2022年2月12日土曜日

 昨日のオリンピックはまずスノーボード男子ハーフパイプ決勝で、これはもう言うこと無しだね。
 こういう競技の良い所は、転倒したっていいじゃないか、思い切って飛べ、という所ではないかと思う。
 ノーミスを良しとするのではない。とにかく突き抜けたようにかっこよく飛んで、結果的にミスがなかったというのを良しとする。それがないと得点が伸びない。二回目と三回目の差はそこだったと思う。
 なんかジャンプとショートトラックの二つの不正を隠すためか、些細なジャッジを大袈裟に騒ぎ立てている人たちがいるが。多分高梨沙羅さんを叩いてる人たちって、去年池江璃花子さんを叩いていた人たちと同じ人たちなんではないかと思う。
 こうした人たちはきっとロシアのフィギュアに関しては寛大なんだろうな。スポーツで不正は当たり前→札幌オリンピックを阻止しよう、これだと思う。
 「終末のハーレム<無修正Ver.>」の方だが、六十年代のフェミニストなら「男が極端な貞操観念で女を縛り付けている」という批判をしてたかもな。
 あの頃はまだマルクス主義の原始乱婚制仮説が生きていたから、女性解放と性の解放が連動していたが、いまはクリスチャニズムに取って代わられてしまったか、一夫一婦の貞節の男性への厳格な適応を求める方向に向かい、中絶の問題でもトーンダウンしている。
 生物学的には人間は男女の性差から類推して、一夫二.五妻だという。テナガザルのような一夫一婦でもなく、ゴリラのような一夫多妻でもない中途半端なもので、チンパンジーのような多雄群のほうが説明できる。
 多雄群は複数の雄と複数の雌で群れを作ることをいうが、いわゆる乱婚ではない。むしろ一夫一婦と一夫多妻が流動的になるように、より大きな集団で調整している状態と言っていいだろう。人間の社会も基本的にこのタイプになる。
 一夫二.五妻というこの微妙なバランスだと、普通にカップリングすれば60パーセントの男があぶれることになる。そのため多数決で一夫多妻は否決される。死亡率の高い多産多死社会では成立するが(その60パーセントは戦死するか、寺で衆道に耽る)、少産少死の民主主義社会では不可能と言っていいだろう。
 とはいえ、女性の性的選択権はすべての男を満遍なく選んでくれるわけではない。その結果、多くのセックスレス夫婦を生むことになる。もっとも、これによって少産少死が維持されている側面もあるのかもしれないが。
 人権思想が生物学的基礎を持つべきなら、一夫二.五妻を受け入れたフェミニズムが必要なのかもしれない。
 話は変わるが、「美しき」の巻の六句目のところの前句が間違ってました。正しくは、

   秋草のとてもなき程咲みだれ
 弓ひきたくる勝相撲とて   舟泉

で、「花野の相撲は、芭蕉の『奥の細道』の旅の山中三吟第三に、

   花野みだるる山のまがりめ
 月よしと角力に袴踏ぬぎて    芭蕉

の句がある。」となります。
 まあ、転倒したっていいじゃないか、人間だもの。
 それと、鈴呂屋書庫に「遠浅や」の巻「美しき」の巻をアップしたのでよろしく。

 それではまた春の俳諧に戻り、『武蔵曲』(天和二年刊、千春撰)の天和調の俳諧を読んでみようと思う。
 藤匂子、千春、其角の三吟で、藤匂子は『元禄の鬼才 宝井其角』(田中善信著、二〇〇〇、新典社)に、

 「彼の名は『武蔵曲』ではすべて藤匂子(とういんし)と記されているが、『みなしぐり』では藤匂とも記されているから、「子」は敬称であろう。俳書においては身分の高い武士に「子」という敬称を付けるのが一般的であり、彼も高禄の武士であったとみて間違いなかろう。其角は大名と旗本(その世子を含む)の場合、「公」という敬称を用いているから、「子」の敬称で呼ばれている藤匂は、どこかの藩の高禄の藩士であった可能性が高い。残念ながら彼の素性はまったく分からないが、彼はこの時期其角のパトロンのような存在であったと考えて間違いないと思う。」

