2022年2月8日火曜日

 昨日のオリンピックネット観戦は午後のスノーボード男子スロープスタイル決勝から見た。昨日同様、決まるか転ぶかの勝負。
 謎の中国人スー・イエミン。英語の実況だとそう聞こえるから検索したけど、出てこない。日本ではスー・イーミンになっているようで、スー・イーミンで検索したら謎でなくなった。
 スピードスケート女子1500mは最後の所だけテレビで見た。パンダ達磨を見るのはこれが三回目。まあ、今回の優勝者を見ると、高木美帆さんも八年後の札幌で世界新&金メダルだな。
 夜のスキージャンプ混合団体決勝は、何が起こったのか全く分からない。そのあともドイツ、ノルウェーと、何かロシアの上にいる国が消えて行く。まあ、日本は失格者を出した国の中では一番だったが。
 でもいいのかな、親中国でウクライナにも消極的だったドイツを怒らせて。銅メダルで我慢しておいた方が良かったんじゃないかな。バッハも背中に気をつけた方がいい。
 ショートトラック男子1000mでも疑惑の失格があったし、今までわりかしまともにやっていると思ったら、一気に仕掛けてきたな。

 それでは「美しき」の巻の続き。

 十三句目。

   酒の半に膳もちてたつ
 幾年を順礼もせず口おしき    松芳

 飲んだくれ爺さんであろう。隠居の身でも酒ばっかり飲んでて外に出ようとしないから、家族もあきれている。
 十四句目。

   幾年を順礼もせず口おしき
 よまで双紙の絵を先にみる    舟泉

 前句を無精者として、こういう人は読みやすい仮名草子本すら読まずに挿絵だけ見る。天和版の『竹齋』は四回めくると一回は見開きの大きな挿絵が入っている。
 十五句目。

   よまで双紙の絵を先にみる
 なに事もうちしめりたる花の貌  荷兮

 「うちしめる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「打湿」の解説」に、

 「① 物が水気を帯びる。水気を含んでしっとりする。
  ※源氏(1001‐14頃)宿木「露にうちしめり給へる薫り」
  ② (物事の勢いがしずまる意から) 静かになる。落ち着いた雰囲気である。
  ※源氏(1001‐14頃)蛍「うちしめりたる宮の御けはひも、いと艷なり」
  ③ (気持が沈む意から) 物思いにしずむ。しんみりする。気がめいる。
  ※源氏(1001‐14頃)藤裏葉「宰相も、あはれなる夕のけしきに、いとどうちしめりて」

とある。③の意味で恋に転じる。前句を草子にも集中できず、心ここにあらずとする。
 花の貌は比喩で、今日でも「花のかんばせ」という言葉が残っているが、「花の顔」は比喩ではなく、花の咲いている様子を表すこともある。
 十六句目。

   なに事もうちしめりたる花の貌
 月のおぼろや飛鳥井の君     冬文

 飛鳥井の君は『狭衣物語』の登場人物。狭衣の浮気相手で捨てられて自殺する。
 花に飛鳥井は、

 あすか井の春の心は知らねども
     宿りしぬべき花の蔭かな
              藤原為実(風雅集)

の縁もある。
 十七句目。

   月のおぼろや飛鳥井の君
 灯に手をおほひつつ春の風    舟泉

 『狭衣物語』を三句に渡らすことはできないので、ここは歌枕の「飛鳥井」で見かけた君か、飛鳥井家の君ということにした逃げ句になる。
 飛鳥井はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「飛鳥井」の解説」に、

 「[一] 奈良県明日香村、飛鳥坐(あすかにいます)神社の前にある井戸。
  [二] 京都市中京区二条、柳馬場(やなぎのばんば)通あたりにあった万里小路(までのこうじ)の井戸。
  [三] 催馬楽の、律の歌の曲名。「楽家録‐巻之六・催馬楽歌字」に「あすかゐに、やどりはすべしあけ」の歌い出しで所収。

とある。
 歌枕は京都の飛鳥井で、飛鳥井家の屋敷もここにあった。今は白峯神宮になっているが、幕末の創建で、この頃にはまだなかった。
 月の朧は薄暗いから灯火を灯すが、それが春風に吹き消されないように手で覆う。
 十八句目。

   灯に手をおほひつつ春の風
 数珠くりかけて脇息のうへ    松芳

 吹き込んできた春風に灯火が消えかかったので、慌てて持っていた数珠を脇息の上に置いて、灯火を手で覆う。
 二表、十九句目。

   数珠くりかけて脇息のうへ
 隆辰も入歯に声のしはがるる   冬文

 隆辰は隆達節のことか。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「隆達節」の解説」に、

 「近世初期の流行歌謡。隆達小歌あるいは単に隆達ともいう。創始者の高三(たかさぶ)隆達(1527―1611)は泉州堺(さかい)の薬種商の末子に生まれ、日蓮(にちれん)宗顕本寺の僧となったが、兄隆徳の没後還俗(げんぞく)した。生来器用な彼は、連歌(れんが)、音曲、書画などに才能を表し、自ら小歌を作詞してこれを歌い、名声を得た。この隆達節がもっとも流行したのは文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)期(1592~1615)で、その後、元禄(げんろく)・宝永(ほうえい)期(1688~1711)ごろまでは流行し続けた。
 曲節は現存しないが、おそらく先行する数種の音曲を折衷し、そこに彼独自の節回しを加えたものと思われる。伴奏には主として扇拍子や一節切(ひとよぎり)、小鼓などが用いられた。自筆、他筆を含めて500首以上の歌詞が現存するが、すべてが隆達の作というわけではない。内容の70%以上は恋歌で、詞型は7575の半今様(はんいまよう)型がもっとも多く、近世小歌調の七七七五調はきわめて少ない。その意味で、隆達節は中世歌謡から近世歌謡への過渡的小歌として、歴史上重要視されている。[千葉潤之介]」

とある。
 元禄・宝永の頃まで流行したとはいうが、ピークが文禄・慶長だから、『阿羅野』の頃には爺さんのものというイメージがあったのだろう。
 ニ十句目。

   隆辰も入歯に声のしはがるる
 十日のきくのおしき事也     荷兮

 九月九日の重陽には菊がもてはやされるが、十日になると見向きもされない。前句の流達節の老人を十日の菊の喩える。
 二十一句目。

   十日のきくのおしき事也
 山里の秋めづらしと生鰯     松芳

 昔は鮮魚の輸送が難しかったので、山里で生鰯は珍しい。秋から冬にかけては鰯の旬だけに、重陽に間に合わなかったのは勿体ない。
 二十二句目。

   山里の秋めづらしと生鰯
 長持かふてかへるややさむ    舟泉

 長持は衣類や寝具などを入れる大きな木箱で、山里の生鰯は長持に詰めた古着くらいの価値がある、ということか。まあそんな金もないから、イワシはあきらめて衣類を買って帰る。
 二十三句目。

   長持かふてかへるややさむ
 ざぶざぶとながれを渡る月の影  荷兮

 長持ちを買って帰る時の光景とする。大きいから二人がかりで竿に掛けて運び、濡らさないようにして川を渡る。
 二十四句目。

   ざぶざぶとながれを渡る月の影
 馬のとをれば馬のいななく    冬文

 夜討に向かう馬だろうか。馬がいなないたら不意打ちにはならないが。

0 件のコメント:

コメントを投稿