2021年2月20日土曜日

  今日は晴れて暖かく久しぶりに散歩に出た。近所の木瓜も咲いていたし、杏も咲き始めていた。梅はあちこちで満開で、この前咲き初めだった河津桜も満開になっていた。伊勢社にお参りして帰ってきた。
 それにしても大坂なおみは無敵だね。筋肉も凄いし。
 あとお詫びですが、延宝六年の「塩にして」の巻、「塩にしても」の「も」が抜けてました。訂正します。前に「磨なをす」の巻が「磨をなす」になってたことも重ねてお詫びします。

 それでは「三冊子」の続き。

 「切字の事、師のいはく、むかしより用ひ來る文字ども用べし。連俳の書に委くある事也。切字なくてなほ句の姿にあらず、付句の躰也。切字を加ハへても、付句の姿ある句あり。誠に切たる句にあらず。又切字なくても切る句有。其分別切字の第一也。その位は自然としらざればしりがたし。猶、口傳あり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.91)

 何が切れ字かは習慣的に用いられているもので、「や」「かな」などの代表的な文字は多くの書に共通しているが、厳密な決まりはない。
 というのも切れ字が入っていても切れてない句もあれば、切れ字がなくても切れている句があるからだ。大事なのは句を切るということで、切れ字はそのための便宜的なものと思った方がいい。
 切れ字に関して古いところでは梵灯庵主の『長短抄』に、「かな、けり、そ、か、し、や、ぬ、む(ハネ字) セイバイの字、す、よ は、けれ」が挙げられている。ハネ字というのは撥音で「ん」と発音される。セイバイの字は状況で判断される字ということであろう。
 『長短抄』には、大廻(まわし)と三体発句という切れ字なしで切れる句の例を挙げて切れない句と比較して説明している。

 「発句大廻ト云 在口伝、
   山ハ只岩木ノシヅク春ノ雨
   松風ハ常葉ノシグレ秋ノ雨
   五月雨ハ嶺ノ松カゼ谷ノ水
  三体発句
   アナタウト春日ノミガク玉津嶋
  此等ハ切タル句也、
   庭ニミテ尋ヌ花ノサカリ哉
   山近シサレドモヲソキ時鳥
   花ハ今朝雲ヤ霞ノ山桜
 此三句キルル詞ハアレドモ不切、」(『連歌論集 上』伊地知鉄男編、一九五三、岩波文庫p.180)

 「山ハ只」の句は「山は只岩木のしづくが春の雨や」という意味で、この末尾の治定の「や」が省略されているとみていい。
 「松風ハ」の句も「松風(の音)は常葉の時雨や、秋の雨や」という意味で、治定の「や」が省略されている。
 「五月雨ハ」の句も「五月雨は嶺の松かぜ(に)谷の水(をそえる)や」で、いずれも治定の言葉が省略されている。それを補えば「〇〇は〇〇や」という主語述語整った形になる。

 蚤虱馬の尿する枕もと       芭蕉
 目には青葉山ホトトギス初鰹    素堂

もこの類といえよう。「蚤虱や馬の尿する枕もと」「目には青葉山(には)ホトトギス(口には)初鰹や」となる。
 これに対し三体発句は形容詞の活用語尾の省略で、「春日のみがく玉津嶋はあなとうと(し)」になる。この「し」があれば、それが切れ字ということになる。

 あらたうと青葉若葉の日の光    芭蕉

もこれにあたる。
 形容詞の活用語尾の省略は今日でも口語では頻繁に見られる。ださいを「ださっ」、近いを「近っ」という類で、『源氏物語』にも「あなかしまし」というところを「あなかま」という例がある。
 切れ字なくても切れている句は、基本的に何らかの切れ字が省略されているだけと見ればいいのかもしれない。
 これに対し切れ字があっても切れてない句というのは、切れ字が形だけで機能していない場合ではないかと思う。

