2022年11月15日火曜日

 筆者も左翼の家庭に育った者として、そろそろラスボス戦に挑む時が来たのかもしれない。つまり「資本論」を攻略すべき時が。
 それが二十世紀の共産主義がもたらした数々の虐殺への、元共産主義者としての責任に他ならない。

 マルクスは結局拡大再生産が富をもたらすということを理解してなかったとしか思えない。
 多分マルクスは生産性の向上は資本主義的拡大再生産とは別個の所で起きる、単純で偶発的な発明にすぎないとでも思っていたのだろう。
 そうではなく、剰余価値を更に生産性を高めるための技術開発や新たな生産システム構築に充てるがゆえに、資本主義は生産性を飛躍的に高めて行くシステムになった。
 労働価値説の見地では、剰余価値を含めた全生産物の商品価値と労働者への賃金は等しくならなくてはならない。つまり剰余価値をすべて労働者に還元することを要求し、それを怠ることは搾取であると断罪する。これでは拡大再生産は生じず、資本を単純再生産に縛り付けることになる。そこには経済成長はない。
 マルクスの時代の産業革命がもたらした豊かさは、たまたま起こった発明によるもので、その豊かさが労働者に還元されてないから、それは疎外であり搾取であると断罪した。
 だが、実際には資本主義はその過酷な競争の中で、より生産性を高める発明を求め、より生産性の高い効率の良い生産手段を開発することで急成長をもたらした。マルクス主義はその好循環を否定する思想だったなら、マルクス主義にもはや未来を託すことは危険以外の何物でもない。
 マルクスが描いた共産主義が、経済にブレーキをかけ、その停滞した富を再分配するだけのシステムだったなら、つまり今の社会主義者・共産主義者が正しいマルクス主義者であるなら、それは飢餓と粛清の嵐しか生まない。断固それと戦わねばならない。
 マルクスが理想としては拡大再生産を肯定していたが、「資本論」の資本の分析で、古典経済学の労働価値説が足かせになって失敗しただけだというなら、マルクスをマルクス主義から切り離して救い出すことができる。
 でも、そうでなかったならマルクスを救う理由は何もない。そこにあるのはこれからも血みどろの屍の山だ。
 日本共産党はマルクスを捨てるか、マルクスとマルクス主義を切り離すかどちらかをしなくてはならないが、その際今やらなくてはならないのは綱領からの「革命」の文言の削除だ。
 民主主義革命と言葉を変えてごまかしても、不可逆的な体制の変革を求めるなら、反動分子を警察や解放軍などの暴力装置を用いて取り締まるのは必然だ。
 つまり厳密な意味での非暴力革命なんてのは存在しない。ただ暴動やテロや武装蜂起ではなく、公権力の奪取による公的暴力による変革があるだけの話だ。革命の文言が残っている限り、日本共産党は暴力革命を肯定している。

 あと、「峰高し」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 それでは「雪おれや」の巻の続き。
 名残表、七十九句目。

   月に向ひて恋の先がけ
 文づかひ夕の露を七の図まで   松臼

 七の図はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「七の椎」の解説」に、

 「(「ず」は「ずい」の略か) 背骨の大椎部から数えて七節と八節の間。七枚目の肋骨。尻の上部。
  ※浮世草子・懐硯(1687)四「背中を脱ば、七の椎(ズ)に王といふ文字の下に大きなる判すわりたるを」

とある。
 ライバルよりも早く文を届けようと近道して夕暮れの露の降りた草むらを走り抜ける。 尻の上まで露でぐっしょりとなる。
 八十句目。

   文づかひ夕の露を七の図まで
 木刀のすゑ尾花波よる      一鉄

 その男の姿は薄に埋もれて見えず、木刀の先に吊るした状箱だけが歩いて行く。
 八十一句目。

   木刀のすゑ尾花波よる
 一流のむさしの広く覚たり    雪柴

 薄が原というと武蔵野ということで、二天一流の宮本武蔵の木刀とする。
 八十二句目。

   一流のむさしの広く覚たり
 千家万家に分る水道       松意

 前句の一流を一筋の流れとして、玉川上水のこととする。玉川上水は承応二年(一六五三年)に完成した。
 八十三句目。

   千家万家に分る水道
 下り酒名酒にてなどなかるべき  正友

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『俊寛』の、

 「これは仰せにて候へども、それ酒と申すことは、もとこれ薬の水なれば、醽酒にてなどなかるべき。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2934). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 上方から下ってくる透き通った清酒は名酒で、千家万家に分ける薬の水の道だ。
 「など」は反語になる。
 八十四句目。

