月もすっかり丸くなった。ちょっとまた寒さが戻っている。
日本の経済が停滞している原因のもう一つはやはり学校教育だろう。日本の教育は工場や炭鉱での均質な労働者を作るための明治時代の教育から何一つ変わっていない。今の日本の教育では「稼ぐ力」は何一つ身につかなくて、大学を出ても何をやっていいかわからない。企業の研修でやっと何とか仕事はできるようになるが、稼ぐ力はついていない。
学校の教師も校長先生ももう何世代も入れ替わっているのに、何で学校というところは変われないのか。それは一つに労働者教育に固執する人たちが教育現場に居座っているからではないかと思う。それがどういう人たちかはわかると思う。教師だけでなく、官僚もまた資本主義に反対する人たちが集まりやすい。あの出会い系にはまって辞めさせられた人を見ればわかることだ。
何のことない。かつての軍国主義教育が戦後になって革命の主体を作る教育に変わっただけだ。
あと、それと関係ないけど、昨日ちょっと触れた貞享元年大垣での「師の桜」の巻を鈴呂屋書庫にアップした。よろしく。
それでは「三冊子」の続き。
「脇は亭主のなす事むかしより云。しかれども首尾にもよるべし。客は句とて、むかしは必、客より挨拶第一にほ句をなす。脇も答るごろくにうけて挨拶を付侍る也。師のいはく、脇、亭主の句を云る所、則挨拶なり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.95)
脇は亭主、つまり会場の提供者、ホストが付け、発句は客、つまりゲストが詠むというのが興行での基本になるが、もちろん必ずというわけではない。「首尾」というのはコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「1 始めと終わり。始めから終わりまで。終始。「首尾を整える」
2 物事の成り行きや結果。「事の首尾を説明する」「首尾は上々」
3 物事がうまくまとまるように処理すること。「会えるようにうまく首尾してやる」
とある。その場の成り行きでは、ということであろう。
たとえば貞享四年、『笈の小文』の旅で尾張鳴海の菐言亭で行われた興行は、
京まではまだなかぞらや雪の雲 芭蕉
千鳥しばらく此海の月 菐言
小蛤ふめどたまらず袖ひぢて 知足
とゲストの芭蕉が発句を詠み、亭主の菐言が脇を付ける。
その翌日如意寺如風亭で興行は、
めづらしや落葉のころの翁草 如風
衛士の薪と手折冬梅 芭蕉
御車のしばらくとまる雪かきて 安信
と亭主が発句を詠み、ゲストの芭蕉が脇を付けている。これは知足亭で如風が詠んだ発句があったため、それを立句としての興行だった。
この後の名古屋荷兮亭での興行は、
凩のさむさかさねよ稲葉山 落梧
よき家続く雪の見どころ 芭蕉
鵙の居る里の垣根に餌をさして 荷兮
だったが、これは芭蕉が名古屋に来ていると聞いて岐阜から落梧がわざわざ訪ねて来たため、落梧を発句とし、芭蕉を脇とし、亭主の荷兮が第三を付けている。
旅立ちの時の餞別の場合は餞別句が発句となり、旅立つ人が脇になる。『笈の小文』の旅立つ芭蕉への送別として露沾邸で興行された時は、
時は秋吉野をこめし旅のつと 露沾
鳫をともねに雲風の月 芭蕉
となる。
『奥の細道』の旅の山中温泉で曾良が先に伊勢長島へ向かうときには、
馬かりて燕追行別れかな 北枝
花野みだるる山のまがりめ 曾良
月よしと角力に袴踏ぬぎて 芭蕉
と北枝が餞別句を詠み、曾良がそれに答えている。
「雪月花の事のみ云たる句にても、あいさつの心也との教也。ほ句に三月に渡る景物出る時は、わきにて當季を定むべし。是は連歌の習也。俳にも其心遣ひ也。師のいはく、ほ句に、神祇、尺教其他一事ある時は應じて脇すべし。たとへ詞に出さずとも心にはあるべし。但水祝などの季一通りにして云句は、脇に戀なくてもあるべし。たゞほ句に依べし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.95)