とある。
 それでは発句。

   三吟歌仙俳諧
 生船や桜雪散ル魚氷室      藤匂子

 生船は「いけふね」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「生船・生槽」の解説」に、

 「〘名〙 (「いけ」は生かす意の「いける」から。「いけぶね」とも)
  ① 魚類を生かしたままでたくわえておく水槽。また、その設備をもった生魚運搬船をいう。いけすぶね。
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)二「魚嶋時に限らず、生船(イケフネ)の鯛を何国(いづく)迄も無事に着(つけ)やう有」
  ② 金魚、緋鯉(ひごい)などを飼養する水槽。
  ※浮世草子・西鶴置土産(1693)二「金魚、銀魚を売ものあり。庭には生舟(イケフネ)七八十もならべて、溜水清く」
  ③ 豆腐を入れておく水槽。
  ※歌舞伎・船打込橋間白浪(鋳掛松)(1866)三幕「こりゃあ豆腐屋のいけ槽(ブネ)に干してあったのを持って来たのだ」

とある。水槽を摘んだ船のことだが、氷で冷蔵して運ぶ生船も存在してたのか。当時としてはかなり贅沢なものだっただろう。
 魚を冷やす氷が雪のようで、それを桜に喩えて春の発句とする。
 脇。

   生船や桜雪散ル魚氷室
 金涌の郡豊浦の春        千春

 「金涌」は「かねわき」で「金は湧き物」の略か。「鴨がネギ背負って」を「かもねぎ」というように。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「金は湧き物」の解説」に、

 「金銭は思いがけなく手にはいることもあるから、くよくよすることもない。金銀は湧き物。宝は湧き物。
  ※俳諧・飛梅千句(1679)賦何三字中畧俳諧「異見なくとも養子はかやしゃれ〈西長〉 それほどのかねはわき物山は水〈西鶴〉」

とある。
 豊浦は豊浦藩のことか。あるいは単に豊かな浦ということで作った地名か。豊浦藩の方は、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「豊浦藩」の解説」に、

 「長州藩(萩(はぎ)藩)支藩の一つ。長府(ちょうふ)藩、府中藩ともいう。長門(ながと)国(山口県)西端、豊浦郡の大部分を藩域とする。居館は長府(下関(しものせき)市長府)に置かれた。1600年(慶長5)毛利輝元(もうりてるもと)は防長移封にあたり、従兄弟(いとこ)で養子とした毛利秀元(ひでもと)に、豊浦郡3万6200石の地を分与したのがその起源である。‥‥略‥‥豊浦藩の石高は幕府朱印状によらないので公称高はないが、1610年(慶長15)検地で5万8000余石、1625年(寛永2)検地で8万3000余石、1854年(安政1)ごろの幕末期には12万7000余石に達した。」

とある。日本海側にある。
 同じ山口県に仲哀天皇の豊浦宮が下関にあった。いずれにせよ、ここでは長州の豊浦を指すのかどうかはよくわからない。単に、氷温冷蔵の舟で魚を運んで豊かになった浦がある、という意味に取っておいた方がいいかもしれない。
 「郡」は「こほり」と読むなら前句の「氷室」に係り、金の湧いてくる氷という二重の意味になる。
 第三。

   金涌の郡豊浦の春
 新芝居宣してうつしけん     其角

 「新芝居」は「はつしばゐ」で正月の芝居。
 「宣して」は「みことのりして」とルビがある。天皇による法令ほどの拘束力を持たない発言を意味するが、ここでは神の言葉をうかがう占いのことかもしれない。
 「うつす」は移すで、芝居小屋が移動してゆくことか。その土地土地で興行を行うときは、そこの神様にお祈りしたのであろう。
 芝居もまた、当たれば巨万の富を手にできる「金涌」だ。
 四句目。

