昨日の朝、まずその疑惑のショートトラック男子1000mを見る所から始めた。元から接触転倒の多い種目だが、偶発的な接触をうまく利用して中国選手を残していったな。
準決勝は黄大憲が転倒なしで謎の失格。Why he'd gone?もう一試合の判定も変で、意図的に韓国人を追い出したか。
決勝戦は突然試合が止まる。スタートからやり直しでぎりぎりで競り勝ったハンガリーのシャオリンサンドル・リュウがまたしても謎の失格。これが北京オリンピックだ。
それにしてもネットでモモンガモモンガとモモン様を冒涜している奴、慈悲深き純白の悪魔が黙ってないな。あと、日本のコーチ陣も非を認めるようなコメントしてないで戦えよ。日独同盟復活だ。まともな競技運営ができないなら、途中からボイコットもありだ。
大体野球なんかだと変な判定があれば監督が血相変えて飛び出していって、退場覚悟で大声で抗議するものだ。選手を守らずに自分の立場を守ろうとするコーチは早く首にしろ。
フィギュアスケート男子ショートプログラムはあの二つを見た後だと平穏だった。
羽生さんは最初の四回転を逃した以外は完璧だった。八位だったけど、エアが失敗した時の減点に比べれば優しいもんかもしれない。
鍵山さんはきれっきれで優雅な羽生さんとはまた違う良さがある。次の世代も安心だ。
夕方から夜はアイスホッケー女子の日本・チェコ戦で、今日はshootoutで勝った。
それでは「美しき」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
馬のとをれば馬のいななく
さびしさは垂井の宿の冬の雨 舟泉
垂井宿は中山道の宿場で、近江から美濃へ関が原を越えると、関ヶ原の次になる。ここが大垣、岐阜、名古屋方面へ向かう美濃路との分岐点になっている。名古屋の連衆にはなじみのある場所だろう。
日本海側から吹き込んだ雪雲が琵琶湖方面にまで流れて来るので、関ヶ原の辺りは雪が多いが、垂井宿で雨に変わることも多かったのだろう。下京のようなポジションか。『猿蓑』の
下京や雪つむ上の夜の雨 凡兆
のヒントになったかもしれない。
さびしさは、これまで中山道をともにしてきた道連れの友とも別れる、という意味もあるのだろう。
二十六句目。
さびしさは垂井の宿の冬の雨
莚ふまへて蕎麦あふつみゆ 松芳
「あふつ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「煽」の解説」に、
「[1] 〘他タ四〙
① あおいで風を起こす。
※名語記(1275)八「あほつ如何 あなひろち(た)るの反」
② 火などをあおいで、その勢いを盛んにする。
※浮世草子・新御伽婢子(1683)二「ふすべよと言こそ遅けれ青松葉をたきて穴の中へあをち入るる」
③ 転じて、燃える気持などをあおり立てて、一層盛んにさせる。扇動する。
※虎明本狂言・鼻取相撲(室町末‐近世初)「きゃつはぢゃうごうがあおつ」
④ 両足で馬を蹴る。〔日葡辞書(1603‐04)〕
[2] 〘自タ四〙
① 風が吹き起こる。吹き舞う。また、風によって、物などが舞い上がる。
※浄瑠璃・本朝三国志(1719)四「あをつ火燵の灰煙、目口もくらみ気もくらみ」
② 風で、薄い物がばたばたと揺れ動く。また、風を起こすかのように、物がばたばたする。
※雑俳・銀土器(1716‐36)「風にゆらゆらあふつ暖簾」
③ 手足などをばたばた動かしてもだえる。また、じたばたする。〔日葡辞書(1603‐04)〕
④ あるものに熱中して、心がいらいらする。
※評判記・色道大鏡(1678)一四「郭中にかよふ内より、彼を我物にせんとあをちて貨財を費し」
⑤ 鳥が翼で飛翔(ひしょう)する、羽ばたく(日葡辞書(1603‐04))」
とある。問題は「蕎麦あふつ」がそばを作る際のどの過程を言うかだ。
蕎麦粉を麵にして食べる「蕎麦切り」は江戸時代になって広まったものだという。許六編『風俗文選』の雲鈴「蕎麦切ノ頌」に、
「蕎麦切といつは。もと信濃ノ国。本山宿より出て。あまねく国々にもてはやされける。されば宇治の茶あつて。同じく茶臼石に名高く。伊吹蕎麦。天下にかくれなければ。からみ大根。又此山を極上とさだむ。」
とある。本山宿は塩尻宿から木曽方面に二つ行ったところにある。
「伊吹蕎麦」は今の米原で、垂井宿にも近いので、垂井でも伊吹蕎麦が食べられたのだろう。辛味大根を下ろしたものを掛けて食べるおろし蕎麦が、この辺りの食べ方だったようだ。
当時の蕎麦は今の蒸篭蕎麦に似た蒸し蕎麦だった。それに大根おろしを掛けて食べることもあれば、延宝六年の「実や月」四句目に、
新蕎麦や三嶋がくれに田鶴鳴て
芦の葉こゆるたれ味噌の浪 卜尺
とあるように、たれ味噌で食べることもあったようだ。
延宝七年の「見渡せば」九十句目の、
鉢一ッ万民これを賞翫す
けんどむ蕎麦や山の端の雲 桃青
の句にある江戸のけんどん蕎麦も、浅い箱に並べて売っていたというから蒸し蕎麦であろう。
醤油が普及してくると醤油だれに付けてたべるようになり、それを面倒だからとお行儀悪くぶっかけて食べた所から、ぶっかけ蕎麦が生まれ、やがて今の掛けそばの形になって行ったという。
蕎麦を扇つというのは、蒸し上がった蕎麦を団扇で扇いで冷ましていたか。。
