2022年2月5日土曜日

 今日もオリンピックのネット観戦をした。スノーボード女子スロープスタイル予選は村瀬さんは安定していて流れるようで、上手いというよりも美しい。岩渕さんも予選通過。スキージャンプ男子ノーマルヒル予選は小林陵侑さんが四位に入った。
 昨日の続きだが、結局前にも言ったことがあるけど、人権思想を救うには、生物学的基礎の上にしっかりと乗せるしかないと思う。
 いくら頭の中で観念をこねくり回しても、その思考が様々な感情や欲望の海の上にあるのだから、闇の中を漂う小舟にすぎない。そのうち怒りや復讐心に憑りつかれて、文字通り「闇落ち」するのが落ちだ。

 それでは「遠浅や」の巻の続き。

 十三句目。

   湯殿まいりのもめむたつ也
 涼しやと筵もてくる川の端    野水

 湯殿山への旅なら最上川だろうか。

 五月雨をあつめて凉し最上川   芭蕉

の句は、この時はまだ詠まれていない。
 十四句目。

   涼しやと筵もてくる川の端
 たらかされしや彳る月      荷兮

 「たらかす」は「たぶらかす」の略。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「誑かす」の解説」に、

 「〘他サ五(四)〙 (「かす」は接尾語) 誘惑して本心を失わせる。甘言でだます。また、色じかけでだます。たぶらかす。だます。すかす。たらす。
  ※俳諧・曠野(1689)員外「涼しやと莚もてくる川の端〈野水〉 たらかされしや彳る月〈荷兮〉」

とある。「彳る」は「たたずめる」。
 川で筏を浮かべて夕涼みをしていると、遅れてきたかのように月が昇る。「よう、遅かったじゃないか、違う場所を教えらのか」という感じで、友たちが遅れてきたかのような言い回しだ。
 十五句目。

   たらかされしや彳る月
 秋風に女車の髭おとこ      亀洞

 女車はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「女車」の解説」に、

 「〘名〙 女房が外出の際乗る牛車(ぎっしゃ)。簾(すだれ)の下から下簾の裾を垂らす。⇔男車。
  ※伊勢物語(10C前)三九「その宮の隣なりけるをとこ、御葬(はぶり)見むとて、女ぐるまにあひ乗りて」

とある。
 女車というと王朝時代で、髭男というと『源氏物語』の髭黒大将であろう。ただ、髭黒大将がどうやって玉鬘と関係を持ったかは、詳しいことは書かれていない。想像で、女車に乗って忍んできたとしたか。
 十六句目。

   秋風に女車の髭おとこ
 袖ぞ露けき嵯峨の法輪      釣雪

 小督の局を探しに来た仲国としたか。謡曲では馬に乗っているが。
 「月にやあくがれ出で給ふと、法輪に参れば、琴こそ聞こえ来にけれ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.65852-65855). Yamatouta e books. Kindle 版. )
とある。
 宝輪寺は嵯峨の渡月橋を渡ったところにある。芭蕉の『嵯峨日記』には、

 「大井川前に流て、嵐山右ニ高く、松の尾里につづけり。虚空蔵に詣ル人往かひ多し。松尾の竹の中に小督屋敷と云有。」

とある「虚空蔵」が虚空蔵宝輪寺を表す。小督屋敷もこの近くとされていた。
 十七句目。

   袖ぞ露けき嵯峨の法輪
 時々にものさへくはぬ花の春   昌碧

 「ものさへくはぬ」も恋を仄めかす。恋に破れて尼になった身を歎いて袖を濡らす。
 十八句目。

   時々にものさへくはぬ花の春
 八重山吹ははたちなるべし    野水

 山吹は桜より後に咲くということで、遅咲きの女の喩えとして「八重山吹」を出す。十五で嫁に行くのが普通の時代に二十歳は行き後れ。

 七重八重花は咲けども山吹の
     みのひとつだになきぞあやしき
              兼明親王(後拾遺集)

のように、実りのない恋ということか。
 この歌は太田道灌の話としてよく知られているが。
 二表、十九句目。

   八重山吹ははたちなるべし
 日のいでやけふは何せん暖かに  舟泉

 山吹の咲く晩春は暖かく、日の出も早い。前句の「はたち」を畑地に取り成し、田舎のスローライフとしたか。
 二十句目。

   日のいでやけふは何せん暖かに
 心やすげに土もらふなり     亀洞

 土を盛るということか。家か庭の造成だろう。
 二十一句目。

   心やすげに土もらふなり
 向まで突やるほどの小ぶねにて  荷兮

 小船で運んできた土を貰う。堤防を作るのか。
 ちょっと押してやればすぐ向こう岸に着く程の小さな川であろう。
 二十二句目。

   向まで突やるほどの小ぶねにて
 垢離かく人の着ものの番     昌碧

 「垢離かく」は垢離の行をして、身を清めること。垢離はウィキペディアに、

 「神や仏に祈願したり神社仏閣に参詣する際に、冷水を被り、自身が犯した大小様々な罪や穢れを洗い落とし、心身を清浄にすることである。
 神道でいう禊と同じであるが、仏教では主に修験道を中心に、禊ではなく水垢離などと呼ばれ、行われることがある。」

とある。
 川で水垢離をしている間、船の上で脱いだ着物の番をする人がいる。
 二十三句目。

   垢離かく人の着ものの番
 配所にて干魚の加減覚えつつ   釣雪

 偉い人の流刑で、お付の者が干魚の作り方を覚えたり、垢離の間の着物の番をしたりする。
 頼朝、後鳥羽院、日蓮など流刑になった有名人は多いが。
 二十四句目。

   配所にて干魚の加減覚えつつ
 歌うたふたる声のほそぼそ    舟泉

 歌で流刑と言うと、やはり後鳥羽院か。

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