そういえば昨日は近所の河津桜が何輪か咲いていた、春は近い。
それでは「わすれ草」の巻の続き。
二表。
十九句目。
木具屋の扇沖の春風
住吉の汐干に見えぬ小刀砥 桃青
『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、
我が袖は汐干に見えぬ沖の石の
人こそしらねかはく間もなし
二条院讃岐(千載集)
の歌が引用されている。
汐干に見えぬ石を砥石のこととして、木具屋を導き出す序詞とする。
二十句目。
住吉の汐干に見えぬ小刀砥
箔の姫松縫ものをとく 千春
姫松は小松のこと。『伊勢物語』の一一七段に、
われ見ても久しくなりぬ住吉の
きしの姫松いくよ経ぬらむ
の歌がある。
前句の「小刀」を箔付けに用いる小刀とし、それで縫物をほどこうとして海に落としてしまった。
「小刀砥」は「小刀と」になり、「箔の姫松」はおそらくその小刀の名前だろう。
二十一句目。
箔の姫松縫ものをとく
ししばばに襁褓も袖も絞りつつ 信徳
「しし」は尿、「ばば」は糞。「襁褓(むつき)」はおむつのこと。
箔の姫松を女の名前として、縫物を解いていると抱いていた赤ちゃんがお漏らしして、おむつも袖も絞ることになる。
二十二句目。
ししばばに襁褓も袖も絞りつつ
枕ならべし腰ぬけの君 桃青
襁褓(むつき)には褌の意味もある。同衾していた御殿様が賊が押し入ったのかお化けが出たのか、とにかくびびって失禁脱糞し、褌と袖を絞る。
二十三句目。
枕ならべし腰ぬけの君
踏はづす天の浮はし中絶て 千春
春の夜の夢の浮橋とだえして
峰にわかるる横雲の空
藤原定家(新古今集)
を踏まえたもので、雲が切れたため雲の浮橋から落ちてしまい、夢とわかってもすっかり腰が抜けてしまった人よ、と女の方があきれている。
二十四句目。
踏はづす天の浮はし中絶て
脛の白きに銭をうしなふ 信徳
久米の仙人のよく知られた話だが、洗濯女はじつはあばずれで気を失っている間に銭を取られる。
久米の仙人については、コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「古代に伝承された仙人。《今昔物語集》巻十一によれば,昔,大和の国吉野に竜門寺という寺があり,安曇(あずみ)と久米の2人が仙術を修行していた。久米が飛行の術をえて空を飛び渡るとき,吉野川の岸で若い女が洗濯をしており,その白い〈はぎ〉を目にしたため彼は通力を失って落ちてしまう。久米はこの女を妻にし俗人として暮らしていたが,新都造営の人夫となり働くうち元仙人ということが伝わり,仙力で材木を空から運ぶよう命じられる。」
とある。
二十五句目。
脛の白きに銭をうしなふ
滑川ひねり艾に火をとぼし 桃青
前句をお灸でお金を支払ったとする。
滑川(なめりがわ)は鎌倉の朝比奈を水源として鎌倉市街の東を通り由比ガ浜と材木座海岸の間にそそぐ川だが、ここで滑る川という意味で滑って転んで足をひねって艾(もぐさ)に火をつけて、となる。
二十六句目。
滑川ひねり艾に火をとぼし
鶴が岡より羽箒の風 千春
鎌倉なので鶴ケ岡八幡宮。鶴の縁で羽。その羽箒で艾の灰を払ったり、風で煽って火加減を調整したりする。
二十七句目。
鶴が岡より羽箒の風
いはうきはう利久といつし法師有て 信徳
「いはうきはう」は已往既往で昔々ということ。「いつし」は「言ひし」が促音化したものか。鶴が丘は縁があるのかどうかわからないが、鶴の羽で作った羽箒は茶道で用いる。
二十八句目。
いはうきはう利久といつし法師有て
朝比奈の三郎よし秀の月 桃青
朝比奈三郎義秀はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「[生]安元2(1176)?
[没]建保1(1213)?
鎌倉時代初期の武士。和田義盛の3男,三郎と称した。鎌倉幕府御家人中で抜群の武勇をもって知られた。正治2 (1200) 年将軍源頼家が海辺遊覧の際,水練の技を披露せよと命じられ,水中深くもぐってさめを手取りにして人々を感嘆させたという。建保1 (13) 年5月父義盛が鎌倉で北条義時と戦ったとき (→和田合戦 ) ,和田方の勇士として奮戦し,将軍の居所の正面から攻め込み,多数の武士を倒した。敵兵は義秀の進路をつとめて避けたと伝えられる。和田方が敗北するに及び,義秀は海路安房国へ向って逃走したが,その直後に戦死したらしい。なお『源平盛衰記』は,和田義盛が先に木曾義仲の妾であった巴 (→巴御前 ) をめとって義秀が生れたと伝えているが,『吾妻鏡』に義秀は建保1年に 38歳とあることから,この説は成立しない。」
とある。利休とは時代が合わないが、前句を狂言の口調としての付けであろう。
二十九句目。
朝比奈の三郎よし秀の月
虫の声つづり置たる判尽し 千春
判尽しは花押集のことだと『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある。
「つづる」には書き記すという意味と綴じ合わすという意味があり、虫が糸で葉や米などを集めて繭を作ったりすることも「つづる」と言う。
月と虫の音が付け合いで、朝比奈三郎義秀に花押の判尽くしを付ける。
三十句目。
虫の声つづり置たる判尽し
いさご長じて石摺の露 信徳
「いさご長じて」は謡曲『氷室』に、
「さもいさぎよき、水底の砂(いさご)。長じてはまた、巌の陰より」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.5177-5180). Yamatouta e books. Kindle 版. )
とある。この言葉のもとになっているのは、
わが君は千代に八千代にさざれ石の
巌となりて苔のむすまで
よみ人しらず(古今集)
で、上五を「君が代は」に変えれば今の日本の国歌になる。ここでは石を導き出すための序詞として用いられている。
「石摺(いしずり)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「石碑の面や木,石に刻した文字の上に紙を当てて墨をつけ,刻まれた文字を写し取ったもの。いわゆる拓本摺 (→拓本 ) のこと。中国では古くから能書家の筆跡を手本や鑑賞のため,この方法で写し取ることが盛んであった。石摺を集めたものを法帖といい,五代の『昇元帖』,宋代の『淳化閣帖』などが早い作品として著名。」
とある。
判尽くしは石刷りで作られている。「虫の声」に「露」が付け合い。
「此梅に」の巻の七十句目の所でも述べたが、月→虫の声→露という古典のわりとありきたりな連想で句を繋いで、そこに朝比奈の三郎よし秀→判尽し→石摺というネタをつないでゆく。
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