   新芝居宣してうつしけん
 検-非-使の族喧-嘩預ル      藤匂子

 検非違使(けんびし)が喧嘩を仲裁する。族は「ぞく」とも「やから」とも取れる。一族、血縁のことで、検非違使の族が喧嘩を預かる。
 五句目。

   検-非-使の族喧-嘩預ル
 何者か軽口申たる月に      千春

 軽口はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「軽口」の解説」に、

 「① (形動) 口が軽く、軽率に何でもしゃべってしまうこと。また、そのさま。おしゃべり。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Carucuchina(カルクチナ) ヒト」
  ② (形動) 語調が軽快で、滑稽めいて面白みのあること。また、そうしたことばや話。
  ※評判記・吉原讚嘲記時之大鞁(1667か)ときのたいこ「竹こまのかる口たたけど」
  ③ 秀句、地口、口合(くちあい)の類。軽妙なしゃれ。軽口咄(かるくちばなし)。
  ※咄本・百物語(1659)上「入口のがくにあげし語、おどけたるかる口なりければ、書とめかへりし」
  ④ 役者の声色や身振りをまね、滑稽な話をして人々を笑わせること。また、それを業とする大道芸人。豆蔵。かるくちものまね。〔随筆・守貞漫稿(1837‐53)〕
  ⑤ 淡泊な味。口あたりのよい味。
  ※咄本・口拍子(1773)かの子餠「買て味わふて見た処が、しごく軽口(カルクチ)さ」

とある。談林俳諧もまた軽口俳諧と言われた。
 月見の宴で軽口を叩いて喧嘩が起きた、とする。
 六句目。

   何者か軽口申たる月に
 芋ぬす人の夕くれしを      其角

 字数からすると「夕(ゆふべ)くれしを」であろう。
 中秋の名月は芋名月とも呼ばれ、月に芋は付け合いになる。
 誰かが軽口に、この芋を持ってっていいよ、と言ったのだろう。くれたのだと思ったら盗人にされた。「もってけ泥棒」なんて言葉もあるが。
 初裏、七句目。

   芋ぬす人の夕くれしを
 鑓疵の茄子に残る暴風哉     藤匂子

 暴風は「のわき」とルビがある。台風の風で茄子が枝か棹にぶつかり鑓疵のようになる。
 八句目。

   鑓疵の茄子に残る暴風哉
 日怒雨からすらむ        千春

 「日怒」は「かがやくいかり」とルビがある。
 暴風で茄子に傷がついたことに怒った太陽が、こんどは日照りを起こす。
 九句目。

   日怒雨からすらむ
 夏犬の身をもゆるげに舌垂レて  其角

 犬は暑いとハアハア息をして体温を調整するが、その時に舌を出したりする。前句の日照りに犬も苦しそうだ。
 十句目。

   夏犬の身をもゆるげに舌垂レて
 此娘うかうかとやつるる     藤匂子

 「うかうか」は「うかと」から来た言葉で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「うかと」の解説に、

 「〘副〙 しっかりした考えがないさま。気づかないさま。不注意に。うかうか。うっかりと。ぼんやりと。
  ※応永本論語抄(1420)微子「子路辞なうしてうかと立て居たり」
  ※古活字本荘子抄(1620頃)六「精神がうかとして物を忘るる方あり」

とある。
 犬の暑さに衰えている様に、恋にやつれた女の姿を重ねる。
 十一句目。

   此娘うかうかとやつるる
 夜ルと夜ル関もる伯父を恨みけり 千春

 「関もる」は比喩で、古歌に出て来る須磨の関守みたいに、伯父があの人が来ないように見張っている。
 十二句目。

   夜ルと夜ル関もる伯父を恨みけり
 東路や。知恵習にやる      其角

 習は「ならはし」とルビがある。注釈のような文体で、前句の関は東路の関で、伯父への恨みは知恵(迷いを断つ力)でもって慣れるべきと解説する。

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