昨日は朝からどんより曇っていて、昼頃から雨になった。夜から雪に変わって大雪になると思ったら、今朝起きた時も雨だった。
昨日はネットで男子大回転を見ると、北京は吹雪だった。人工雪しかないのかと思ったら、天然雪もあるじゃん。
視界が利かないし、雪はどんどん深くなってくるから後に滑るほど不利ではないか。コースアウトや転倒も多かった。フリースタイル女子スロープスタイルは始まらないし、配信がなくなってしまった。
結局大回転も途中で中断になった。四時に再開した時には、だいぶ視界は良くなっていた。人工雪にはいろいろ批判があったが、天然雪は天然雪でまた困ったものだ。
ピンドゥンドゥンって達磨さんだから、当然おっさん声だと思ってたけど、中国人には別のものに見えるのかな。
三谷脚本の大河ドラマは大体ありがちなヒーロー史観を否定していて気持ちがいい。頼朝は御輿に乗ってるだけの情けない人物に描かれていて、でも日本のリーダーは逆にそれでなければいけないという所もある。ヒーロー史観のドラマのような熱血漢は、たちまちヒットラーだと叩かれ、あれこれ弱点をほじくり出されて潰されるからね。
逆に清盛はそのタイプだったんだろうな。
頼朝は北条、三浦、和田といったところに御輿に載せられて担がれていたし、その理由も人望というよりは血筋だったのだろう。
ドラマでは後白河法皇の生き霊がしばしば登場するが、こうした御輿システムが天皇制そのものであることを描きたかったのでは。
それでは「生船や」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
曇ル日の嵐鰹見て参レ
隙役者つれづれ独り閑と 藤匂子
「隙」は「ひま」、「閑」は「つれづれ」とルビがある。
売れない役者というのはいつの時代にもいたのだろう。今は大抵居酒屋などでバイトしているが、当時は魚屋のバイトをしていたか。魚屋が肴屋を兼ねていたとしたら、今とあまり変わらない。
二十六句目。
隙役者つれづれ独り閑と
旧友やつこ零落ス半バ 千春
「やつこ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「奴」の解説」に、
「[1] 〘名〙 (「やつこ」の変化したもの。近世以後用いられた)
① 人に使役される身分の賤しい者。奴僕。下僕。家来。また、比喩的に、物事のとりことなってそれにふりまわされる人をいう。
※浄瑠璃・国性爺合戦(1715)一「御辺はいつのまに畜生の奴(ヤッコ)とはなったるぞ」
② 人をののしったり軽くみたりしていう語。自分を卑下しても用いる。
※洒落本・南客先生文集(1779‐80)「『あっちの客ア誰だ』『エエもうすかねへやっこさ』」
③ 江戸時代、武家の奴僕。日常の雑用のほか、行列の供先に立って、槍や挟箱などを持って振り歩く。髪を撥鬢(ばちびん)に結び、鎌髭(かまひげ)をはやし、冬でも袷(あわせ)一枚という独特な風俗をし、奴詞(やっこことば)ということばを用い、義侠的な言行を誇った。中間(ちゅうげん)。
※咄本・百物語(1659)下「山もとのやっこ、山椒を買けるに」
④ 江戸時代の侠客、男だて。旗本奴、町奴と呼ばれ、武士や町人が、徒党を組み、派手な風俗をして侠気を売り物にした。
※咄本・百物語(1659)下「あづまのやっこを見侍しが、をとに聞しに十ばいせり」
‥‥以下略‥‥」
とある。
歌舞伎役者には④の意味のやっこ崩れが多かったのだろう。いっしょにかぶいてブイブイ言わせていたマブダチも、今は売れない役者に身を落としている。歌舞伎役者は非人の身分だった。
今のヤンキーも昔の「やっこ」の系譜を背負っているのかもしれない。
二十七句目。
旧友やつこ零落ス半バ
滴クも否と禁酒窟に袖ぬらしけり 其角
否は「いや」、「禁酒窟」は「のまぬいはや」とルビがある。
やっこは大体大酒飲んで暴れていたのだろう。岩屋は僧が修行するのに用いるものだが、そこに押し込められているということか。
草の庵何露けしとおもひけむ
もらぬいはやも袖はぬれけり
行尊(金葉集)
の換骨奪胎か。酒の滴の漏らぬ岩屋にも袖は濡れる。
二十八句目。
滴クも否と禁酒窟に袖ぬらしけり
袈裟に切さく賤の捨網 藤匂子
前句を禁欲的な修行僧とする。海士の捨てた網を切り裂いて袈裟の代わりとする。
二十九句目。
袈裟に切さく賤の捨網
尺八の名に水馴竿月ヲ吹ク 千春
水馴竿(みなれざを)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「水馴棹」の解説」に、
「〘名〙 水になれた棹。水になじんで使いなれた棹。
※拾遺(1005‐07頃か)恋一・六三九「大井川くだす筏のみなれさほ見なれぬ人も恋しかりけり〈よみ人しらず〉」
