今日で二月(新暦)も終わり。あっという間に時が過ぎてゆく。
まあ、一日俳諧を読みながらネットでいろんなことを調べてゆくと、時間はいくらでも過ぎて行く。それにラジオを聴いたり、定額制のアニメを見たり、ラノベを読んだりしていると、とりあえず退屈はしない。昔読んだ本に「脳が退屈すると癌になる」なんていうのがあったからね。
コロナは関西の方は緊急事態宣言解除で、七日にはこっちも解除になる。ただ、これから三月で卒業や人事異動が多く、年度末で経済活動も活発になる。それでいてまだ気温はそれほど上がらない。ちょうど聖火リレーが始まる頃に第四波が来るような気がする。死者もその頃には多分九千人になる。
まあ、欧米の人からすると日本の感染者数や死者数ならオリンピックできると思うのかな。
あと、『冬の日』の「つつみかねて」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
それでは「三冊子」の続き。
「四句めはむかしより四句めぶりなど云て、やすくかるきをよしとす。師のいはく、重きは四句目の体にあらず、脇にひとし。句中に作をせずと也。古事、本説など嫌ふ事也。春秋の季のつゝき、四句目にて花月の句をする事必あるまじとの師説也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.97)
四句目というと、
一順の四句めぶり也一しぐれ 宗因
の句もあるように、さっと軽く付けるのが良しとされてきた。第三同様、基本的に序盤に時間を取りたくないという事情もあったからだろう。俳諧の笑いという意味で言えば、最初はくすぐりを入れて場を温めてからどかんどかんと笑わせに行くという、漫才の展開にも似ているのではないかと思う。
四句目に月を出した例は天和三年夏の甲斐滞在中に見られる。
胡草垣穂に木瓜もむ屋かな 麋塒
笠おもしろや卯の実むらさめ 一晶
ちるほたる沓にさくらを拂ふらん 芭蕉
市に小言をになふあさ月 麋塒
発句以下夏が三句続いた上、第三に「蛍」と夜分が出てしまったため、その流れで秋の月に転じることになった。夜分二句去りなので、ここで出さなければ六句目になる。五句目の定座を守ろうとすると夜分にならない朝の月、昼の月になる。好んで四句目に月を出すことはないが、流れで出すことはある。
『冬の日』の「炭売の」の巻も四句目に月がある。
炭売のをのがつまこそ黒からめ 重五
ひとの粧ひを鏡磨寒 荷兮
花棘馬骨の霜に咲かへり 杜国
鶴見るまどの月かすかなり 野水
これも発句から三句冬が続いた後で、式目上の制約はないが、花棘の返り咲きの景に月を出さないのは勿体ないというところだろう。
貞享二年三月熱田での興行も、
つくづくと榎の花の袖にちる 桐葉
独り茶をつむ薮の一家 芭蕉
日陰山雉子の雛をおはへ来て 叩端
清水をすくふ馬柄杓に月 閑水
とある。これは第三に「日」の文字があり、月と打越を嫌うため、四句目か六句目かの選択になる。
貞享三年の「日の春を」の百韻も、
日の春をさすがに鶴の歩ミ哉 其角
砌に高き去年の桐の実 文鱗
雪村が柳見にゆく棹さして 枳風
酒の幌に入あひの月 コ斎
とあり、これには芭蕉自身による『初懐紙評注』があり、そこでは、
「四句目なれば軽し。其道の様体、酒屋といつもの能出し侍る。幌は暖簾など言ん為也。尤夕の景色有べし。」
とあり、特に月を出したことを咎めてはいない。
こういうわけで、四句目の月はかなりの頻度でみられるもので、杓子定規にならない方がいい。ただ、さすがに四句目の花はない。
宗牧の『四道九品』には、
「四句目は脇句を吟じて輪廻なきやうにすべし、如何によく付たる句なりとも、同体の句三句続きては以の外わろき事也、ふるき口伝の内にも無油断可心事と侍り、句毎に心を改めて行様にすべき也、」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.207)
とある。細かいことは考えずに、輪廻にならないようにすればいい。
思うに戦国の世が終わる辺りから連歌は形式主義に陥り、式目以外のローカルルールがこと細かくなっていって難易度が上がってしまったため、連歌は急速に衰退したのではないかと思う。おそらく野卑な戦国武将が連歌に多く参加するようになって、風雅の心を競うのではなく、規則をいかに守れるかの方にゲームの重点がずれていったのではないかと思う。
