2021年2月23日火曜日

  差別は人の心にある物で、それが行為となれば犯罪ともなる。
 ただ、言葉にはもともと意味はなく、人が喋ればそこに意味ができる。意味は人がどのような意図で喋ったかによって決まる。
 例えば小中高の子どもの会話で「殺す」という言葉はかなりの頻度で用いられるが、実際に殺人が起きることは稀だ。本当の殺人は殺意がなくては生じないが、「殺す」という言葉の大半は殺意なしに用いられている。
 互いの会話の中でどのような意味で「殺す」という言葉を使ったか、分かり合える時は何ら問題は生じない。ただ、ネット上で顔の見えない相手ならその判断ができなくなるから、脅迫だとして犯罪になってもおかしくはない。
 「女はなんちゃら」で馬鹿なことを言っていても、そういいながらも女性を交えた会議が行われているなら、あの上司がまた馬鹿言ってるなで終わる。ただ、実際にそれを理由に女性が会議から締め出されれば、そこで初めて差別になる。たとえ言葉がなくても実際に女性が会議に参加できなかったり、また組織構成員や役員の構成比率が大きく偏っているなら、すでにそこに差別は存在している。たとえマスコミや野党や人権団体であれ、それを免れることはできない。女性差別をなくそうといって野郎ばかりが集まったんではギャグにしかならない。
 言葉狩りはいかにも「やってるふり」をするのに都合がいいだけで、現実の問題を何一つ解決しない。象徴となるような藁人形を叩くばかりでは現実は何一つ変わらない。そんな人権運動は必要ない。森元の問題を単なる言葉狩りで終わらせるな。
 日本人がどんどん貧しくなっている本当の理由なんてことを誰かが言っていたが、問題なのは誰が大衆を長時間低賃金の劣悪な環境に縛り付けているかだ。会社の経営者だけではない。大衆の起業や投資への参加を阻止するような圧力をかけて自助努力を禁じ、公助という絵に描いた餅を掲げながら革命へと導こうとしている連中にも原因がある。貧困をなくすには誰もが稼ぐ力を手にしなくてはいけない。空から金をばらまいても貧困問題は解消しない。これは世界中どこへ行っても真理だ。
 悪徳企業は善良企業を育てることで駆逐すべきで、そのためには自由な起業と投資によって健全な市場経済を作らなくてはならない。企業の新陳代謝が盛んになれば日本はもっと豊かになれる。
 それと、何で森元の発言に比べて野田さんのベロチューが可愛いかというと、そこには男性アスリートを差別したり排除したりする構造的なものが何一つ存在しないからだ。もちろんそこには企業などでのセクハラ・パワハラに類するような構造も存在していない。こんなネタに食いつくのは馬鹿の証明にしかならない。

 それでは「三冊子」の続き。

 「又、戀の詞、述懐の類、祝言に云たる句は、表の内いかヾ侍らん、とたづねる時、師のいはく、句によるべし。文字はくるしからず。祝言にいひなすとても、人のうえに云ばいよいよ述懐也。花のさびしきの類はくるしからず。崩し壁に下る夕貌などゝ全の貧家を移す句は用捨すべし。他人の句はとがむまじと也。又、戀無常其外嫌ふ古事、本祝を下心にして、表にあらはさず。又、他物のうへにかり用ひたるなどの句の類、いかヾ侍らんと云ば、師のいはく、大形は表に嫌ふべし、事にもよるべき事ながら、いづれとても心嫌也。詞に出さずして、心の下に嫌ふ事を持たるは作者清からず。心きたなし。一向にうち出て云たるかた然るべし。されども表の躰にあらざれば、常にくるしからず、うち出せというふにはあらずと云り。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.93~94)

 この辺りは初表に嫌う句について述べている。裏二句にまでは及んでいない。恋、述懐、祝言は言葉だけで実質的にその意味の句になってなければい良しとする。
 談林時代には延宝六年の「わすれ草」の巻の七句目に、

