今日は雨だが夕方になって急に晴れた。
ウイグルもチベットもモンゴルも、大事なのは彼らの先祖代々住んできた土地を取り返す事であって、彼らを日本に連れてくれば問題が解決するというもんではない。こうしているうちにもモンゴルの草原は悪漢どもによって砂漠に変えられてゆく。
大体彼らを日本に亡命させて、どこで遊牧させるというのだ。待っているのは劣悪な賃金労働だけだ。例によって左翼はその怒りのエネルギーで日本に革命が起こせるとでも思ってるのだろう。
それでは「三冊子」の続き。
「師はいかなる人ぞ、連俳直一也。心詞共に連歌有。俳諧有。心は連俳に渡れども、詞は連俳別て、むかしより沙汰仕をける事共有。俳無言と云書に、聲に云詞都而俳言也。連歌に出る聲のものあれども、俳言の方也。屏風、拍子、律の調子、例ならぬ、胡蝶など云類也。千句連哥に出る鬼女、龍、虎その外千句のものゝ詞俳言也。連歌に嫌ふ詞の櫻木、飛梅、雲の峯、霧雨、小雨、門出、浦人、賎女などの詞、無言抄にも紹巴の聞書等にも數多みへ侍る。か様みな俳言也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.85~86)
風雅の誠に至った時、すべてが語りつくされた感もある。ここからは、俳諧に限定された議論になる。まずは俳諧で用いられる言葉に関するもので、雅語と俳言の問題へと進む。
連歌と俳諧は共に風雅の誠から生じるものとして、その根は一つとなる。ただ、心は連歌俳諧共通していても、用いる言葉は違っている。
当時の基本的な通念からすれば、連歌は雅語で作るもので、俳諧はそれに俗語を交えたものだった。俳諧に用いられる俗語は俳言とも呼ばれた。
「俳無言」は『俳諧無言抄』(宗因著、延宝二年刊)のことであろう。先に「京」の「俳諧」の項に触れたが、同書の「京」の「俳言」の項に、
「こゑの字なへて俳也。屏風、几帳、拍子、律の調子、例ならぬ胡蝶、かやうの物は連哥に出れと、こゑの字は俳言になると云にならひて俳言をもつ也。又千九連哥に出ぬる鬼女、龍、虎、その外千句の詞、俳言也。又連哥嫌詞の分、桜木、飛梅、雲峯、霧雨、小雨、門出、浦人、賤の女なとの詞、無言抄にも紹巴の聞書等にもあまた見え侍也。かやうの物、皆俳言也と知へし。」(信大・医短・紀要Vol.8,No.1,1982『俳諧無言抄 翻刻と解説その一、翻刻』より)
とある。
「聲に云詞都而俳言也」の「都而」は「すべて」と読む。「なへて」と同じ。「聲に云詞」「こゑの字」は口語と見ていいだろう。声に出して用いられている言葉という意味だ。八代集の和歌の言葉である雅語と対比して用いられているのだろう。
「名にめでゝおれるばかりぞ女郎花
我落にきと人にかたるな
此句僧正遍照さが野の落馬の時よめる也。俳諧の手本なり。詞いやしからず、心ざれたるを上句とし、詞いやしう、心のざれざるを下の句とする也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.86)
上句は俗語は入らないが女郎花に女とを掛けた部分は戯れている。下句は「落ちにき」が落馬という和歌に用いぬ題材とそれに俗語の「女の許に落ちる」に掛かっているので「詞いやしう」になる。この歌は古今集の秋の所にある。
「先師のいはく、いにしへの俳諧哥雜躰あまたなれども、まめやかに思ひ入たる躰、
おもふてふ人の心のくまごとに
立かくれつゝ見るよしもがな
冬ながらはるの隣のちかければ
なか垣よりぞ花は咲ける」
「おもふてふ」の歌は古今集の「誹謡歌」でよみ人しらず。民謡のような伝承歌なのだろう。「くま」は「こもる」と同系の詞で、隠されている、暗がりにある、ということで、熊野も隠れ里という意味があったのだろう。今日でも目の周りが黒くなることを「目にくまができる」という。