なお、「蕎麦切ノ頌」を書いた雲鈴という旅僧は、支考の『梟日記』の旅にも同行している。旅のガイドとして優秀だったのだろう。『風俗文選』「作者列伝」にも「風雅師東花坊」とあり、支考門だった。
二十七句目。
莚ふまへて蕎麦あふつみゆ
つくづくと錦着る身のうとましく 冬文
蕎麦切りは精進料理としてお寺で出すことも多かったが、江戸のけんどん蕎麦や街道で売っている蕎麦は庶民のもので、「錦着る身」が食うものではなかったのだろう。
二十八句目。
つくづくと錦着る身のうとましく
暁ふかく提婆品よむ 荷兮
提婆品(だいばぼん)は提婆達多品(だいばだったぼん)で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「提婆達多品」の解説」に、
「法華経二十八品中の第十二品。「妙法蓮華経」巻五の最初の品名。提婆達多や龍女の成仏を説くことにより、法華経の中でも功徳の勝れた一章として重視されている。提婆品。」
とある。提婆達多や龍女の成仏は悪人成仏、女人成仏の根拠ともされてきた。
前句の「錦着る身」を遊女として、出家への思いを深めて行く。
二十九句目。
暁ふかく提婆品よむ
けしの花とりなをす間に散にけり 松芳
芥子の花は散りやすく、『猿蓑』には、
ちる時の心やすさよけしの花 越人
の句もある。安らかな死と極楽往生を暗示させる。前句はお経をあげることになる。
三十句目。
けしの花とりなをす間に散にけり
味噌するをとの隣さはがし 舟泉
前句を普通に庭の芥子の花として、隣で味噌を磨る音がして騒がしいと、前句のしんみりとした雰囲気を、あえて卑俗に落とすことで気分を入れ替える。今でいうシリアス破壊ということか。
「味噌する」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「味噌を擂る」の解説」に、
「① まだ漉(こ)してない、粒のある味噌を、擂鉢(すりばち)に入れて擂粉木(すりこぎ)でする。また、その際の擂粉木のような動きをする。
※浮世草子・好色訓蒙図彙(1686)上「下女(げす)が味噌するにも、団子はたくにも」
② 坊主になる。寺の小僧の仕事の一つとして①をするところからいう。
※雑俳・一夜泊(1743)「江戸の水呑もか高野の味噌すろか」
③ 追従を言う。おせじを言う。へつらう。胡麻(ごま)をする。」
とある。
二裏、三十一句目。
味噌するをとの隣さはがし
黄昏の門さまたげに薪分 荷兮
前句の「味噌する」を寺の小僧の仕事として、お寺の門に転じる。門の前で薪を分けていて出入りの邪魔になるうえ、隣では小僧が味噌を擦っていて騒がしい。
三十二句目。
黄昏の門さまたげに薪分
次第次第にあたたかになる 冬文
冬の間は寒くてよく火を焚くので沢山の薪が必要で、門の前で薪を配って邪魔だったが、暖かくなると薪の量も減り、静かになる。
挙句と花の定座が近いので、軽く季候を付けて流して春に転じる。
三十三句目。
次第次第にあたたかになる
春の朝赤貝はきてありく兒 舟泉
「赤貝はきて」は『芭蕉七部集』(中村俊定注、岩波文庫、1966)の中村注に、「赤貝の殻に縄を通して下駄のようにしてはいてあそぶこと。」とある。赤貝馬と呼ばれるもので、浮世絵にも描かれている。
コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「赤貝馬」の解説」に、
「〘名〙 玩具の一つ。二個の赤貝の殻に穴をあけて長い紐を通し、足をその貝殻に乗せ、紐を両手に持ちながら馬の手綱をとるような身振りをして乗り歩くもの。また、その遊び。馬貝。
※常磐津・蜘蛛糸梓弦(仙台浄瑠璃)(1765)「真紅手綱のこぶさ小綱をこがらまいた。サア赤貝馬のしゃんしゃんしゃん」
とある。今は空き缶で似たようなものを作ることがある。
赤貝はウィキペディアに「大きくても殻長12cm、殻高9.6cm程度で」とあり、ハマグリよりは大きい。
春の暖かさに遊ぶ子供をあしらう。
三十四句目。
春の朝赤貝はきてありく兒
顔見にもどる花の旅だち 松芳
花を求めての旅の途中でも、子供に逢いに我が家に立ち寄る。
三十五句目。
顔見にもどる花の旅だち
きさらぎや瀑をかひに夜をこめて 冬文
「瀑(さらし)」は晒し布のこと。
「夜をこめて」というと、
夜をこめて鳥のそら音ははかるとも
世に逢坂の関はゆるさじ
清少納言(後拾遺集)
の歌がよく知られている。夜の明けないうちに、と言う意味。
「夜をこめて」の恋の情があるように、ここも晒しを買うのを口実に女に逢いに行くということだろう。『伊勢物語』の筒井筒を俤とする。
挙句。
きさらぎや瀑をかひに夜をこめて
そら面白き山口の家 荷兮
山口は新古今集の山口大王(やまぐちのおおきみ)か。
中納言家持に遣しける
蘆べより滿ちくる汐のいやましに
思ふか君が忘れかねつる
山口女王(新古今集)
中納言家持に遣しける
鹽竈の前に浮きたる浮島の
浮きて思ひのある世なりけり
山口女王(新古今集)
の歌がある。山口の家は塩釜にあったようだ。
前句の恋の情を受けて、はるばる塩釜まで山口の家を訪ねて行く面白さを以てして、一巻は目出度く終わる。
ちょうどこの頃は芭蕉さんも『奥の細道』に旅立つ頃だろう。同行するのが曾良だというのを知ってたかどうかは知らないが。
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