寒い日が続くね。
去年の暮に月間ムーの編集長がラジオに出てきて、東京オリンピックはないと予言してたから、ずっとないものだと思ってたけどね。
森元(元首相だからネットではそう呼ばれている)があの失言でもやめないのは、多分誰も後釜になりたくないからだと思う。つまりオリンピックの中止を決定する張本人になりたくないから、最後まで森元に押し付けようというのではないかと思う。
さて、「わすれ草」の巻と同じ延宝六年の冬。少し前になると思うが、松島行脚から戻る途中の京の春澄(はるずみ)を迎えての三吟歌仙をこの冬の最後にしようと思う。
発句。
塩にしていざことづてん都鳥 桃青
言わずと知れた『伊勢物語』の在原業平の歌、
名にし負はばいざ言問はむ都鳥
わが思ふ人はありやなしやと
によるものだが、このあと春澄が京へ戻るというので、都鳥を塩漬けにしてお土産に持たせたいというものだ。
もちろん冗談で、ユリカモメを食べる習慣はない。
脇。
塩にしていざことづてん都鳥
只今のぼる波のあぢ鴨 春澄
都鳥は食べないけどあぢ鴨(トモエガモ)は美味なので、都鳥は言伝だけにして、ただいまトモエガモが都へと上ります、とする。ウィキペディアには、
「食用とされることもあった。またカモ類の中では最も美味であるとされる。そのため古くはアジガモ(味鴨)や単にアジ(䳑)と呼称されることもあった。 アジガモが転じて鴨が多く越冬する滋賀県塩津あたりのことを指す枕詞「あじかま」が出来た。」
とある。
あぢかまの塩津を指して漕ぐ船の
名はのりてしを逢はざらめやも
よみ人しらず(万葉集)
の歌がある。
春澄は京に戻ったあと、信徳編の『俳諧七百五十韻』(延宝九年刊)に参加する。これに答えて江戸で桃青・其角・才丸・揚水の四人で残り二百五十韻を詠んだのか『俳諧次韻』だった。
第三。
只今のぼる波のあぢ鴨
川淀の杭木や龍のつたふらん 似春
『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、
吉野なる夏箕の川の川淀に
鴨ぞ鳴くなる山陰にして
湯原王(新古今集)
の歌があり、川淀と鴨の縁がある。前句の「のぼる」に「龍」が付くことで、龍が川淀の杭を伝って登る、となる。
似春はコトバンクの「朝日日本歴史人物事典の解説」に、
「没年:元禄年間?(1688~1704)
生年:生年不詳
江戸前期の俳人。通称は平左衛門。俳号は初め似春,晩年に自準と改める。別号,泗水軒。京都大宮に住したようだが,のち江戸本町に移る。晩年は下総行徳で神職に就く。俳諧は初め北村季吟に学び,のち西山宗因に私淑する。『続山井』(1667)以下季吟・宗因系の選集に多くの入集をみている。江戸に移住後は,松尾芭蕉とも交わり,江戸の新風派として活躍した。延宝7(1679)年冬,上方に行脚,諸家と連句を唱和して『室咲百韻』(『拾穂軒都懐紙』とも)を編み,帰府後には『芝肴』を編んでいる。晩年は隠遁,清貧を志向し,「世をとへばやすく茂れる榎かな」などの句を残している。」
とある。言水編『東日記』(延宝九年刊)に、
世をいとふ心はあれど猶はた物
くらふ事のあまり成をにくみて
かくれ家や蚤の心を種として 似春
酒遠しわすれぬ柚子を吹嵐 同
の句がある。
四句目。
川淀の杭木や龍のつたふらん
千年になる苔みどり也 桃青
山深い手つかずの森であろう。岩や倒木は苔むしていて、こういうところなら龍が潜んでいてもおかしくない。
五句目。
千年になる苔みどり也
まだとはばいかなるうそを岩根の月 春澄
千年の苔と岩根の縁は、
常磐なる山の岩根にむす苔の
染めぬ緑に春雨ぞ降る
藤原良経(新古今集)
の歌にもある。
謡曲では「岩根」は「居る」に掛けて「しばし岩根の松ほどに」(『通盛』)とも用いられているが、ここでは「嘘を言う」に掛けて用いられている。「いかなるうそを岩根の月」は「いかなるうそを言う、岩根の月」となるが、これは反語で、千年の苔の緑は嘘ではないと、月も証明してくれる、となる。
六句目。
まだとはばいかなるうそを岩根の月
高う吹出す山の秋風 似春
前句の反語を疑問に取り成し、どんな嘘をついたのか、山の秋風までが吹き出して大笑いしている。
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