とある。拾遺集の和歌に出典があるので雅語になる。
前句の「賤の捨網」の海士の縁で「水馴竿」を出す。
風狂の乞食僧として、月夜に水馴竿と命名した尺八を吹く。あるいは虚無僧か。
三十句目。
尺八の名に水馴竿月ヲ吹ク
舞ハ芭蕉まひ薄舞 其角
芭蕉は謡曲『芭蕉』の芭蕉の精(女)の舞いか。
「月も妙なる庭の面」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.24084-24085). Yamatouta e books. Kindle 版. )
でその精が登場し、
「返す袂も芭蕉の扇の風茫茫と物凄き古寺の、庭の浅茅生女郎花刈萓、面影うつろふ露の間に、山颪松の風、吹き払ひ吹き払ひ、花も千草もちりぢりに、花も千草もちりぢりになれば、芭蕉は破れて残りけり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.24178-24186). Yamatouta e books. Kindle 版. )
と去って行く。「浅茅生女郎花刈萓」とあればススキがあってもおかしくない。
二裏、三十一句目。
舞ハ芭蕉まひ薄舞
山路分ク菊に羽織を打着セて 藤匂子
芭蕉の精だと思ったのは山路の菊に羽織を着せて作った偽物だった。ただ、この頃はまだ「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の句はなかった。
三十二句目。
山路分ク菊に羽織を打着セて
首とつて偖霜を悲しむ 其角
「偖」は「さて」と読む。
合戦の野で敵将の首を取ったが、残った遺体には羽織を着せて菊の花を添えて弔う。
三十三句目。
首とつて偖霜を悲しむ
当御台心から身を凩や 千春
当御台は「当(まさ)に御台」か。前句の「偖」に応じる。御台はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御台」の解説」に、
「① 天皇や貴人を敬って、その食物をのせる台をいう語。食卓。
※宇津保(970‐999頃)藤原の君「宮御だいたてて物まゐる」
② 天皇や貴人の食物をいう。おもの。
※落窪(10C後)一「御だい、あはせいと清げにて、粥まゐりたり」
③ 「みだいどころ(御台所)」の略。
※あさぢが露(13C後)「二所なから御だいそそのかしなどし給へば」
とある。この場合は③の御台所か。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御台所」の解説」に、
「〘名〙 「みだいばんどころ(御台盤所)」の略。
※吾妻鏡‐治承四年(1180)八月二八日「以二土肥彌太郎遠平一為二御使一、被レ進二御台所御方一」
[語誌]
(1)挙例の「吾妻鏡」に見える「御台所」は、征夷大将軍源頼朝の妻、北条政子をさす。頼朝亡きあとは「尼御台所」と称された。同じ将軍の実朝、頼経、頼嗣の妻も「御台所」と呼ばれた。
(2)中世以降には国司の妻をいう例もあり、近世では、将軍の妻をさす一方で、奥州五十四郡の主、義綱公に身請けされる高尾をさしたり(「浄・伽羅先代萩‐一」)、屋敷の奥様といった単なる敬称にも使われ、敬意が次第に低くなる。
(3)この語の省略形「御台(御内)(みだい)」は節用集類に多く見え、「太平記‐九」では治部大輔足利高氏の妻をさしており、近代では二葉亭四迷「浮雲‐二」に妻を「尼御台(あまみだい)」という例が見られる。
前句の首を源平合戦や曽我兄弟の仇討で打ち取られた首とすれば、(1)の北条政子ということになる。特に誰というのでもなく、戦乱の時代の将軍の妻ならありそうなことで、この頃の俳諧は「太平記」ネタも多い。
三十四句目。
当御台心から身を凩や
地獄現在鐘し覚ずは 藤匂子
地獄現在はこの世の地獄のこと。将軍の妻もこの世の地獄の中にいて、鐘の音にもそれを悟ることがない。
三十五句目。
地獄現在鐘し覚ずは
花鉾ヲ振て甲を盃に諷ふ 其角
合戦のさなかの花見であろう。矛を振って舞い、兜を盃にして謡ふ。地獄のさなかだというのにそれを忘れているようだ。合戦の中で合戦を忘れた、というところか。
挙句。
花鉾ヲ振て甲を盃に諷ふ
歯朶矢にすくむ羽子板の楯 千春
歯朶矢は歯朶を付けた正月の初狩に用いる矢のことか。『冬の日』の「つつみかねて」の巻第三に、
こほりふみ行水のいなづま
歯朶の葉を初狩人の矢に負て 野水
の句がある。
前句の花鉾を、花のように飾り立てた儀式用の鉾として正月に転じ、歯朶の矢に羽子板の楯とし、打越の地獄を去って、正月の目出度さに転じて一巻は終わる。
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