鈴呂屋書庫の方に「あら何共なや」の巻と、貞享二年春の「何とはなしに」の巻、「つくづくと」の巻をアップしたのでよろしく。今年に入ってたくさん俳諧を読むことができた。ゆくゆくは芭蕉の全付け句を制覇して、発句と紀行文だけで芭蕉研究が成り立ってた時代を終わらせたいね。
あと、Madmans Espritというバンドはなかなか良い。韓国にもヴィジュアル系があるというのを知った。日本語の曲もあった。ms.isohp romatem(ミス・イソフ・ロマテム)もなかなか良い。
それでは「わすれ草」の巻の続き。挙句まで。
二裏。
三十一句目。
いさご長じて石摺の露
どんよなも今此時をいはひ哥 桃青
「どんよな」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「鈍なひと。間抜け者の意か。」とある。これだと関西弁の「どんくさい」に近いと考えていいのだろう。「よな」は終助詞「よ」+終助詞「な」で、謡曲にも「狂うよな」「をかしいよな」「ありけるよな」「八騎よな」「討手よな」などの言い回しが見られる。「鈍(どん)」だけで鈍くさい奴という意味があって、「よ」+「な」にさらに「も」のついた形かもしれない。
まあ馬鹿でもチ〇ンでもというような意味合いで「鈍」でも今この時は祝い唄、でそれが君が代とちょっと違ってて「いさご長じて石摺」になってしまったということなのだろう。
なお、余談だが「馬鹿でもチ〇ンでも」という言葉はウィキペディアに、
「元々「チョン」は江戸言葉であり、その原義は「半端者」などの意味で使われてきた。
公益役職などにおける役務を帳票に記す際、筆頭名主は役職名と姓名を記したのに対して、筆頭以下の同役に対しては「以下同役」の意味で「ゝ(ちょん)」と略記したうえで姓名を記したことに由来し、「取るに足らない者・物」を意味した。この表現は、明治初期に書かれた『西洋道中膝栗毛』(1870年)においても、「馬鹿だのチョンだの野呂間(ノロマ)だの」などと言ったかたちで用いられてきた。」
とある。
筆者の感覚だと馬鹿チョンのチョンが朝鮮人に結び付けられるようになったのはわりと最近で、多分九十年代以降だと思う。
三十二句目。
どんよなも今此時をいはひ哥
園生の末葉ならす四竹 千春
『校本芭蕉全集 第三巻』の注に『徒然草』の第一段の「御門(みかど)の御位は、いともかしこし。竹の園生(そのふ)の、末葉(すゑば)まで人間の種ならぬぞ、やんごとなき。」を引用している。
「四竹(よつだけ)」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、
「日本の伝統楽器の一つ。竹製の打楽器で、太い竹を四つに割って削り、両手にそれぞれ二枚ずつ持ってカスタネットのように打ち合わせて鳴らす。主として民俗芸能において用いられ、さらには猿回しや女太夫(たゆう)、住吉(すみよし)踊などの舞踊に用いられる。歌舞伎(かぶき)の下座(げざ)音楽では舞踊と同様、門付(かどづけ)や大道芸人などの出る場面のほかに、下町の裏長屋などの貧しい家の場面に用いている。[渡辺尚子]」
とある。
園生の末葉の鈍までも祝い唄を歌って四竹を鳴らす。
三十三句目。
園生の末葉ならす四竹
馴てやさし乞食の妹背花に蝶 信徳
乞食の結婚を祝言風に言う。
三十四句目。
馴てやさし乞食の妹背花に蝶
うぐひす啼てこものきぬぎぬ 桃青
「きぬぎぬ」は後朝という字を当てるが、元の意味は重ねてあった衣と衣をそれぞれ着て、という意味。乞食だから重ねてあった「薦(こも)」を着る。
芭蕉の元禄三年に発句に、
薦を着て誰人います花の春 芭蕉
というのがある。
三十五句目。
うぐひす啼てこものきぬぎぬ
思ひ川垢離も七日の朝霞 千春
思ひ川は「おもひかはす」と掛けてできた言葉か。「垢離」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「仏教用語。水で清めてあかを取去ること。山伏や修験者が神仏に祈願するとき,冷水や海水を浴びて身を清めることをいう。」
とある。
前句の「こものきぬぎぬ」を修行中の乞食坊主とする。
挙句。
思ひ川垢離も七日の朝霞
南無や稲荷の瀧つせの春 信徳
稲荷の瀧は、『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、
稲荷の神庫に、女の手にて書き付けてはべりける
滝の水かへりて澄まば稲荷山
七日のぼれるしるしと思はむ
よみ人しらず(拾遺抄)
によるとある。稲荷山は京都の伏見大社の裏にある。お稲荷さんも神仏習合の時代には「南無稲荷大明神」と呼ばれた。
神仏の加護ある春ということで目出度く一巻は終わる。
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