2022年2月16日水曜日

 昨日のオリンピックのネット観戦はまず午前中はスノーボード女子ビッグエア決勝で、みんなよくやった。男子ビッグエア決勝は大塚さんナイスチャレンジだね。インタビューで「おさえたりとかして、なにか四位で終わったりとか絶対やだし」と言ってたのは笑った。でも、やっぱ凄かったのはスー・イエミン。
 スノーボードビッグエアの会場の後に見えた巨大な煙突のようなものは、海外だと原発の冷却塔に見えるらしい。日本の原発にはあの形の冷却塔はないんじゃないかと思う。福島の映像見ても、建屋があるだけで、冷却塔がない。事故後に処理水を溜めるタンクは建ったが。
 北京のは製鉄所の冷却塔だというが、これも日本の製鉄所にはないんじゃないかと思う。
 熱を持った冷却水がそのまま川に流れるのを防ぐための施設だという。製鉄所も原発も、日本では海辺にあるため、冷却水は熱を持ったまま海に流されているからだという。
 三回目ワクチン接種の方は二月十五日公表で二月十四日比1,133,827回。一日百万回を突破した。実効再生産数も1を切っている。
 あとまあ、あまりコロナが明けたらなんて言っていると、核戦争で人類滅亡のフラグだなんてなりそうだから、しばらく言わないようにしようかな。
 それと、次の更新は十七日の夕方になります。

 それでは「酒の衛士」の巻の続き。

 十三句目。

   風詠一首鹿の角にゆふ
 萩の染飯蕣のつとに狩昏て

 「つと」は「日大衣」を縦に並べたような文字で記され、「ツト」とルビがある。苞(つと)のことだと思う。
 「染飯(そめいひ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「染飯」の解説」に、

 「〘名〙 くちなしで黄色に染めた強飯(こわめし)。江戸時代、旧東海道藤枝・島田間の小駅、瀬戸(静岡県藤枝市瀬戸)の名物であった。せとのそめいい。」

とある。萩の染飯なるものがあったのかどうかはわからない。
 「つと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「苞・苞苴」の解説」に、

 「① わらなどを束ねて、その中に魚・果実などの食品を包んだもの。わらづと。あらまき。
  ※万葉(8C後)一六・三八六八「沖行くや赤ら小船に裹(つと)遣らばけだし人見て開き見むかも」
  ② 他の場所に携えてゆき、また、旅先や出先などから携えて帰り、人に贈ったりなどするみやげもの。
  ※万葉(8C後)二〇・四四七一「消(け)残りの雪にあへ照るあしひきの山橘を都刀(ツト)に摘み来な」
  ③ 旅行に携えてゆく、食糧などを入れた包み物。あらかじめ準備して持ってゆくもの。
  ※一言芳談(1297‐1350頃)下「なむあみだ仏なむあみだ仏と申て候は、決定往生のつととおぼえて候なり」

とある。
 前句の鹿の角を狩りの成果とし、鹿を倒し、その角に和歌一首と萩の染飯を朝顔の蔓で包んだ苞を添える。
 十四句目。

   萩の染飯蕣のつとに狩昏て
 人-油の哀れ烟る野の露

 「人-油の哀れ」は火葬であろう。人油は人の油で、地獄で鬼に搾り取られる。前句の狩で殺生の罪から地獄に落ちる。萩の染飯を蕣のつとににして、霊前に供える。
 植物油は圧搾絞りだが、動物油は釜茹でにする。人油も地獄で釜茹でにされて搾り取られるのだろう。
 十五句目。

   人-油の哀れ烟る野の露
 月は瀬々紙漉川に影ヲかる

 紙漉川は伊勢の鳥羽にあるが、別に歌枕でもないので、単に紙を漉く川のことか。紙漉きに使えるような水の澄んだ川ということだろう。
 澄んだ川に映る澄んだ月は、合戦の跡などのこの世の地獄に落ちた人を照らしている。真如の月といっていい。
 十六句目。

   月は瀬々紙漉川に影ヲかる
 盥に乗ル子浅游せよ

 游には「をよぎ」とルビがある。浅い所で泳ぐ、ということ。
 紙漉きのための水汲みをさせられている子供が、隙を見ては盥に乗って遊んでいる。仕事に追われる子供を不憫に思い、世の普通の子供がするみたいに泳いで遊んだらどうか、と呟く。
 十七句目。

   盥に乗ル子浅游せよ
 鯨切ル汀は蜑の呼声や

 鯨が捕らえられて岸に上げられると、その解体作業は村中総出で行わなくてはならない。 子供の手も借りたいから、盥で遊んでいる子供に泳いですぐに来るように言う。
 十八句目。

   鯨切ル汀は蜑の呼声や
 太布衣の朽まさりけり行袂

 太布(たふ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「太布」の解説」に、

 「〘名〙 布の一種。シナノキ、コウゾ、カジノキなどの樹皮の繊維をつむいで織った布。手ざわりがあらくごつごつした布。《季・夏》
  ※類従本賀茂女集(993‐998頃)「雪にあはぬ鳥は、雪をよきたふと思へり」

とある。粗妙(あらたへ)とも呼ばれる。

 荒栲の藤江の浦に鱸釣る
     蜑とか見らむ旅行くわれを
              柿本人麻呂(夫木抄)

を本歌としたもので、藤江は明石にある。明石の流刑のイメージは在原行平よりもかなり前からあったのだろう。
 辛い流刑に粗末な太布も朽ちて行き、蜑と間違えられたか、鯨切る作業が行われていると、早く来いと呼ばれる。
 二表、十九句目。

