今日は建国記念日。もっとも神武天皇の時代にどういう暦が使われていたかは定かでない。一説には原始的な太陽暦があったともいう。『日本書紀』が編纂された時代には中国の暦があったから、それに擬えて「辛酉年春正月庚辰朔」の建国とした。
明治に入ってウィキペディアによるなら、明治五年(一八七二年)には旧正月の一月二十九日に神武即位祝いの式典が行われ、明治六年(一八七三年)七月の太政官布告第258号によって新暦の二月十一日に固定されたという。
ただ、いつも使っている「こよみのページ」の新暦と旧暦の変換によると、旧正月が一月二十九日になるのは一八七三年になる。これは明治五年の十一月に決定され、六年の神武即位祝い式典が一月二十九日に行われたという意味だろう。
辛酉年春正月庚辰朔を新暦二月二十一日にするという根拠は、今一つはっきりしないが、これが太陽暦(グレゴリオ暦)の採用に伴う変更であるのは明らかであろう。これによって原則的に旧暦による行事は禁止された。
建国記念日は二度変更されたといっていい。一度は旧暦への変更、二度目はグレゴリオ暦への変更。まあ、この辺の事情は複雑なので、一番簡単な説明は「明治憲法発布で近代国家としての日本がスタートした日」ではないかと思う。
昨日は雪の予報もあったが、朝はまだ雨だった。昼前から雪に変わって午後には積り始めたが、夜になって雨に変わって大方融けた。雪つむ上の夜の雨。
オリンピックのネット観戦はスノーボード女子ハーフパイプ決勝からで、相変わらず転倒の多い試合だったが、せなさんが銅メダルで、るきさんも最後は倒れず走り切って五位に入れて、まずは良かった。
フィギュアスケート男子フリーはテレビで見た。世代交代を感じさせる結果だった。
そのままテレビでスノーボード男子スノーボードクロスタイムトライアルを見た。順位決定戦で選手の頭にカメラを付けた時、何か悪い予感がした。とっさにドライブレコーダーの事故画像を連想し、これはフラグと思ったらその通りになった。
それでは『阿羅野』の「初春」の続き。
うぐひすの鳴そこなへる嵐かな 若風
これは、
山里は嵐にかをる窓の梅
霞にむせぶ谷のうぐひす
藤原有家(玉葉集)
が本歌か。霞にむせぶのではなく、嵐に鳴きそこなうというところが俳諧になる。
鶯の鳴や餌ひろふ片手にも 去来
飼われた鶯であろう。鶯の鳴き声を競わせる鶯合(うぐひすあはせ)というのが行われていたこともあって、鶯を飼う人は多かった。
コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鶯合」の解説」に、
「〘名〙 手飼いの鶯を持ち寄り、その声の優劣を競う遊戯。中世、物合わせの一種として流行し、近世以降も広く行なわれた。なきあわせ。うぐいす会(かい)。《季・春》
※教言卿記‐応永一六年(1409)四月一四日「今朝は伯亭にて鶯合〈左大弁相公等〉」
とある。
あけぼのや鶯とまるはね釣瓶 一桐
はね釣瓶はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「撥釣瓶」の解説」に、
〘名〙 支点でささえられた横木の一方に重し、他の一方に釣瓶を取りつけて、重しの助けによってはね上げ、水をくむもの。桔槹(けっこう)。〔色葉字類抄(1177‐81)〕」
とある。柱の上横木を載せて天秤のようにするものだが、木を柱替りにすることもある。
高さのあるもので、これに鶯がとまれば羽根釣瓶だ。
鶯にちいさき薮も捨られし 一笑
この一笑は尾張津島の一笑で、貞徳翁十三回忌追善俳諧に参加した伊賀の一笑、「塚も動け」の句で知られる加賀の一笑と、一笑はたくさんいる。
薮は木の無秩序に茂った状態で、あまり見栄えのいいものではなく、荒れた感じがする。それでも鶯が来るなら刈り払うわけにもいかない。
うぐひすの声に脱たる頭巾哉 市柳
鶯の声を聞いて、暖かくなったと頭巾を脱ぐ。
鶯になじみもなきや新屋敷 夢々
鶯も新しい屋敷がたったらとまどうだろうな、という気づかいの句。
この頃はまだ急激に人口が増えて鶯の住処が奪われるということがなかったから、のんびりとしたものだった。
うぐひすに水汲こぼすあした哉 梅舌
鶯の声に驚いて汲んでた水をこぼす。
さとかすむ夕をまつの盛かな 野水
アカマツの多い山里は、夕暮れになるとその枝ぶりがシルエットになる。それを「松の盛り」として、その時間を「待つ」と掛けている。
行々て程のかはらぬ霞哉 塵交
霞は広い範囲に薄くかかるので、旅をしていてどこまで行っても山は同じように霞んでいる。そこが霧と違う所だ。
「行々て」は『文選』の古詩の「行行重行行(ゆきゆきてかさねてゆきゆく)」から来た漢文的な言い回しで、行軍や旅などに用いる。
行人の蓑をはなれぬ霞かな 塵交
簑を着て行く人も旅人で、霞も延々と一緒についてくるかのようだ。
かれ芝やまだかげろふの一二寸 芭蕉
陽炎は石などの日の光りで暖まりやすい所に詠まれるもので、枯芝の野のかすかな陽炎に春の訪れを詠む。
今さらに雪降らめやもかげろふの
燃ゆる春日となりにしものを
よみ人しらず(新古今集)
かすみゆく日かげは空にかげろふの
もゆる野原の春のあはゆき
藤原雅経(続後撰集)
の歌もある。
『笈の小文』では、
初春
春立ちてまだ九日の野山哉
枯芝やややかげらふの一二寸
とあり。「まだ」が「やや」になっている。「春立ちてまだ」の句との重複を避けたのかもしれない。
かげろふや馬の眼のとろとろと 傘下
陽炎がゆらゆら揺れるように、野の馬の眼もとろとろしている。
水仙の見る間を春に得たりけり 路通
水仙は冬の季語だが、それを見ているうちに春が来たという意味なので、春の句となる。
元禄二年の正月、江戸での興行の発句で、元は「水仙は」の形だった。脇が、
水仙は見るまを春に得たりけり
窓のほそめに開く歳旦 李沓
とあり、脇は発句の季節と違えないので、元は歳旦の句だった。
蝶鳥も待るけしきやものの枝 荷兮
蝶は晩春のものなので、それをまだ待っている状態も既に春が来たかのようだ。鳥は鶯などであろう。
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