 庭にみて尋ぬ花のさかり哉

の句は「尋ねぬ」が実質的な切れ字で最後の「哉」は付け足しにすぎない。「庭に見て尋ぬる花のさかり哉」なら切れる。

 山近しされどもをそき時鳥

の句は「されどもをそき」の方が句のメインになっていて、「山近し」は付け足しにすぎない。「時鳥のされども遅し山の脇」ならわかる。

 花は今朝雲や霞の山桜

の句も、「花や今朝雲に霞の山桜」ならわかる。
 芭蕉が二句どちらがいいか沾徳に判を求めたという

 ほととぎす声横たふや水の上
 一声の江に横たふや時鳥

の句で「一声の」の句の切れが悪いのも、この「や」が十分機能してないからなのかもしれない。この句は「時鳥の一声の江に横たふや」の倒置だが、これだと「時鳥」「一声」「江」「横たふ」のどれを治定しようとしているのかわからない。
 もう一句の方だと「水の上」を強調しているのがはっきりとわかる。「一声の」の句の場合も強調したいのは「江」であろう。それが十分機能していない。
 切れ字のことは多くの連歌師俳諧師が感覚的に理解していることではあったが、なかなか論理的に説明するのは難しく、それで「猶、口傳あり。」ということになってしまったのだろう。『去来抄』「故実」の切れ字について述べた個所でも、

 「此事あながち先師の秘し給ふべき事にもあらず。只先師の伝授の時かく有し故なるべし。予も秘せよと有けるは書せず、ただあたるを記して人も推せよと思ひ侍るなり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.53)

とある所を見ると、去来にも口伝があったようだ。

 「師常に道を大切にして示されし也。あこくその心はしらず梅の花、と云句をして、切字を入る事を案じられし傍にありて、此句は切字なくて切るやうに侍ると云ば、切る也。されば切字はたしかに入たるよし、初心の人の道のまどひに成てあしゝ。つねにつゝしむべし。ましてさせる事もなき句は、句を思ひやむとも常にたしなむべし、と示されし也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.91~92)

 「あこくそ」の句は貞享五年の春、伊賀滞在中に詠んだ句で、

   風麦子にて兼日の会に句を乞はれし時
 あこくその心はしらず梅の花    芭蕉

という前書きがついている。「兼日」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (「かねてのひ」の「兼日」の音読)
  ① かねての日。また、あらかじめ。日頃。
  ※左経記‐長和五年(1016)四月一五日「又兼日或仰二陰陽寮神祇官等一、可レ令候」
  ※葉隠(1716頃)一「是は折節の仕形・物言にて顕るるもの也。〈略〉兼日にて人が知るものなり」 〔論衡‐感虚〕
  ② 歌会の行なわれる前にあらかじめ題が出され、歌会以前に歌をよみ用意しておくこと。また、その歌会。⇔当座(とうざ)。
  ※無名抄(1211頃)「兼日の会には、皆歌を懐中にして」

とある。②の意味であろう。
 伊賀滞在中だったから、この句ができた時に土芳に語ったのだろう。
 「あこくそ」は紀貫之の幼名と言われている、ウィキペディアに、

 「幼名を「内教坊の阿古久曽(あこくそ)」と称したという。貫之の母が内教坊出身の女子だったので、貫之もこのように称したのではないかといわれる。」

 古い時代には本名を隠すことが多く、たいていは職名で呼ぶ。紫式部だとか清少納言とかも本名ではないように、本名を隠す習慣があったのだろう。「新古今集」でも「摂政太政大臣」だとか「京極前關白太政大臣」だとか「入道前關白太政大臣」とかあって、一体誰なんだというのが多い。
 「阿古久曽」もおそらくは「吾子糞」で意図的に悪い名前を付けたのではないかと思う。麿(まろ)も汚物を意味する言葉で、便器を意味する「おまる」という言葉にそれが残っているという。ウィキペディアの注釈にも、

 「 荒俣宏は、くそは不浄であり、悪鬼の類ですらこれを嫌うものであるため、鬼魔の害を避ける方法として幼児に「マル」(不浄をいれる容器)や「クソ」(不浄そのもの)の名をつける親が現れたと論じている。荒俣(1994)」

とある。
 そういうわけで芭蕉も「梅」を題として詠むように依頼されたのだろう。兼日だから当座の興で詠むのと違って、いつどこでどんな天気のどんな時刻でもいいように、場所や時間や天候を特定せず、貫之の心は知らないけど梅の花と、とても紀貫之には及ばないという謙虚な句に作り、貫之を幼名にすることで俳味を持たせたのだろう。
 切れ字は入ってないけど終止形の「ず」が事実上の切れ字になっている。

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