2022年11月30日水曜日

 それでは「隨縁紀行」の続き。

  「原回頭
 朝霧や空飛ッ夢を富士颪    晋子
 富士は常雪半面や秋の色    キ翁

   富士川渡航
 不盡や笠赤蜻蛉のわたる空   横几

   清見
 あかつきの鹽やき遠し荻の色  岩翁
 ほと鴫の渡るも淋しきよみかた 尺草

   しつはた
 紙子屋に冬はと問し山路哉   尺草

   うつの山
 袖にたく香爐や消ん蔦の道   キ翁
 小手袖の襦袢うつなりつたの道 横几
 御所柿をしらで過けりうつの山 尺草
 うらがれや馬も餅くふうつの山 晋子」

 ずっと発句が並ぶ。

   原回頭
 朝霧や空飛ッ夢を富士颪    晋子

 題の「回頭」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「回頭」の解説」に、

 「① 頭をめぐらすこと。ふりむくこと。
  ※正法眼蔵(1231‐53)仏性「長老見処麽と道取すとも、自己なるべしと回頭すべからず」
  ② 船、飛行機などが進路を変えること。変針。転進。
  ※官報‐明治三七年(1904)六月二七日「我艦隊は一斎に右八点に回頭し」

とある。
 沼津では富士山は愛鷹山に隠れてよく見えないが、原の辺りに来るとよく見えるようになる。その辺りで富士山の方を向いてということか。
 三島から原までは三里くらいで、暗いうちに三島を出たなら、朝霧が晴れる頃だ。
 朝霧の中ではどのみち手前の愛鷹山も見えないが、心の中では空を飛んで富士の姿を思い浮かべる。
 芭蕉の『野ざらし紀行』の、

 霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き 芭蕉

の句を思い出させる。

 富士は常雪半面や秋の色    キ翁

 富士山はだいたい上半分だけが雪になっている。夏は雪がないので、半分雪が積もり富士山らしくなり、麓の方が赤く染まると秋の色になる。

   富士川渡航
 不盡や笠赤蜻蛉のわたる空   横几

 赤蜻蛉は「あかとんばう」であろう。富士川の河原には赤蜻蛉が飛び回っていたのだろう。
 富士山に笠雲がかかる時は風が強い。晋子(其角)の句にも富士颪とあるから、下界も風が強かったのだろう。

   清見
 あかつきの鹽やき遠し荻の色  岩翁

 沼津から由比までは九里強で、多分そこで一泊して暁に薩埵峠を越えたのだろう。この時代の清見潟で実際に塩焼きをしてたかどうかは分らないが、家々から煙が昇る時間に峠を越えたのではないかと思う。

 ほと鴫の渡るも淋しきよみかた 尺草

 ほと鴫はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ぼと鴫」の解説」に、

 「① 鳥「やましぎ(山鴫)」の異名。
  ※俳諧・毛吹草(1638)二「八月〈略〉鴫つき網 〈略〉 ぼとしぎ」
  ② =かやくぐり(茅潜)」

とある。ウィキペディアには、

 「日本では北海道で夏鳥、本州中部以北(中部・東北地方)と伊豆諸島で留鳥、西日本では冬鳥である。」

とあるが、江戸時代の寒冷期には東日本でも冬鳥だったか。秋も終わりになって清見潟に渡ってきている。

   しつはた
 紙子屋に冬はと問し山路哉   尺草

 「しつはた」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「倭文機」の解説」に、

 「〘名〙 (古くは「しつはた」) 倭文を織る織機。また、それで織った織物。しず。
  ※書紀(720)武烈即位前・歌謡「大君の 御帯の之都波(シツハタ) 結び垂れ 誰やし人も 相思はなくに」

とある。ここでは紙子のことか。
 紙子は風を遮るので冬の防寒具として優れている。山路は宇津の山の山路で、丸子宿あたりか。

   うつの山
 袖にたく香爐や消ん蔦の道   キ翁

このあと、宇津の山が四句続く。
 宇津の山越えは蔦の細道とも呼ばれていた。『伊勢物語』九段に、

 「わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦かへでは茂り、もの心ほそく、すずろなるめを見ることと思ふに」

とあることから来ている。
 ここまで来ればさすがの在原業平の香を焚き込んだ袖の香も消えてしまったことだろう。

 小手袖の襦袢うつなりつたの道 横几

 小手袖はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「籠手袖・小手袖」の解説」に、

 「① 当世具足の袖の一種。籠手の、肘(ひじ)から上の部分に取りつけた袖。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ② 武具の籠手袋のように袖口を細く先すぼみに仕立てた袖。
  ※談義本・遊婦多数寄(1771)三「猿若勘三が小手袖の衣にてかるわざがあたった評判」

とある。ここでは②の方か。袖口の細い襦袢を砧で打つのを宇津の地名に掛けたのだろう。

 御所柿をしらで過けりうつの山 尺草

 御所柿は奈良の御所で作られた完全甘柿。木練柿ともいい、枝になった状態で既に甘柿になっている。この時期は宇津の辺りでも作られるようになったか。知ってたら食べたのに。

 うらがれや馬も餅くふうつの山 晋子

 うらがれはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「末枯」の解説」に、

 「〘自ラ下一〙 うらが・る 〘自ラ下二〙 (「うら」は「すえ」の意)
  ① 草木の先の方が色づいて枯れる。《季・秋》
  ※歌仙本人麿集(11C前か)下「我せこを我が恋をれば我宿の草さへ思ひうら枯に鳧(けり)」
  ※太平記(14C後)二「岡辺の真葛裏枯(ウラカレ)て、物かなしき夕暮に」
  ② 声がかれる。かすれる。
  ※浮世草子・西鶴織留(1694)六「こはつきも舌ばやにうらがれ、かくもいやしく成物かな」
  ※夜行巡査(1895)〈泉鏡花〉二「泣出す声も疲労のために裏涸(ウラカ)れたり」
  ③ うらぶれる。うらぶれてわびしいさまである。」

とある。ここでは季語で、①の意味になる。
 草が枯れて馬も食う草がないから茶店の餅を食っている、ということで、本当か?話を作ってないか?と首をひねらせるあたりが其角の持ち味といえよう。

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