人倫訓蒙図彙》《今様職人尽百人一首》などでは〈数珠師〉ともいわれ,洛中洛外図にも数珠屋がみられる。そこに描かれた職人は僧形で,舞錐(まいぎり)を使っているが,その組織などはまだ明らかにされていない。【網野 善彦】」
とある。
数珠の糸を通すのに松の葉を使っていたか。
三十句目。
数珠引のあたり淋しく寺見えて
あき乗物のたて所かる 野馬
「あき」は空きで空車のことだろう。寺の外の数珠引が住んでいる辺りは、寺に来る人の駕籠置き場になる。
二裏、三十一句目。
あき乗物のたて所かる
被敷その夜を犬のとがむらん 孤屋
被には「かつき」とルビがある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「被・被衣」の解説」に、
「① 頭に載せること。また、そのもの。
※玄々集(1045‐46)「かつきせむ袂は雨にいかがせしぬるるはさても思ひしれかし〈侍従内侍〉」
② きぬかずきのこと。公家や武家の婦女子が外出の際、顔を隠すために、頭から背に垂らしてかぶり、両手をあげて支えた単(ひとえ)の衣。かつぎ。衣被。のち、室町時代の中期から小袖被衣(こそでかずき)もでき近世に及んだ。近代は晴の日に帷子(かたびら)などを頭から被り、婚礼のときの嫁や、葬式のときの近親女性が用いた服装。かむりかたびら。」
とある。ここでは単に一重の布を下に敷いたということか。
駕籠を勝手に止めていたら番犬に吠えられた。
三十二句目。
被敷その夜を犬のとがむらん
うきふしさはる薮の切そぎ 其角
切そぎは削ぎ切りとおなじで、薮の笹や竹の根元を斜めにカットして尖らせたものであろう。おそらく防犯用にそうしていたのだろう。
番犬には吠えられ、切そぎを踏んで怪我をして、文字通り「憂き節」だ。
今更になにおひいつらむ竹のこの
うきふししげき世とはしらずや
凡河内躬恒(古今集)
世の中は憂き節しげし篠原や
旅にしあれば妹夢に見ゆ
藤原俊成(新古今集)
など、和歌で用いられる。
三十三句目。
うきふしさはる薮の切そぎ
五月雨塗さす蔵に苫きせて 野馬
苫はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「苫」の解説」に、
「① 菅(すげ)、茅(かや)などを菰(こも)のように編んだもの。
② 着物のことをいう。
※洒落本・美地の蛎殻(1779)「お直は番茶ちりめんに、嶋つむきの下着〈略〉何れもとばはよし」
とある。この場合は①で、塗ったばかりの蔵の壁が五月雨に濡れないように、苫で覆う。同時に蔵が泥棒に入られないように、辺りの竹薮を切そぎにする。
「さつきあめ」は日文研の和歌データベースの検索でヒットしなかった。俳諧特有の言葉か。「さみだれ」の用例は多数ある。
三十四句目。
五月雨塗さす蔵に苫きせて
海の夕も大津さびしき 孤屋
前句を大津の琵琶湖岸に並ぶ海運倉庫とする。賑やかな港も雨の夕暮れは淋しい。
五月雨の夕べは、
五月雨の夕べの空にいがばかり
寝にゆく鳥も羽しほるらむ
藤原家隆(壬二集)
などの歌がある。
三十五句目。
海の夕も大津さびしき
思ふほど物笑はまし花の隅 其角
大津はかつて大津京のあった地で、『平家物語』で平忠度の歌とされている、
さざなみや志賀の都は荒れにしを
昔ながらの山桜かな
よみ人しらず(千載集)
の歌もよく知られている。
「笑はまし」は「ためらいの意志」という用法だろうか。花見には寂しげな場所だが、周りに人もいないし、心置きなく笑おうではないか、というところか。
挙句。
思ふほど物笑はまし花の隅
つくし摘なる麦食の友 野馬
吉野隠棲の西行法師であろう。
さびしさに堪へたる人のまたもあれな
庵ならべむ冬の山里
西行法師(新古今集)
のような隣人がいて、ともに麦飯を食い、春になれば一緒に土筆を摘み花見をして、今日くらい笑おうではないか、という所で一巻は目出度く終わる。