   太布衣の朽まさりけり行袂
 床机振リ祭俤のあぢきなく

 床机は「しょうぎ」、祭俤は「まつりをもかげ」とルビかある。
 「しょうぎ振り」というのは振り将棋のことか。おそらく博奕などで、すぐに勝負の着くやり方だったのだろう。
 前句を博徒として、祭の喧騒を余所に身ぐるみはがされ、みすぼらしい姿で出て行く。中世だったら烏帽子だけ被ったすっぽんぽんの姿になったのだろうけど、そこは江戸時代、大丈夫です、ちゃんと着てますよ。
 二十句目。

   床机振リ祭俤のあぢきなく
 伽羅吹く翠簾の命凉しき

 翠簾は「みす」とルビがある。
 王朝時代というと碁が盛んだったが、将棋もあるにはあったようだ。ウィキペディアに、

 「将棋の存在を知る文献資料として最古のものに、南北朝時代に著された『麒麟抄』があり、この第7巻には駒の字の書き方が記されているが、この記述は後世に付け足されたものであるという考え方が主流である。藤原明衡(ふじわらのあきひら)の著とされる『新猿楽記』(1058年 - 1064年)にも将棋に関する記述があり、こちらが最古の文献資料と見なされている。
 考古資料として最古のものは、奈良県の興福寺境内から発掘された駒16点[29]で、同時に天喜6年(1058年)と書かれた木簡が出土したことから、その時代のものであると考えられている。この当時の駒は、木簡を切って作られ、直接その上に文字を書いたとみられる簡素なものであるが、すでに現在の駒と同じ五角形をしていた。また、前述の『新猿楽記』の記述と同時期のものであり、文献上でも裏づけが取られている。」

とある。
 ただ、ここは腰掛の「床几」の方だろう。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「床几」の解説」に、

 「腰掛の一種。
 (1)宮廷調度では古く床子(しょうじ)といって、四脚付きの机のような形をし、上面は簀子(すのこ)(桟を張ったもの)からなり、高麗端(こうらいはし)、菅円座(すげえんざ)を敷く。大小によって大床几・小床几といい、塗装の有無によって漆床几、白木床几とよばれた。奈良時代の遺例として正倉院に2基あり、長さ233センチメートル、幅120センチメートル、高さ40センチメートルで、これは『東大寺献物帳』によって、胡粉(ごふん)を塗り、簀子の台上に黒地錦(にしき)端の畳を敷き、褐色地の錦の敷きぶとんと袷(あわせ)の掛けぶとんで2枚をあわせた大きさであることがわかり、寝台とみなされる。
 (2)武家の間では、野外の軍陣で帷幕(いばく)のうちの主将の腰掛として用いるが、これは折り畳みのできる胡床(あぐら)の類である。[郷家忠臣]」

とある。
 句の方は賀茂の祭りを見物するときに用いたのであろう。暑さで早々に引き上げて、部屋で伽羅焚いて、御簾の内で涼む。
 二十一句目。

   伽羅吹く翠簾の命凉しき
 御廊下に蛍の禿小夜過て

 禿は字数からすると「かむろ」だろう。「はげ」ではあるまい。元は女児のおかっぱ頭のことだったが、江戸時代では遊女の見習いの少女を意味する。
 場面を遊郭に転じて、太夫の涼みとする。
 二十二句目

   御廊下に蛍の禿小夜過て
 首とりひしぐ西瓜怪物

 怪物は「ばけもの」とルビがある。
 禿が西瓜を落としたんだろう。赤い汁や実が飛び散って、まるで化物の首を落としたみたいだ。
 二十三句目。

   首とりひしぐ西瓜怪物
 唐秬の赤熊ヲ分る角薄

 唐秬(たうきび)はコウリャンのこと。赤熊(しゃぐま)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「赤熊・赭熊」の解説」に、

 「① 赤く染めた白熊(はぐま)(=ウシ科の動物ヤクの尾の毛)。払子(ほっす)、かぶりもの、かつらを作り、旗、槍、兜(かぶと)の装飾に用いる。〔文明本節用集(室町中)〕
   ※歌舞伎・昔噺額面戯(額抜け)(1879)「跡より猩々(しょうじょう)短き赭熊(シャグマ)の鬘、青海波の単衣、兵児帯にて駒下駄はき」
 ② (転じて) 赤い毛髪をいう。赤毛。また、赤ちゃけた髪。
  ※浄瑠璃・薩摩歌(1711頃)中「頭はしゃぐま、猫背中、鳩胸に顔は猿、まちっとで鵺(ぬえ)になる」
  ③ (もと①に似た赤毛を用いたところから) 縮れ毛で作った入れ毛。おもに、日本髪などを結うときにふくらませる部分に入れる。
 ※俳諧・洛陽集(1680)下「杉立(すぎたち)や赤熊(シャグマ)懸たる下紅葉〈我鴎〉」
  ④ 「しゃぐままげ(赤熊髷)」の略。」

とある。
 コウリャンの穂は褐色で染物にも用いられる。それを赤熊に見立てて、その間からススキが角ぐむ(尖った芽を出す)。
 ススキの芽の緑の上にコウリャンが赤く実っている様が、遠くから見ると割れた西瓜のように見える。
 二十四句目。

   唐秬の赤熊ヲ分る角薄
 砧の皷笛おほせ鳥

 いなおほせ鳥というのは古今三鳥の一つされる謎の鳥で、延宝九年『俳諧次韻』に、

 春澄にとへ稲負鳥といへるあり  其角

の句がある。ここではそれをもじって笛おほせ鳥とする。笛のような声を出すのだろう。
 砧の音を鼓(つづみ)として、それを伴奏に鳥が笛を吹く。唐黍の収穫の頃の秋の情景とする。

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