今日は春一番が吹いた。そんな暖かいと感じなかったけど、一応南西の風が強く吹いたので、春一番と認定されたようだ。
インドの農業新法はあまり詳しいことはわからないが、事情が何か日本のかつての食糧管理法の撤廃に似ている気がする。日本のかつては米は国が買い上げるもので勝手に流通させてはいけなかった。途中一分自主流通米が求められるようになって、子供の頃は確かに両方売っていたが、自主流通米は高いという印象があった。学生の頃、鹿児島で自炊するようになったときは標準価格米を買っていた。
食糧管理法は一九九五年に廃止され、主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律に変わった。さまざまなブランド米が競争する時代が来たが、米の値段が高騰することもなかったし、農業の衰退が特別早まることもなかったし、そんなに何かが変わったという気はしない。
今の日本の農業も旧態依然の流通制度があまり変わらず、スマート農業がなかなか浸透しない。むしろ流通の分野ではインドの方がはるかに進んでいるように思える。ただ、零細農家が多いというのは日本と共通していると思う。改革は否定しない。上手く妥協しながら進めてほしいと思う。
生産・流通・消費がネットとAIによって統括される時代は必ず来ると思うし、効率の良い生産・流通・消費システムを実現することがCO2を減らすことにつながると思う。
さて、旧暦の師走はまだ続くので冬の俳諧をもう一巻。
「あら何共なや」の巻の翌年延宝六年冬。京の信徳ともう一人京から来た千春との三吟歌仙になる。
発句は、
わすれ草煎菜に摘まん年の暮 桃青
で、もう暮れも押し迫った「年忘れ」の頃の興行であろう。
忘れ草は萱草(かんぞう)のことだと言われている一方で「しのぶ草」の別名とも言われている。これだとシダの一種になる。
『伊勢物語』百段に、
忘れ草おふる野辺とは見るらめど
こはしのぶなりのちも頼まむ
の歌がある。
『菟玖波集』の、
草の名も所によりてかはるなり
難波の葦は伊勢の浜荻 救済
の句も、心敬の『筆のすさび』に、
草の名も所によりてかはるなり
軒のしのぶは人のわすれか
という別解がある。
俳諧では後の『奥の細道』の旅の小松で興行された「しほらしき」の巻の二十九句目に、
恋によせたる虫くらべ見む
わすれ草しのぶのみだれうへまぜに 觀生
の句がある。これだとわすれ草とシノブを植え混ぜにするから別種と認識されている。
萱草の方は食べられる。ウィキペディアには、
「若葉は、おひたしにして、酢味噌で食べる。花の蕾は食用され、乾燥させて保存食(乾物)とする。中華料理では、主に「金針花」(チンチェンファ jīnzhēnhua)、「黄花菜」(ホワンホアツァイ huánghuācài)と称する花のつぼみの乾燥品を用い、水で戻して、スープの具にすることが多い。」
とある。
煎菜(いりな)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 ゆでて二、三寸くらいに切った菜を酒、しょうゆ、塩などで味をつけて煎りつけた料理。
※俳諧・俳諧一葉集(1827)「わすれ草煎菜につまん年の暮〈芭蕉〉 笊籬(いかき)味噌こし岸伝ふ雪〈千春〉」
とある。
年忘れに忘れ草を食べようという発句だが、「摘まん」だからまだ入手してないようだし、洒落で言っただけで本当に食べたわけではないのだろう。
脇。
わすれ草煎菜に摘まん年の暮
笊籬味噌こし岸伝ふ雪 千春
「笊籬(いかき)」はコトバンクの「世界大百科事典内の笊籬の言及」に、
「…水が漏れるところから,むだの多いことのたとえに〈ざるに水〉,へたな碁を〈ざる碁〉などという。10世紀の《和名抄》は笊籬(そうり)の字をあてて〈むぎすくい〉と読み,麦索(むぎなわ)を煮る籠としているが,15世紀の《下学集》は笊籬を〈いかき〉と読み,味噌漉(みそこし)としている。いまでも京阪では〈いかき〉,東京では〈ざる〉と呼ぶが,語源については〈いかき〉は〈湯かけ〉から,〈ざる〉は〈そうり〉から転じたなどとされる。…」
とある。味噌濾しのこと。煎った萱草の芽を味噌あえにして食べようというので、雪の降る岸に摘みに行く。
第三。
笊籬味噌こし岸伝ふ雪
浜風の碁盤に余る音冴て 信徳
あげはま(囲碁で取った相手の石)が碁盤の外でじゃらじゃら音を立てるが、それにも勝る浜風の音がして、岸にはまるで味噌漉しで篩ったような粉雪が降る。
四句目。
浜風の碁盤に余る音冴て
磯なれ衣おもくかけつつ 桃青
昔は賭け碁も多かった。なれた衣を賭けての勝負だが、負ければまっぱ?
「磯なれ」はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、
「潮風のために、木の枝や幹が地面にはうように生えていること。また、その木。
「をちこちに花咲きぬれば鷺のゐる―の松に見ぞ紛へける」〈散木集・一〉」
とある。馴衣(なれごろも)を導く枕になる。
五句目。
磯なれ衣おもくかけつつ
鼠とりこれにも月の入たるや 千春
前句を潮風でよれよれになった衣として、舞台を海から部屋のなかへ移動させる。
鼠捕りには升落としという罠をかけるものと殺鼠剤との両方がある。升落としは升に仕え棒して中の餌を食べると升が落ちるというもので、同じように籠を使って鳥をとらえる罠は古くからあったと思われるから、その応用になる。
衣類は鼠に食われやすいので、罠なのか薬なのかはよくわからないがその傍に置いておくが、月の光がさして罠が目立ってしまうと困る。うづらなく
六句目。
鼠とりこれにも月の入たるや
紙燭けしては鶉啼く也 信徳
『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、礼記「田鼠化して鶉トナル」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「(古代中国の俗信によることば) モグラがウズラになる。七十二候の一つで、陰暦三月の第二候をいう。《季・春》
※文明本節用集(室町中)「鶉 ウヅラ 田鼠化為レ鶉 田鼠蛙也」 〔礼記‐月令〕」
とある。ウィキペディアの「七十二候」によれば宣明暦「清明」の次候になる。渋川春海が「本朝七十二候」を定めたのは貞享の改暦(一六八四年)の時なので、この頃にはまだない。「本朝七十二候」だと「雁が北へ渡って行く」になる。
鼠捕りに月の光が射してきたので紙燭を消すと、鼠が「化(け)して」鶉になったのか鶉が鳴いている。「けして」が掛詞になる。
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