これは例えば『炭俵』の「雪の松」の巻は、
雪の松おれ口みれば尚寒し 杉風
日の出るまへの赤き冬空 孤屋
で、発句は雪の松の寒々とした景を詠んだだけで挨拶の寓意を欠いているが、脇は発句を「寒いね」という挨拶として捉え、寒いけど赤い空に雪も止んで暖かくなるといいですねという気持ちを込める。実際に日の出る前に興行をしたわけではないだろう。景に景を付ける中にも挨拶の心は忘れない。
元禄四年堅田での興行は、
堅田既望
安々と出でていさよふ月の雲 芭蕉
舟をならべて置わたす露 成秀
で、発句はちょうど折から十六夜の月がそれほど待たずに出てきたものの、すぐに雲に隠れてしまいましたね、という見たものそのまんまの特に寓意のない発句に、「舟をならべて」とみんなここに集まって芭蕉さんを待ってたのですよと、挨拶で応じている。
『ひさご』の「木の本に」の歌仙も、
花見
木のもとに汁も膾も桜かな 芭蕉
西日のどかによき天気なり 珍碩
というメインの料理だけでなく脇役の汁も膾もみんなここでは桜のように輝いているということで、花を見る心に貴賤の差はなく、花のもとではすべての人が等しくなるという発句に対し、本当に長閑で良い天気ですねと挨拶の心で応じている。
「ほ句に三月に渡る景物出る時は、わきにて當季を定むべし」というのは実際にはそんなに守られていない。三月に渡る景物で応じることも多い。
何の木の花とは知らず匂ひ哉 芭蕉
こゑに朝日をふくむ鶯 益光
も「鶯」は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』では「兼三春物」とされている。
無季の句も無季で応じるように、三期の句は三期の句で応じないと、発句の季の不備を咎めているようでかえって失礼なのではないかと思う。
無季に無季で応じる例は、
何となふ柴ふく風もあはれなり 杉風
あめのはればを牛捨にゆく 芭蕉
かちならば杖つき坂を落馬哉 芭蕉
角のとがらぬ牛もあるもの 土芳
などがある。
「ほ句に、神祇、尺教其他一事ある時は應じて脇すべし」の神祇の例としては、『笈の小文』の旅の途中、熱田での、
ふたたび御修覆なりし熱田の社にまうでて
磨なをす鏡も清し雪の花 芭蕉
石敷庭のさゆるあかつき 桐葉
の句がある。玉砂利を敷き詰めた境内の身が引き締まるような寒さで、発句の厳粛な雰囲気を受ける。
また、元禄元年の暮、
皆拝め二見の七五三をとしの暮 芭蕉
篠竹はこぶすすはきの風 岱水
の句も、すす払いで清める様で伊勢の神風の清さに重ねている。
釈教は談林の句だけど、
いと凉しき大徳也けり法の水 宗因
軒を宗と因む蓮池 磫畫
の例がある。発句の「法の水」に「蓮」で応じる。
「水祝」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 婚姻習俗の一つ。婚礼の時、または翌年の正月に、親戚・友人などが集まって、新郎に水を浴びせて祝福するもの。転じて、新郎・新婦に対して若者が水をかけて囃し、騒ぐこと。水浴びせ。水浴ぶせ。水かけ。水かけのことぶき。水かけ祝。水の賀。《季・新年》
※俳諧・時勢粧(1672)一「かごと計かけしや聟の水祝〈風虎〉」
とある。風虎は内藤風虎で陸奥国磐城平藩三代藩主内藤義概で宗因に俳諧を学んだ。露沾の父になる。
其角の『五元集』にも、
こなたにも女房もたせん水祝 其角
の句があるが、脇は不明。
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