好きだと言ってくれる人に何か隠し事があると思うたびに、それを物陰からこっそり覗いてみたいものだ、という歌だ。
「冬ながら」の歌も「誹謡歌」だが、
明日春立たむとしける日、
隣の家の方より、
風の雪を吹き越しけるを見て、
その隣へよみて遣はしける
冬ながら春の隣の近ければ
中垣よりぞ花は散りける
清原深養父
と前書きと作者名が記されている。「春の隣」は春が近いと隣の家とを掛けていて、おそらく「中垣」は雅語というよりは「ただごと」に近いのだろう。
雪を花にたとえるのは、古今集の春に、
雪の木に降りかかれるをよめる
春たてば花とや見らむ白雪の
かかれる枝にうぐひすの鳴く
素性法師
の歌がある。雪に鶯は和歌だが、隣の中垣の花は卑俗な事象に落とすということで俳諧になる。
「又いはく、春雨の柳は全躰連歌也。田にし取鳥は全く俳諧也。五月雨に鳰の浮巣を見に行くといふ句は詞にはいかいなし。浮巣を見にゆかんと云所俳也。又、霜月や鴻のつくづく双居て、と云發句に、冬の朝日のあはれ也けり、といふ脇は心詞ともに俳なし。ほ句をうけて一首のごとく仕なしたる處俳諧なり。詞に有んに有。其他この句の類作意に有。信所一筋に思ふべからずと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.86~87)
春雨に柳は和歌にも詠まれている。
延喜の御時屏風に
春雨の降りそめしより青柳の
絲の緑ぞ色まさりける
凡河内躬恆(新古今和歌集)
これが連歌発句だと、
春雨をあはをによれる柳哉 宗祇
となる、「あはを」は淡緒で細い糸のことだが、「あは」は「淡雪」の「あは」で、「を」は「玉の緒」の「を」で八代集に用例がある。
これが俳諧発句になると、
八九間空で雨降る柳かな 芭蕉
になる。「八九間」は俳言になる。また、雨降るが実際の春雨ではなく、柳の糸を雨に喩えた、「雨」を虚とするところに俳諧がある。
これに対し「田にし取鳥」は和歌でも連歌でも題材とされることはなかったという点で俳諧となる。田螺を詠んだ発句はあるが田螺に鳥はさすがにありきたりなのか、
古郷を思ひ出るや田にしぬた 言雀(東日記)
賤の子の泥干遊びや田にし潟 立吟(同)
贈洒堂
湖水の礒を這出たる田螺一疋、芦間の蟹のは
さみをおそれよ。牛にも馬にも踏まるゝ事な
かれ
難波津や田螺の蓋も冬ごもり 芭蕉
のような句はある。付け句では、
編笠しきて蛙聴居る
田螺わる賤の童のあたたかに 桐葉
の句がある。
「五月雨に鳰の浮巣を見に行くといふ句は詞にはいかいなし。浮巣を見にゆかんと云所俳也。」は貞享四年の、
露沾公に申し侍る
五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん 芭蕉
の句を指す。江戸にいた時の句で、『鹿島詣』の旅はまだ三か月先なので、どこの鳰の浮巣を見に行くのかはわからない。何かしら寓意があって「見にゆかん」だったのだろう。
「又、霜月や鴻のつくづく双居て、と云發句に、冬の朝日のあはれ也けり、といふ脇は心詞ともに俳なし。」
とあるのは、『冬の日』の、
田家眺望
霜月や鸛の彳々ならびゐて 荷兮
冬の朝日のあはれなりけり 芭蕉
で、発句は「霜月」も「鸛」も「彳々」も雅語ではないし、最後の「て」留にも俳諧がある。これに対してあえて「て」留を生かして、和歌のような続きで無俳言で応じる所に逆説的な意味で俳諧がある。
「朝日」は、
朝日さす峰のつづきは芽ぐめども
まだ霜深し谷の陰草
崇徳院御歌(新古今集)
の歌がある。
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