今日ラジオでSsingSsing 씽씽の曲がかかった。apple musicには入ってないのが残念。Sptifyならあるようだが。あとはYouTubeで聞くしかない。
バイデンはシリアを空爆したとか。アメリカ第一主義が終わり、覇権主義の復活の時が来たか。
あと、『冬の日』の「はつ雪の」の巻を鈴呂屋書庫にアップした。やはり七部集の俳諧は何か違う。面白い。
それでは「三冊子」の続き。
「對付、違付、うち添、比留の類、むかしより云置所也。師云、第一ほ句をうけてつりあひ専に、うち添て付るよし。句中に作を好む事あるべし。留りは文字すはり宜すべし。かな留メ自然にある。心得口決あり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.95~96)
「むかしより云置所」というのは紹巴の『連歌教訓』に、
「一、脇に於て五つの様あり、一には相対付、二には打添付、三には違付、四には心付、五には比留り也、(此等口伝、好士に尋らるべし)、大方打添て脇の句はなすべき也」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.203)
とある。
そのあとうち添の手本として、
年ひらけ梅はつぼめるかたえかな
雪こそ花とかすむはるの日
梅の薗に草木をなせる匂ひかな
庭白妙のゆきのはる風
ちらじ夢柳に青し秋のかぜ
木の下草のはなをまつころ
が挙げられている。
四に心付けがあるところから、これは物付けで受けることをいうと思われる。
「年ひらけ」の句は新春の句で、梅に雪を添える。花は咲いてないが、梅に添う雪が花となる。
「梅の薗」もまた「梅」に「ゆき」、「薗」に「庭」と四手に受ける。
「ちらじ夢」の句は「柳」に「木」、「秋のかぜ」に「はなをまつ」と受ける。
連歌の頃にはこうした発句を四手に受けることが多かった。『応仁二年冬心敬等何人百韻』も、
雪のをる萱が末葉は道もなし 心敬
ゆふ暮さむみ行く袖もみず 宗祇
のように、雪に夕暮れの寒さ、道に行く人もないと四手にしっかりと付けている。
これに対し、紹巴の同席した『天正十年愛宕百韻賦何人連歌』の場合は、
ときは今天が下しる五月哉 光秀
水上まさる庭の夏山 行祐
のように、「天(雨)が下しる」に「水上まさる」と原因結果の関係で意味(心)で付けている。
相対付けは対句のように反対のものを付けること。違え付けは反対のものを出しながらも場面転換や季節の移りなどで一つの意味を持たせるつけ方をいう。脇ではあまり用いられない、通常の付け句では、連歌では、
唐土も天の下とやつらからん
すめば長閑き日の本もなし 宗祇
のように唐土も日本も大変だという対句になっている。
俳諧では、貞享二年の鳴海知足亭での「杜若」の巻、二十句目、
燕に短冊つけて放チやり
亀盞を背負さざなみ 芭蕉
山中三吟の二十四句目、
つぎ小袖薫うりの古風也
非蔵人なるひとのきく畠 芭蕉
などがある。特徴としては「唐土・日の本」「燕・亀」「薫うり・非蔵人」のような対になる言葉がある。
これに対し違え付けは、たとえば梵灯の『長短抄』の「救済、周阿一句付」と呼ばれる、前句付け的な遊びに、
春夏秋に風ぞかわれる
雪のときさていかならむ峯の松 侍公
花の後青葉なりしが紅葉して 周阿
とある侍公(二条良基)の句は「春夏秋」に「冬」といわず、風が変わっていかならむと心で付けているので違え付けになる。
周阿の方は「春」に「花」、「夏」に「青葉」、「秋」に「紅葉」と四手(六手ともいうべきか)に付けている。
俳諧では、『去来抄』にある芭蕉の、
ぽんとぬけたる池の蓮の実
咲花にかき出す橡のかたぶきて はせを
くろみて高き樫木の森
咲花に小き門を出つ入つ はせを
はいずれも違え付けになる。いずれも強引に花の定座に持っていきたい時の句といえよう。
脇だと『文安月千句』(『千句連歌集 二』古典文庫 405)の、第七百韻、
光をも天に満たる月夜哉 生阿
初夕霜に野分たつ頃 良珍
は天に満ちる月夜に野分と違えて付けている。『顕証院会千句』の第四百韻、
朝もよひきなる桜のは月哉 時述
いくもとあらの萩の上露 俊喬
は「桜の葉月」に「萩の上露」と対句になり、相対付けになる。千句興行だと変化を付けるためにこういう付け方もあるのだろう。
これで打添付心付相対付違付はわかった。あとは「五には比留り」だが、ネット上の「日本女子大学日本文学科蔵『連歌秘袖抄』の翻刻・紹介 白石美鈴」の紹巴『連歌秘袖抄』に、
「一 比留の事 比そやとや余て聞也」」
とある、その前に、