そして、芭蕉の死後の俳諧もまたその傾向があったのではないかと思う。土芳が古説と呼んでいるのは、おおむねこの頃の連歌の説であって、連歌の最盛期の説ではない。
いわば土芳を含めて蕉門の保守派が連歌へ回帰してゆき、規則だらけの窮屈な俳諧にしてしまった可能性はある。
「五句め、七句めの事、三て五覧などと古説あり。七句めも同じ心得也。第三の後一順、上の句を賞とす。中にも月の座は名ある所也。老分に當べし。同字を表に嫌ふも懐紙をたしなむ所也。て留はね字留は句の一体表道具と也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.97)
「五句め、七句めの事、三て五覧などと古説」もそういう意味では疑わしい。三句目がて留なら五句目はらん留なんて説も流布していたのだろう。て留にて留は式目の「韻字事」にあるが、別の手爾葉か文字留なら問題ない。「らん」に限る必要はない。実際に『校本芭蕉全集』第三巻~第五巻、連句篇を見れば、蕉門にこのような規則がなかったことは明白だ。
同じように「上の句を賞とす。中にも月の座は名ある所也。老分に當べし。」も根拠はない。定座は「花」に関しては主賓に譲ることはあったが。それは当座の機転であって規則ではない。
「同字を表に嫌ふ」も同字三句去りを守るなら、六句しかない歌仙ではそんなに気にすることでもない。五句目と六句目だけ気をつければいいだけなので、表六句に同字の例はほとんどない。式目通りの同時五句去りなら要らない規則になる。
「て留はね字留は句の一体表道具と也。」の「表道具」が許六の『俳諧問答』に出てきた「発句道具」「脇道具」のような初表にふさわしい言葉というなら、それも実際にどれくらい意識されてたかは怪しい。らん留は俳諧では元から使用頻度が少ないが、て留は一巻の中にかなり頻繁に登場する。
「裏に成て四春八木と連歌に古説あり。四句目春をせず、八句めに高うへ物せず、花につかゆる遠慮也。俳諧も其心得也。他の句を返すには不及。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.97)
これは百韻だと裏は十四句で十三句目が花の定座になるため、逆算して四句目に春を出して六句目まで三句連ねると、同季七句去りなので十三句目に花を出せなくなるという意味だろう。ただ、貞門以降の俳諧では同季五句去りに引き下げられている。
八句目に木類を避けるのも、植物三句去りだが草類と草類、木類と木類は五句去りなので、八句目に木類を出すと十三句目に花を出せなくなる。
俳諧の場合は同季五句去り、木類と木類三句去りなので「六春十木」でもよさそうだ。
ただこれも厳密な規則ではない。六句目に春を出しても九句目に花を繰り上げる手はあるし、花火など春にならない正花で逃れることもできる。十句目に木を出しても十一句目に花を繰り上げれば済むし、非植物の正花もある。むしろ九句目十句目に秋を出す方が困るが、そこは言うまでもないというところなのだろう。
熟練した俳諧師なら、むしろ縛りが多いほど腕の見せ所なので、それほど遠慮する必要もないが、素人で主賓で花を持たせたい時には要注意というところだろう。
「春出ば花を付べし。是呼出しの花となり。花の前句に秋の字用捨すべし。戀の花はむつかしきわざと連哥に秘して、前句よりつゝしむと也。俳其沙汰なし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.97~98)
花呼び出しも慣れてない人に花を勧める時に必要な技で、熟練者にはかえって失礼だろう。「花の前句に秋の字用捨」というのは秋から急に春に転じるには違え付け、相対付けなどの技がいるからで、趣向も限られてしまう。 「恋」も連歌では式目にはないが習慣的に二句以上とされていたから、花の恋を付けなくてはならなくなる。俳諧では恋の句といってもあくまで恋の噂で情を述べる必要がないので難易度も下がるし、恋を一句で捨ててもいいなら問題にはならない。
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