2022年2月1日火曜日

 今日は旧正月にふさわしい暖かくて穏やかな日和だった。
 横浜市のホームページを見たら、三回目のワクチン接種の接種券発行が三月中旬とのこと。二回目からちょうど六か月、妥当な所だろう。その頃にはオミ株はもう収まってそうだが。
 三回目の接種率が3.5パーセントでも、日本はワクチン接種の開始が遅かったから、本格的にワクチン接種が始まってまだ八ヶ月しか経ってない。
 死者数も去年の十月十四日に一万八千人を越えて、未だに一万八千八百人。コロナ以前はインフルエンザでひと冬に一万人の死者を出してたというから、恐れるようなことでもない。
 オミ株が広まってからもうすぐ一か月というけど、重症者の数もまだ去年の正月の第四波のレベルにすら達していない。緊急事態宣言を出すレベルでもない。
 まあ、相変わらず日本は平和だ。北京でオリンピックをやっている間は、世界もそんなに急には動かないだろう。嵐の前の静けさかもしれないが。
 当面の戦争が回避されれ、これから世界がコロナ明けで活気づけば、ロシアも中国もそれに乗っからなきゃ損というふうになって来るんじゃないかな。希望的観測だけど。

 さて、旧暦でも年が改まり、俳諧にも春が来たということで、『俳諧秘』の方は一休みして春の俳諧を読んでみようと思う。
 今回取り上げるのは『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豊隆監修、中村俊定校注、一九六八、角川書店)の「存疑之部」にある芭蕉松島独吟「松の花」の巻で、中村注には、

 「この一巻は大石田の住何某から等躬へ贈られ、等躬死後、その子息乍跡の文庫の底に秘められていたものを築月堂晋流が与えられて、東武浅草滞在中寓居において、安永二年板行したものという。」

とある。
 来歴はいくらでも疑う余地はあるし、何よりも芭蕉が松島を訪れたのが夏だというのに、春の発句で始まるというのも異例であろう。
 仮に本物の芭蕉独吟であったとしても、『奥の細道』の旅で作られたとは思えない。長いこと芭蕉に松島の句がないと思われていたため、幻の松島の句という所で、こういう来歴が作られた可能性が大きい。
 まず、その発句を見てみよう。

   我松島の松といふめるを、
   苫屋かしたる案内の海人に
   習ひて           はせを
 松の花苫屋見に来る序哉

 前書きの「案内の海人」は松島ではなく、謡曲『松風』の須磨の浦の海人であろう。
 この謡曲は旅の僧が須磨を訪れる所から始まる。

 「この秋思ひ立ち西国に下り、須磨明石の月をも眺めばやと思ひ候。やうやう急ぎ候ほどにこれは早や、津の国須磨の浦とかや申し候。又これなる磯辺に一木の松の候に、札を打ち短冊を懸けられて候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.31647-31655). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 これに『奥の細道』の「松嶋の月先(まづ)心にかかりて」とを重ね合わせ、松島にやって来た僧形の芭蕉さんが苫屋の海人に導かれて、という設定になっている。
 季節が春ということもあって、仮に芭蕉の作だとしても、これから行く松島に思いを馳せての独吟であろう。
 松の花は蕉門では珍しい題材で、和歌では、

   前々中宮はじめてうちへ入らせ給けるに、
   雪降りて侍ければ、六條右大臣のもとへ
   つかはしける
 ゆき積もる年のしるしにいとどしく
     ちとせの松の花咲くぞ見る
              藤原師実(金葉集)
   返し
 積もるべしゆき積もるべし君が代は
     松の花咲く千たびみるまで
              源顯房(金葉集)

のように、雪を松の花に見立てたもの、

 みるたびに松の花とぞまがひぬれ
     かかりてさける池の藤波
              安嘉門院高倉(宝治百首)

のように松に懸る藤の花を松の花に見立てたものなどがある。
 松の花はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「松の花」の解説」に、

 「① 松に咲く花。春、新芽の先に雌花と雄花とが咲く。《季・春》
  ※万葉(8C後)一七・三九四二「麻都能波奈(マツノハナ)花数にしもわが背子が思へらなくにもとな咲きつつ」
  ② 松は百年に一度花が咲くというところから、めでたいことあるいは長寿の祝賀の意にいう語。
  ※金葉(1124‐27)賀・三三三「雪つもる年のしるしにいとどしく千年の松の花さくぞ見る〈藤原頼通〉」
  ③ 「まつたけ(松茸)」の異名。」

とあり、和歌の題材になるのは②の実在しない花であるため、雪か藤などの見立てとして詠まれている。
 ところでこの伝芭蕉の発句では、和歌でいう松の花ではない。明らかに松の蕊を詠んだ句であろう。
 俳諧では確かに松の蕊を松の花として詠む例がある。「575筆まか勢」というサイトを見れば、