   紙燭けしては鶉啼く也
 ああ誰じや下女が枕の初尾花   桃青

八句目に、

   ああ誰じや下女が枕の初尾花
 百にぎらせてたはぶれの秋    千春

と恋を連ねている例はある。
 『冬の日』「狂句こがらし」の巻の八句目は、

   わがいほは鷺にやどかすあたりにて
 髪はやすまをしのぶ身のほど   芭蕉

は「しのぶ」という恋の詞はあるが、前句と合わせると恋の意味ではない。次の句で、

   髪はやすまをしのぶ身のほど
 いつはりのつらしと乳をしぼりすて 重五

と恋に展開する。
 貞享二年の「何とはなしに」の巻も同様、七句目に、

   酒飲む姨のいかに淋しき
 双六のうらみを文に書尽し    芭蕉

と恋の詞を出し、八句目で、

   双六のうらみを文に書尽し
 琴爪をしむ袖の移リ香      叩端

と恋に展開する。
 貞享四年の「ためつけて」の巻も、七句目に、

   もう山の端に月の一ひろ
 きぬぎぬや烏帽子置床忘れけり  越人

と恋に展開する。
 こうした例は他にもあり、恋は初表だけ控えれば良かった。
 「崩し壁に下る夕貌」のような句は貧家というより廃墟を連想させるが、極端な貧を表す句は表六句には見当たらない。「狂句こがらし」の巻十二句目の、

   影法のあかつきさむく火を燒て
 あるじはひんにたえし虚家    杜国

のような句は表六句にはふさわしくないということか。
 また、表六句に嫌うテーマを言葉の裏に隠して表に出さなければいいのかという問いに、芭蕉は「大形は表に嫌ふべし、事にもよるべき事ながら、いづれとても心嫌也。詞に出さずして、心の下に嫌ふ事を持たるは作者清からず。心きたなし。一向にうち出て云たるかた然るべし。」と答える。ただし、表六句以外なら良しとする。

 「又古今の人の名、表に出す事いかヾ侍らんとたづねしに、師の云、今の人の名はつゝしむべし、古人の名は物によりてくるしかるまじ。されども、好がたし。心嫌也と云り。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.94)

 たとえば「狂句こがらし」の巻第三の、

   たそやとばしるかさの山茶花
 有明の主水に酒屋つくらせて   荷兮

のような架空の人物なら問題ない。二十二句目の、

   ぬす人の記念の松の吹おれて
 しばし宗祇の名を付し水     杜国

の句は古人の名ということになる。
 延宝五年の「あら何共なや」の巻の十句目、

   きき耳や余所にあやしき荻の声
 難波の芦は伊勢のよもいち    桃青

の「よもいち」は当時の有名な占い師だったという。
 延宝六年「わすれ草」の巻の十一句目、

   あるひはでつち十六羅漢
 又男が姿かたちはかはらねど   千春

の「又男」も当時有名な物真似芸人だったという。
 貞享四年の「箱根越す」の巻の三十三句目、

   ねぶたき昼はまろび転びて
 旅衣尾張の国の十蔵か      芭蕉

の十蔵は越人のこと。
 有名な古人や武将、物語の登場人物を読むことは多いが、当代の人物を詠むことは少ない。俳諧は笑いを取るものだけに、人を名指しでネタにすることには遠慮があったのだろう。

 「懐紙に戀をなくていかヾしく、むかしより沙汰し來る。なくてかなはざる事か。好む心はいかヾにと云ば、此事は知て大切の事也。懐紙に戀を目立る事、神代より日本はじまるの例也。戀なくては詮なき事也。つゝしむべしと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.94)

 これは『去来抄』「故実」に「又また五十員百員といへども恋の句なければ一巻とは云はずしてはしたものとす。」とあるのと同じ。
 和歌の道はイザナギ・イザナミの「阿那迩夜志愛袁登古袁」「阿那邇夜志愛袁登売袁」始まるように、江南系の民族に広く見られる結婚相手を決めるための歌垣に起源がある以上、一貫して色好みの道であり、連歌俳諧も恋を欠かすことはできない。黄河文明が盤古のような造物主がいて宇宙を作り、詩も風化・風刺を旨とするに対し、長江文明は宇宙が男女の交わりから生まれたものとし、恋をすべての中心に据える。

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