今日もオリンピックのネット観戦をした。スノーボード女子スロープスタイル予選は村瀬さんは安定していて流れるようで、上手いというよりも美しい。岩渕さんも予選通過。スキージャンプ男子ノーマルヒル予選は小林陵侑さんが四位に入った。
昨日の続きだが、結局前にも言ったことがあるけど、人権思想を救うには、生物学的基礎の上にしっかりと乗せるしかないと思う。
いくら頭の中で観念をこねくり回しても、その思考が様々な感情や欲望の海の上にあるのだから、闇の中を漂う小舟にすぎない。そのうち怒りや復讐心に憑りつかれて、文字通り「闇落ち」するのが落ちだ。
それでは「遠浅や」の巻の続き。
十三句目。
湯殿まいりのもめむたつ也
涼しやと筵もてくる川の端 野水
湯殿山への旅なら最上川だろうか。
五月雨をあつめて凉し最上川 芭蕉
の句は、この時はまだ詠まれていない。
十四句目。
涼しやと筵もてくる川の端
たらかされしや彳る月 荷兮
「たらかす」は「たぶらかす」の略。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「誑かす」の解説」に、
「〘他サ五(四)〙 (「かす」は接尾語) 誘惑して本心を失わせる。甘言でだます。また、色じかけでだます。たぶらかす。だます。すかす。たらす。
※俳諧・曠野(1689)員外「涼しやと莚もてくる川の端〈野水〉 たらかされしや彳る月〈荷兮〉」
とある。「彳る」は「たたずめる」。
川で筏を浮かべて夕涼みをしていると、遅れてきたかのように月が昇る。「よう、遅かったじゃないか、違う場所を教えらのか」という感じで、友たちが遅れてきたかのような言い回しだ。
十五句目。
たらかされしや彳る月
秋風に女車の髭おとこ 亀洞
女車はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「女車」の解説」に、
「〘名〙 女房が外出の際乗る牛車(ぎっしゃ)。簾(すだれ)の下から下簾の裾を垂らす。⇔男車。
※伊勢物語(10C前)三九「その宮の隣なりけるをとこ、御葬(はぶり)見むとて、女ぐるまにあひ乗りて」
とある。
女車というと王朝時代で、髭男というと『源氏物語』の髭黒大将であろう。ただ、髭黒大将がどうやって玉鬘と関係を持ったかは、詳しいことは書かれていない。想像で、女車に乗って忍んできたとしたか。
十六句目。
秋風に女車の髭おとこ
袖ぞ露けき嵯峨の法輪 釣雪
小督の局を探しに来た仲国としたか。謡曲では馬に乗っているが。
「月にやあくがれ出で給ふと、法輪に参れば、琴こそ聞こえ来にけれ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.65852-65855). Yamatouta e books. Kindle 版. )
とある。
宝輪寺は嵯峨の渡月橋を渡ったところにある。芭蕉の『嵯峨日記』には、
「大井川前に流て、嵐山右ニ高く、松の尾里につづけり。虚空蔵に詣ル人往かひ多し。松尾の竹の中に小督屋敷と云有。」
とある「虚空蔵」が虚空蔵宝輪寺を表す。小督屋敷もこの近くとされていた。
十七句目。
袖ぞ露けき嵯峨の法輪
時々にものさへくはぬ花の春 昌碧
「ものさへくはぬ」も恋を仄めかす。恋に破れて尼になった身を歎いて袖を濡らす。
十八句目。
時々にものさへくはぬ花の春
八重山吹ははたちなるべし 野水
山吹は桜より後に咲くということで、遅咲きの女の喩えとして「八重山吹」を出す。十五で嫁に行くのが普通の時代に二十歳は行き後れ。
七重八重花は咲けども山吹の
みのひとつだになきぞあやしき
兼明親王(後拾遺集)
のように、実りのない恋ということか。
この歌は太田道灌の話としてよく知られているが。
二表、十九句目。
八重山吹ははたちなるべし
日のいでやけふは何せん暖かに 舟泉
山吹の咲く晩春は暖かく、日の出も早い。前句の「はたち」を畑地に取り成し、田舎のスローライフとしたか。
二十句目。
日のいでやけふは何せん暖かに
心やすげに土もらふなり 亀洞
土を盛るということか。家か庭の造成だろう。
二十一句目。
心やすげに土もらふなり
向まで突やるほどの小ぶねにて 荷兮
小船で運んできた土を貰う。堤防を作るのか。
ちょっと押してやればすぐ向こう岸に着く程の小さな川であろう。
二十二句目。
向まで突やるほどの小ぶねにて
垢離かく人の着ものの番 昌碧
「垢離かく」は垢離の行をして、身を清めること。垢離はウィキペディアに、
「神や仏に祈願したり神社仏閣に参詣する際に、冷水を被り、自身が犯した大小様々な罪や穢れを洗い落とし、心身を清浄にすることである。
神道でいう禊と同じであるが、仏教では主に修験道を中心に、禊ではなく水垢離などと呼ばれ、行われることがある。」
とある。
川で水垢離をしている間、船の上で脱いだ着物の番をする人がいる。
二十三句目。
垢離かく人の着ものの番
配所にて干魚の加減覚えつつ 釣雪
偉い人の流刑で、お付の者が干魚の作り方を覚えたり、垢離の間の着物の番をしたりする。
頼朝、後鳥羽院、日蓮など流刑になった有名人は多いが。
二十四句目。
配所にて干魚の加減覚えつつ
歌うたふたる声のほそぼそ 舟泉
歌で流刑と言うと、やはり後鳥羽院か。
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