 こゝろみむ清水にとるゝ松の花  許六
 すつと立つ草木の中に松の花   鬼貫
 井戸掘りて先うつろふや松の花  同
 初声を鶴ともきかめ松の花    同
 十返りの声やたえずも松の花   同
 米あらぬ折喰物か松の花     惟然

などの句が見られる。
 その他にも『増補 俳諧歳時記栞草』(曲亭馬琴編、二〇〇〇、岩波文庫)の堀切実の注に、

 まだ山の味覚えねど松の花    惟然

の句があり、松の蕊は食用とされていたようだ。松の葉も、延宝九年刊信徳編の『俳諧七百五十韻』の最後の五十韻、「八人や」の巻三十五句目に、

   柴積車千里一時
 稗団子或は松の葉を喰ひ     如泉

の句があり、食用とされていた。
 許六の句も試みに採るとあるが、まさか許六が食べるとは思えない。目出度いものとされている松の花だから、茶花として生けようということか。
 鬼貫の句も、松の花の目出度さを心に置きながら、ここにもお目出度い松の花がの心で詠んでいる。
 伝芭蕉の発句も、この鬼貫の句と同様、松の蕊を伝説の松の花の目出度さに重ね合わせ、苫屋を見に来るついでに思いがけずに松の花に出会えた、という意味であろう。
 脇。

   松の花苫屋見に来る序哉
 汐干の跡を知てゆく蝶

 発句が苫屋で水辺なので、潮干狩りの跡を付け、花に蝶を添える。こういう四手付けは芭蕉でも別に珍しいものではない。
 苫屋の辺りには潮干狩りの人も無く、松の花に蝶だけが飛んで行く。
 独吟の脇は特に挨拶の寓意は必要ないので、これでいいと思う。
 第三。

   汐干の跡を知てゆく蝶
 鳳巾日のちらちらに移ろひて

 「鳳巾」は「いかのぼり」と読む。関西では「たこ」のことを「いかのぼり」と言っていた。
 当時凧は正月に限らず、広く春に詠むので、潮干狩りの蝶に凧でも問題はない。元禄四年刊路通編の『俳諧勧進帳』の「あはれしれ」の巻十八句目に、

   散花をさつとかけたるゆふだすき
 たこよくあげて子に渡すらん   其角

の句がある。
 「ちらちら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ちらちら」の解説」に、

 「① ものごとが断続的に目にうつったり意識にのぼったりするさまを表わす語。物が見えかくれするさま、また、物を断続的に見るさまを表わす語。ちらりちらり。
  ※名語記(1275)三「もののちらちらとちらめく」
  ② 話やうわさが少しずつ耳にはいるさまを表わす語。ちらりちらり。
  ※人情本・春色梅児誉美(1832‐33)後「コウ米八さん、おらあくわしく知らねへが、いつか中(ぢう)からちらちらと耳へはいって気になったが」
  ③ 雪や花などの細かいものが小さくゆれ動きながら落ちるさまを表わす語。ひらひら。ちらりちらり。ちらりほらり。
  ※御湯殿上日記‐延徳三年(1491)七月一五日「けふも雨ちらちらとふる」
  ④ 光が断続的に弱く光るさまを表わす語。ちらりちらり。
  ※浄瑠璃・天神記(1714)四「海士の漁り火ちらちらと、星か蛍か影うすく」
  ⑤ すぐに。大急ぎで。〔日葡辞書(1603‐04)〕」

とある。「日のちりちり」だと今の「じりじり」の意味で、じりじりと照り付ける意味になる。「日のちらちら」だと、弱々しい夕日が西に傾いて行く様子となり、潮干狩りの人も帰って行った、とする。
 四句目。

   鳳巾日のちらちらに移ろひて
 月片破れは鐘にへだたり

 「月片破れ」は上弦の月のことであろう。この言い回しに一工夫が見られる。入相の鐘を添える。
 四句目の月は蕉門では問題ない。秋への季移りとなる。
 五句目。

   月片破れは鐘にへだたり
 礎は唯あらましの草紅葉

 前句の「片破れ」を荒れた寺の景として、その礎(いしづゑ)に草の紅葉を添える。
 典型的な「さび」の句と言えよう。
 六句目。

   礎は唯あらましの草紅葉
 世とて案山子を居へし関守

 時代が変わって、古典に名高い関のあたりも畑に代わり、案山子が関守の代わりになっている。
 これは『野ざらし紀行』の、

    不破
  秋風や薮も畠も不破の関     芭蕉

であろう。

  人すまぬふはの関屋のいたびさし
     あれにし後はただ秋の風
              藤原良経(新古今集)

