昨日のオリンピックネット観戦は午後のスノーボード男子スロープスタイル決勝から見た。昨日同様、決まるか転ぶかの勝負。
謎の中国人スー・イエミン。英語の実況だとそう聞こえるから検索したけど、出てこない。日本ではスー・イーミンになっているようで、スー・イーミンで検索したら謎でなくなった。
スピードスケート女子1500mは最後の所だけテレビで見た。パンダ達磨を見るのはこれが三回目。まあ、今回の優勝者を見ると、高木美帆さんも八年後の札幌で世界新&金メダルだな。
夜のスキージャンプ混合団体決勝は、何が起こったのか全く分からない。そのあともドイツ、ノルウェーと、何かロシアの上にいる国が消えて行く。まあ、日本は失格者を出した国の中では一番だったが。
でもいいのかな、親中国でウクライナにも消極的だったドイツを怒らせて。銅メダルで我慢しておいた方が良かったんじゃないかな。バッハも背中に気をつけた方がいい。
ショートトラック男子1000mでも疑惑の失格があったし、今までわりかしまともにやっていると思ったら、一気に仕掛けてきたな。
それでは「美しき」の巻の続き。
十三句目。
酒の半に膳もちてたつ
幾年を順礼もせず口おしき 松芳
飲んだくれ爺さんであろう。隠居の身でも酒ばっかり飲んでて外に出ようとしないから、家族もあきれている。
十四句目。
幾年を順礼もせず口おしき
よまで双紙の絵を先にみる 舟泉
前句を無精者として、こういう人は読みやすい仮名草子本すら読まずに挿絵だけ見る。天和版の『竹齋』は四回めくると一回は見開きの大きな挿絵が入っている。
十五句目。
よまで双紙の絵を先にみる
なに事もうちしめりたる花の貌 荷兮
「うちしめる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「打湿」の解説」に、
「① 物が水気を帯びる。水気を含んでしっとりする。
※源氏(1001‐14頃)宿木「露にうちしめり給へる薫り」
② (物事の勢いがしずまる意から) 静かになる。落ち着いた雰囲気である。
※源氏(1001‐14頃)蛍「うちしめりたる宮の御けはひも、いと艷なり」
③ (気持が沈む意から) 物思いにしずむ。しんみりする。気がめいる。
※源氏(1001‐14頃)藤裏葉「宰相も、あはれなる夕のけしきに、いとどうちしめりて」
とある。③の意味で恋に転じる。前句を草子にも集中できず、心ここにあらずとする。
花の貌は比喩で、今日でも「花のかんばせ」という言葉が残っているが、「花の顔」は比喩ではなく、花の咲いている様子を表すこともある。
十六句目。
なに事もうちしめりたる花の貌
月のおぼろや飛鳥井の君 冬文
飛鳥井の君は『狭衣物語』の登場人物。狭衣の浮気相手で捨てられて自殺する。
花に飛鳥井は、
あすか井の春の心は知らねども
宿りしぬべき花の蔭かな
藤原為実(風雅集)
の縁もある。
十七句目。
月のおぼろや飛鳥井の君
灯に手をおほひつつ春の風 舟泉
『狭衣物語』を三句に渡らすことはできないので、ここは歌枕の「飛鳥井」で見かけた君か、飛鳥井家の君ということにした逃げ句になる。
飛鳥井はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「飛鳥井」の解説」に、
「[一] 奈良県明日香村、飛鳥坐(あすかにいます)神社の前にある井戸。
[二] 京都市中京区二条、柳馬場(やなぎのばんば)通あたりにあった万里小路(までのこうじ)の井戸。
[三] 催馬楽の、律の歌の曲名。「楽家録‐巻之六・催馬楽歌字」に「あすかゐに、やどりはすべしあけ」の歌い出しで所収。
とある。
歌枕は京都の飛鳥井で、飛鳥井家の屋敷もここにあった。今は白峯神宮になっているが、幕末の創建で、この頃にはまだなかった。
月の朧は薄暗いから灯火を灯すが、それが春風に吹き消されないように手で覆う。
十八句目。
灯に手をおほひつつ春の風
数珠くりかけて脇息のうへ 松芳
吹き込んできた春風に灯火が消えかかったので、慌てて持っていた数珠を脇息の上に置いて、灯火を手で覆う。
二表、十九句目。
数珠くりかけて脇息のうへ
隆辰も入歯に声のしはがるる 冬文
隆辰は隆達節のことか。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「隆達節」の解説」に、
「近世初期の流行歌謡。隆達小歌あるいは単に隆達ともいう。創始者の高三(たかさぶ)隆達(1527―1611)は泉州堺(さかい)の薬種商の末子に生まれ、日蓮(にちれん)宗顕本寺の僧となったが、兄隆徳の没後還俗(げんぞく)した。生来器用な彼は、連歌(れんが)、音曲、書画などに才能を表し、自ら小歌を作詞してこれを歌い、名声を得た。この隆達節がもっとも流行したのは文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)期(1592~1615)で、その後、元禄(げんろく)・宝永(ほうえい)期(1688~1711)ごろまでは流行し続けた。
曲節は現存しないが、おそらく先行する数種の音曲を折衷し、そこに彼独自の節回しを加えたものと思われる。伴奏には主として扇拍子や一節切(ひとよぎり)、小鼓などが用いられた。自筆、他筆を含めて500首以上の歌詞が現存するが、すべてが隆達の作というわけではない。内容の70%以上は恋歌で、詞型は7575の半今様(はんいまよう)型がもっとも多く、近世小歌調の七七七五調はきわめて少ない。その意味で、隆達節は中世歌謡から近世歌謡への過渡的小歌として、歴史上重要視されている。[千葉潤之介]」
とある。
元禄・宝永の頃まで流行したとはいうが、ピークが文禄・慶長だから、『阿羅野』の頃には爺さんのものというイメージがあったのだろう。
ニ十句目。
隆辰も入歯に声のしはがるる
十日のきくのおしき事也 荷兮
九月九日の重陽には菊がもてはやされるが、十日になると見向きもされない。前句の流達節の老人を十日の菊の喩える。
二十一句目。
十日のきくのおしき事也
山里の秋めづらしと生鰯 松芳
昔は鮮魚の輸送が難しかったので、山里で生鰯は珍しい。秋から冬にかけては鰯の旬だけに、重陽に間に合わなかったのは勿体ない。
二十二句目。
山里の秋めづらしと生鰯
長持かふてかへるややさむ 舟泉
長持は衣類や寝具などを入れる大きな木箱で、山里の生鰯は長持に詰めた古着くらいの価値がある、ということか。まあそんな金もないから、イワシはあきらめて衣類を買って帰る。
二十三句目。
長持かふてかへるややさむ
ざぶざぶとながれを渡る月の影 荷兮
長持ちを買って帰る時の光景とする。大きいから二人がかりで竿に掛けて運び、濡らさないようにして川を渡る。
二十四句目。
ざぶざぶとながれを渡る月の影
馬のとをれば馬のいななく 冬文
夜討に向かう馬だろうか。馬がいなないたら不意打ちにはならないが。
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