「一 こそ留の事
田面の蛙つふつふとこそ
こそ鳴とあまして聞句なり」
とある所から、「‥‥の比ぞや」の意味の句を「比」と省略した留め方と見ていいのだろう。
最初のうち添えの例にあった、
ちらじ夢柳に青し秋のかぜ
木の下草のはなをまつころ
は「まつころぞや」と「ぞや」を補う必要がないので比留ではなく「うち添え」になるのだろうか。
発句ではないが「応仁二年冬心敬等何人百韻」の九十二句目は、
木がらしの空にうかるる秋の雲
かりもうちわび暮れわたる比 満助
「かりもうちわび暮れわたる比ぞや、木がらしの空にうかるる」と意味が通るので、こういうことなのか。単純に時候を添える比ではなく、原因となるような比ということか。
「句中に作を好む事あるべし。」はあまりさらっと流しすぎず、機知に富んだ受け答えを良しとするということで、「留りは文字すはり宜すべし。かな留メ自然にある。」は文字止め(体言止め)の場合は発句脇を合わせた時きちんとそこで収まりがつくようにするということで、かな留メ(用言止め)も自然にそこで終わるようにする。
たとえば、
木の本に汁も膾も桜哉 はせを
明日来る人はくやしがる春 風麦
は体言止めで、発句の花の散る情景に「明日来る人はくやしがる」と機知を利かせ、「春」の放り込みできれいに終わるように形を整えている。これに対し、
木のもとに汁も膾も桜かな 芭蕉
西日のどかによき天気なり 珍碩
は「しづこころなく花の散るらむ」の心で、「のどかに」という言葉にひと工夫があり、「天気なり」と力強く言い切ってきちんと収めている。
「第一應對合體の心とおもふべし。作者心得べきは、先ほ句出ると、よく聞しめ、させる事見へずとも、作者より句意をあらはすやうに挨拶してよく聞ふせて脇すべし。心とゞかざれば無禮にして無下成事也。たとへば連哥のほ句は聯句の唱句也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.96)
「応対」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 相手になって受けこたえすること。客をもてなすこと。応接。
※懐風藻(751)釈智蔵「論雖二蜂起一、応対如レ流、皆屈服莫レ不二驚駭一」
※暗夜行路(1921‐37)〈志賀直哉〉三「一人で茶をつぎ客の応対をしてゐる二代木仙は」 〔春秋左伝‐襄公三一年〕」
とある。おもてなしの心をいう。
「合体」もコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「② 心を一つに合わせること。
※本朝文粋(1060頃)一二・詰眼文〈三善清行〉「昔与レ卿同胞而生育、今与レ卿合体而行蔵、相共周施、漸六十余歳」
※保元(1220頃か)上「君臣合体するときは、四海太平にして、凶賊おこる事なし」
とある。
脇は基本的に発句の主をもてなし、心を一つにすることを旨とする。発句を聞いたらその意味をよく考え、発句の裏に隠した意味が句の表に表れてなくても、脇はその意味に答えるように挨拶して、句の裏に隠し込んで脇とする。
梅若菜まりこの宿のとろろ汁 芭蕉
という発句なら、単に東海道丸子宿の名物を言っているだけの句だけど、そこにはこれから江戸までの旅の間に至る所で梅を見るだろうし、芽生えたばかりの若菜も見ることだろう、そして宿では新鮮な若菜を食べることだろうし、そうそう丸子宿のとろろ汁も美味い頃だ、と江戸への旅路を羨んでみせて、乙州を喜ばそうという心遣いを読み取らなくてはいけない。そこで、
梅若菜まりこの宿のとろろ汁
かさあたらしき春の曙 乙州
と旅に必要な笠も新調し、江戸下向を楽しんできます、と発句の心に答える。
句の裏を読むときには基本的に善意で受け取る。
松茸やしらぬ木の葉のへばりつき 芭蕉
この発句は元禄四年の句で、松茸を貰うと何だかよくわからない葉っぱがへばりついていることってあるよね、というあるあるネタの句で、元禄七年に支考が弟子の文代を連れてきた時にこの旧作を立句にしたが、そこに文代がへばりついたしらぬ木の葉だみたいな勘繰りはすべきでない。
松茸やしらぬ木の葉のへばりつき
秋の日和は霜でかたまる 文代
前句を松茸に落葉の降りかかる晩秋の景として、秋の日和にも霜の降りる季節になってしまいました、と応じる。「かたまる」には芭蕉さんの前で緊張してますという意味もあるのだろう。芭蕉も文代のスキルの高さに納得したことだろう。
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