の心になる。
 初裏、七句目。

   世とて案山子を居へし関守
 ころしもや陸の湯ぬるく成り増り

 「陸」は「くが」と読む。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「陸」の解説」に、

 「① 海、川、湖、沼などに対して、陸の部分。陸地。くにが。くぬが。
  ※書紀(720)神代下(寛文版訓)「此れ、海(うみ)陸(クガ)相通(かよは)ざる縁(ことのもと)なり」
  ※源氏(1001‐14頃)玉鬘「水鳥のくがにまどへる心ちして」
  ② 海路などに対して、陸上を行く道。陸路。くがじ。
  ※交隣須知(18C中か)二「陸路 クガヲユクユヱ ニモツハ フネノ人ニ タノムヨリホカハゴザラヌ」
  [語誌](1)水部に対する語であり、後には②のように海路・水路に対する陸路をさすようにもなる。
  (2)語形としては「クムガ」(書陵部本名義抄・色葉字類抄)、「クヌガ」(日本書紀古訓)、「クニガ」(改正増補和英語林集成)などがあり一定しない。語源的には「国(クニ)処(カ)」ともいわれるが、そうだとすると、日本書紀古訓の「クヌガ」は「クヌチ(国内)」などとの類推から作られた語形である可能性もある。」

とある。「陸の湯」はここでは温泉のことか。
 荒れ果てた関にぬるくなる温泉で、「ころしもや」で場面転換しているから対句的な相対付けになる。
 八句目。

   ころしもや陸の湯ぬるく成り増り
 霜に欠出の笈おろすなり

 温泉は修験の地になっていることが多く、修験者の笈を出すことで旅体に転じる。
 「欠出(かけで)」は「駆出(かけで)」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「駆出」の解説」に、

 「〘名〙 山伏が峰入りの修行を終わって、山から出ること。特に、この時は、気力や体力が充実し、霊力がみなぎっていると信じられていた。かけいで。
  ※虎明本狂言・犬山伏(室町末‐近世初)「是は出羽のはぐろさんの山伏でござる。大みねかづらきを致て、只今かけ出でござる」

とある。
 前句の「陸の湯ぬるく」を冬の寒さのせいとする。前句の「ころしも」が「ちょうど温泉もぬるく成ったことだし」という意味になり、修行を終えて温泉地の修行場を離れる。
 九句目。

   霜に欠出の笈おろすなり
 一備へまだいなの目の森の中

 「いなの目」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「いなのめ」の解説」に、

 「〘名〙 (「いなのめの明く」という言い方から転じて) 夜明け。明けがた。しののめ。いなひめ。→いなのめの。
  ※永久百首(1116)春「いなのめは石のかけ橋ほのぼのとしばし休らへまほならずとも〈源俊頼〉」

とある。
 前句の修験者の笈を下ろすのを、森の中で夜が明け明るくなったところで、これからの長い旅に備えて一息つくとする。
 十句目。

   一備へまだいなの目の森の中
 どの畦々に消るほたるぞ

 明け方で蛍の姿も見なくなり、どこの畦に消えて行ったかとする。
 旅体から、農作業に来た百姓の「一備へ」とする。蛍を気遣う所に「細み」が感じられる。
 十一句目。

   どの畦々に消るほたるぞ
 いろいろに気のつく神の時花やう

 「時花」は「はやり」と読む。その時々に花が咲くようにという意味で「はやり」にこの字を当てる。流行というのは一時花やいでは儚く消えて行く。
 流行神(はやりかみ)はコトバンクの、「日本大百科全書(ニッポニカ)「流行神」の解説」に、

 「突如として出現し、ごく短期間に爆発的に流行して熱狂的な信仰を集める神や仏の総称。よく知られているものに、7世紀に現れた常世神(とこよがみ)、10世紀の志多羅神(しだらがみ)、11世紀の福徳神、それに近世の鍬神(くわがみ)や幕末の「ええじゃないか」などがある。その性質上、信仰圏は地域的に制約されるが、かならず霊験(れいげん)をつくりだし喧伝(けんでん)する宗教者の存在が認められる。流行神の出現形式は、〔1〕天空飛来型、〔2〕海上漂着型、〔3〕土水中出現型に分けられるが、なんらかの社会的緊張感が高まる時期と符合することは注目される。なお、近世には、経済的基盤の不安定な寺院が、持仏(じぶつ)などに現世利益(げんぜりやく)的な霊験を付会(ふかい)して流行神を仕立て上げ、信者を獲得するといったこともみられた。[佐々木勝]」

とある。
 消える蛍に流行神の儚く忘れられてゆくイメージを重ねる。
 十二句目。

   いろいろに気のつく神の時花やう
 石なき川を木萱流れて

 木萱(きかや)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木萱」の解説」に、

 「〘名〙 (「かや」はすすき、すげなどの総称) 木と萱。草木。
  ※雑俳・村雀(1703)「木がやをつつむ霧は薄ぐも」

とある。「はやり」は「流行」という字も当てる。石なきは「名なき」とする本もある。草書だとよく似ている。
 木萱はかつての祠で、川に流されてその跡のみを残すということであろう。
 ここまでの十二句は、付け筋、てにはなど乱れはなく、それなりに俳諧に習熟した作者のものと思われる。
 ただ、全体に生活感に乏しく、庶民の暮らしや世相などをリアルに描く視点がないので、古めかしい感じがする。

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