『三冊子』と並行して貞享元年大垣での「師の桜」の巻を読んでいたが、
不二の晴蜆に雪を斗り見る
女に法を説く夜千年 如行
の句はちょっと考えさせられるね。仏教って何で女性を排除したのかなってね。まあ女性差別と穢多差別は仏教の闇の部分でもある。
想像だが、仏教というのは基本的に子孫を残すための男同士の熾烈で殺伐とした生存競争から解放するというところにあったのではないかと思う。だから女を遠ざけるために女人禁制の山に籠り、過酷な修行で欲望と戦い、それをなしえた報酬として最終解脱があったのではないか。
だから多分、女性はわざわざ過酷な修行をしようとも思わなかったし、禁欲の報酬としての成仏も別に望んでなかった。せいぜいわずらわしい世を逃れることができた時点で、それ以上を望む必要もなかったのだろう。だから仏教がそれほど女性の反発にあうこともなく長く続いてこれたのではないか。
まあ、死んだら結局みんな一緒で、もはや成仏できたかどうかを意識することもないんだから、ならば成仏できるかどうかなんて悩むようなことでもない。残された人が勝手に決めてくれればいいだけでね。
それでは「三冊子」の続き。
「師のいはく、たとへば哥仙は三十六歩也。一歩もあとに歸る心なし。行にしたがひ、こころの改めはたゞ先へ行心なれば也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.94)
歌仙に限らず長連歌は後戻りをしない。歌仙は三十六歩、五十韻は五十歩、百韻は百歩也。
打越の情や趣向を引きずらない。本歌も本説も三句に渡らない。一句一句新しい句を付けて行く。決して振り返ることはない。それが長連歌の歩みだ。
連歌で「輪廻」と呼ぶのは、付け句は一句一句が解脱だということだ。前句の人生を引きずることなく、前句を捨て去り成仏してゆく歩みだ。今生に未練を残すなかれ。
「發句事は一座、巻の頭なれば初心の遠慮すべし。八雲御抄にも其沙汰有。句姿も高く位よろしきをすべしと、むかしより云侍る。先師は懐紙のほ句かろきを好れし也。時代にもよるべき事にや侍らん。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.94~95)
『八雲御抄』の沙汰というのは、「新古今和歌集の部屋」というブログにある「八雲抄巻第一 正義部」のテキストに、「發句は、猶當座可然人得之。無何人すべからず。」とある。
「句姿も高く位よろしきをすべし」の出典はわからないが、紹巴の『至寶抄』には「発句は百韻の初に候へば、如何にも長高く幽玄に打ひらめきに無きやうに」とある。『去来抄』「先師評」には「ほ句長高く意味すくなからずと也。」とある。ここでは、
赤人の名ハつかれたりはつ霞 史邦
の句を例に挙げている。
「長高(たけたか)く」は声高ということで、力強く言い切る、テンションが高いというニュアンスがあり、紹巴の「打ひらめきに無き」も気持ちがぶれていないということだろう。
「懐紙のほ句かろき」は興行の際の発句は当座の景、その日の気候、連衆の顔ぶれなどを見て軽い挨拶とすべきということで、古い池の句、閑かさやの句のような興行と関係なく何年も練りに練った句というのもあるが、興行の即興で読んだ立句でも良い句はいくらでもある。
二条良基の『連理秘抄』には、
「只あさあさと中々当座の体などを見るやうにするも一の体也。しかあれども如何にも発句は力入て一かど、その詮のあるがよき也、又当座の景気もげにと覚ゆるやうにすべし、いかにも心を廻してすべき也」(『連歌論集 上』伊地知鉄男編、一九五三、岩波文庫p.37)
とある。
宗祇の『宗祇初心抄』には、
「発句などの事、当座にてさす事ままあり、さ様の時は力及ず、発句をする事にて候、それは其處の当座の体、又天気の風情など見つくろひ、安々とすべし、さ様に候へば当座出来たる発句と聞えておもしろく候」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.44)
とある。
芭蕉の発句でも、
風流の初めや奥の田植歌 芭蕉
の句は須賀川でこの俳諧興行(「風流」はしばしば俳諧と同義で用いられる)をご当地の奥の田植歌の興で始めましょうというだけの句だったが、後世芭蕉の名句の一つに数えられている。
文月や六日も常の夜には似ず 芭蕉
もまた文月六日の直江津での興行で、そのまま日付を詠み、七夕の前日ということと合わせて今夜の興行が常のものではないと賛辞を贈るものだった。
「又、古來より新宅の會に焼など火の噂、追悼にくらき、道迷ふ、罪、とが、船中に歸る、しづむ、浪風等の類いむき心遣ひと也。五躰不具の噂、一座に差合事思ひめぐらすべし。ほ句のみに不限、其心得あるべし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.95)
まあ、これは基本的に挨拶だから、相手が不快に思うような言葉は避けるというのは社会生活の基本だ。ただ、あまり神経質になっても行けない。笑える範囲なら良しとすべきであろう。
五体不具の噂に関しては、
座頭かと人に見られて月見哉 芭蕉
の句がある。この句は興行で用いられたかどうかはわからない。
「ほ句のみに不限」とあるが、付け句では『冬の日』の「狂句こがらし」の巻十四句目に、
田中なるこまんが柳落るころ
霧にふね引人はちんばか 野水
の句がある。こうした句も千句に一句というところか。
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