   下り酒名酒にてなどなかるべき
 大江山よりすゑのかし蔵     卜尺

 かし蔵はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「貸蔵」の解説」に、

 「〘名〙 料金を取って、他に貸す倉庫。貸し倉庫。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「大江山よりすゑのかし蔵〈卜尺〉 踏分て生野の道の鼠くそ〈一朝〉」
  ※咄本・軽口露がはなし(1691)一「戸をさし『借家(かしいへ)かし蔵』と書付しを」

とある。
 この場合の大江山は地理的なものではなく、大江山の酒呑童子を退治して以来ということで、下り酒は鬼をも倒すものだから名酒でないはずがない、となる。
 八十五句目。

   大江山よりすゑのかし蔵
 踏分て生野の道の鼠くそ     一朝

 大江山に生野の道は、

 大江山いく野の道の遠ければ
     まだふみも見ず天橋立
              小式部内侍(金葉集)

の歌による。
 大江山の向こうにある貸し蔵に行くには、生野の道の鼠の糞を踏み分けて行かなくてはならない。
 八十六句目。

   踏分て生野の道の鼠くそ
 笹枕にぞたてしあら鍔      志計

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 「鼠の糞は『鏽腐鉄器、鼠尿塗新小刀表、安於醋桶上得醋気刮去之肌如古刃』(和漢三才図会)と言われるから、旅寝の枕元に新鍔の道中差を置いたところ、一夜にして錆びたというのであろう。「銹」の抜句であろる。」

とある。
 八十七句目。

   笹枕にぞたてしあら鍔
 鎗持や夢もむすばぬ玉霰     在色

 笹枕を那須の篠原として、

 もののふの矢並つくろふ籠手の上に
     霰たばしる那須の篠原
              源実朝(金槐和歌集)

の縁で霰を降らせ、武士の一段下の槍持ちを登場させる。
 鎗には鍔すらない。
 八十八句目。

   鎗持や夢もむすばぬ玉霰
 口舌に中は不破の関守      松臼

 槍持ちの恋は言い争いになって家庭不和になる。不和を不破の関守に掛ける。
 八十九句目。

   口舌に中は不破の関守
 年経たる杉の木陰の出合宿    一鉄

 出合宿はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出合宿」の解説」に、

 「〘名〙 男女が密会に使う家。出合屋。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「草のまくらに今朝のむだ夢〈一鉄〉 ばかばかと一樹の陰の出合宿〈雪柴〉」

とある。例文は「峰高し」の巻二十三句目。そこでも書いたがラブホの原型とも言えるもので、昭和の時代は「連れ込み宿」と言った。「温泉マーク」「さかさくらげ」という言葉もあった。
 まあ幽霊でも出そうなぼろっちい宿を選んで口論になったのだろう。関所に杉は付き物。
 九十句目。

   年経たる杉の木陰の出合宿
 いかに待みむ魚くらひ坊     雪柴

 出合宿で待ってたのはなまぐさ坊主だった。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注にもあるように、

 みわの山いかにまち見む年ふとも
     たづぬる人もあらじと思へば
              伊勢(古今集)

を本歌とする。
 九十一句目。

   いかに待みむ魚くらひ坊
 一休を真似そこなひし胸の月   松意

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 「一休咄に、食った魚を生かして放つという一休のことばを信じて、人々の待つ話がある。」

とある。
 九十二句目。

   一休を真似そこなひし胸の月
 三文もせぬ筆津虫なく      正友

 筆津虫はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「筆津虫」の解説」に、

 「〘名〙 昆虫「こおろぎ(蟋蟀)」の異名。《季・秋》
  ※古今打聞(1438頃)中「ふでつむしあきもいまはとあさちふにかたおろしなる声よわるなり 筆登虫は蛬を云也」

とある。
 一休の筆なら高く売れそうだが、偽物は三文にもならない。

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