今日は旧暦だと大つごもり。明日は旧正月で、中国では春節になる。俳諧の冬も今日で終わり。王子では狐火が現れるって本当かな。
新暦では神武建国の日で明治帝国憲法発布の日でもある。そういえば建国の日におにぎりをっていつの間にかぽしゃっちゃったかな。
大会組織委員会の会長に限らす、組織のトップというのは日本ではこっくりさん(Table-turning)の硬貨のようなものだ。みんなが指でおさえ、それぞれの思惑で引っ張ろうとする、その力の均衡がどちらに偏るかで方針が決まってゆく。だからトップの発言なんて誰もそんなに気にしてはいない。全く違う原理で硬貨は動いているからだ。これが「絶対無」の皇帝がいるだけで誰も王様になれない国の政治だ。どうやら新しい硬貨が決まったようだ。
それでは「塩にして」の巻の続き。挙句まで。
二裏。
三十一句目。
後家を相手に恋衣うつ
去男かねにほれたる秋更て 桃青
後家さんの所に通うのは、後家さんの持っている財産に惚れたからだった。
三十二句目。
去男かねにほれたる秋更て
鶉の床にしめころし鳴ク 春澄
「鶉の床」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 鶉の臥(ふ)す床。草むらのこと。《季・秋》
※月清集(1204頃)百首「深草やうづらのとこはあとたえて春の里とふ鶯のこゑ」
② むさくるしい寝床。旅の仮り寝などにいう。」
とある。
金欲しさに殺しちゃうのか。それはヤバすぎる。
『校本芭蕉全集 第三巻』の注には「しめころし」は「閨中の秘戯」とある。確かに首を絞めると気持ちいいという俗説はあるようだが、失神して意識が遠くなるだけで非常に危険なので絶対にやらないこと。柔道の「絞め落とし」と同じ。
三十三句目。
鶉の床にしめころし鳴ク
産出すを見ぐるし野とや思ふらん 似春
栗栖野(くるすの)はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「京都市北区の歴史地名。北野・紫野などの平安京近郊の野のうちの一つ。平安時代初期に遊猟地としてみえ,近郊として宮廷の氷室(ひむろ)が設けられたり官窯が営まれたりしている。とくに栗栖野瓦窯は著名で,ここでの生産と思われる〈栗〉印の瓦が平安京跡からいくつか発見されていて,史跡に指定されている。中世にも近郊の勝地として親しまれたらしく,洛北七野の一つとして萩の名所でもあった。なお洛東にも栗栖野の地名がみられ(伏見区小栗栖),よく両者は混同されるが北区のそれのほうがより著名であったようだ。」
とある。この栗栖野に掛けて「みぐるし野」とする。
これも生み出してすぐに絞め殺すということか。当時捨て子は犯罪ではなかったし、捨子を収容する施設もなかった。
三十四句目。
産出すを見ぐるし野とや思ふらん
きせうものなき天のかぐ山 桃青
「きせうもの」は「着せるもの」のウ音便化したものか。
天の香具山はウィキペディアに、
「天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり1つが大和国「天加具山」になったと『伊予国風土記』逸文に記されている。また『阿波国風土記』逸文では「アマノモト(またはアマノリト)山」という大きな山が阿波国(徳島県)に落ち、それが砕けて大和に降りつき天香具山と呼ばれたと記されている、とされる。」
とある。産み落とされたばかりの香具山に、やはり霞の衣を着せてやらなくてはならない。
「しめころし」の物騒な雰囲気から神話に転じて何とか逃れる。
三十五句目。
きせうものなき天のかぐ山
さほ姫のよめり時分も花過て 似春
「よめり」は嫁入り。
桜の季節が過ぎると霞もたなびかなくなり、天の香具山も裸になる。
春澄の順番だが十七句目で花の句を詠んでいるので、ここは似春に譲ったか。
挙句。
さほ姫のよめり時分も花過て
古巣にかへる仲人の鳥 春澄
『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、
花は根に鳥はふるすに返なり
春のとまりを知る人ぞなき
崇徳院(千載集)
の歌を引いている。佐保姫の嫁入りの仲人を務めた鳥も巣に帰って行く。「帰る」というところで、自身の京への帰還を重ね合わせて一巻は終わる。
談林の俳諧は庶民の生きた現実の世界を解放したが、時になまなましい話題にもなる。やがて芭蕉は古典へ回帰してゆくことで古人の風雅の心を学びつつ、「軽み」の風を打ち出すあたりから、生きた現実の世界を描きながらも古人の風雅の精神を失わないような地点を求めてゆくことになる。
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